講師(宗夜)ブログ

2024-09-15 14:40:00

●No.2として生きる

先日の利休座学講座で三好政権に触れました。

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三好元長は細川晴元の家臣で、武術にも智略にも富んでいた。

しかしあまりにも優秀なため主君晴元から警戒されて自害に追い込まれた。

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このようなことは、いつの時代もどの国でも場所でも起こり得るだろうなぁと思いました。

元長にも晴元にも、それぞれ側近がいますから当人よりも側近達が騒いだのかも知れません。

仕事が出来るからと言ってところ構わず能力を発揮すると、却って失敗を招くという例。

本当に出来る人というのは、その力加減が絶妙だと言います。

秀吉の家臣の黒田官兵衛はそのセンスが抜群だったようで、反抗心のかけらも徹底して見せなかったと聞いたことがあります。

それが秀吉には恐ろしい。

武功を挙げたにしては冷遇されたそうですが、不満の色は出さなかったので潰されることは免れたとのこと。

No.2を自覚しNo.2として生き通した成功例に数えられています。

ではなぜNo.2を自覚することが出来たのか。

No.1の秀吉の才覚に直に触れ、自分との力の差を実感したからではないかと専門家が話していました。

『これは敵わない。嫌われないように振る舞うのが得策』

と。

出来ることを力の限り発揮するよりも、敢えて抑えて控えめに発揮する人の方がはるかに能力が高いと言われています。

先を見据えて力の加減ができる能力です。

 

では男女の場合にはどうなのでしょう。

私は画家バルデュスの妻の節子さんを思い出しました。

30代の頃に見つけた本

『グラン・シャレの手作り暮らし』

ではバルデュスの妻節子・クロソフスカ・ド・ローラさんが大人女性の美しい姿で豊かな暮らしぶりを紹介していました。

当時画家バルデュスのことは知らず、その後もあまり興味が持てませんでしたが、節子夫人の美しさに引き込まれてしまいました。

写真の中の節子夫人は60代後半と思われます。

なんと美しい60代。

節子夫人は20歳の時に、来日したバルデュスの通訳を務めて見染められたとのこと。

バルデュス54歳。

強烈なアプローチで、まるで連れ去られるようにバルデュスの本国へ渡ったと綴られていました。

バルデュス、映画スターのようなイケメン。

文字には起こせない大変な思いもたくさんされたことだろうと想像しますが、節子夫人は献身的にバルデュスを支え続けたと言われています。

そしてご自身も画家・随筆家などのアーティストとして活動されています。

音楽家の坂本龍一氏が、節子夫人に感服されていました。

節子夫人は西洋の並み居る美女に全く引けを取らず、堂々たる存在感だったとのこと。

美女たちがサッと道を空けたところに節子夫人がたおやかな笑顔を湛えておられたそうです。

『節子夫人を一目見てバルデュスという男を信用した』

と綴っていました。

 

その感想を読んだ時に、もしかしたら戦国時代の奥方もそのような役割を果たしていたのではないかなと感じました。

戦国時代、主人は戦に出て城を留守にすることが数多くありました。

私にはいつもこれが不思議で『では一体だれが居城を守っていたのだろうか?』と思っていました。

下剋上が当たり前の時代。

『鬼の居ぬ間に…』

と狙うのが自然な流れです。

本当に家臣が命を賭して城を守るのだろうかと思っていました。

もしかしたら能力ある奥方が上手に仕切って守っていたのではないか、と。

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🟦そう、その通り。

美しく能力ある奥方を守るために家臣が一所懸命に働いた。認めてもらいたいから。

🔴実際に守っていたのは、家臣だけれども、奥方がそのキーパーソンだったと。

🟦そう。そういう意味でも誰を正室に迎えるかがお家に大事だった。

🔴素晴らしいNo.2ですね。

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仕事を支えるというだけでなく、基盤を守り次なるチャレンジへと奮起させる力。

それも、嫌々させるのではなく喜んでやる気にさせるソフトパワーの源泉となる。

No.2として生きる奥深さに思いを馳せた座学講座でした。