一言法話

2021-07-11 00:00:00

25.この命を生ききる

 

中日、日本ハムで強打者として活躍し、日本ハムでは監督も務められた野球解説者、大島康徳さんが6月30日にお亡くなりました。大島さんは2016年10月にご自身のブログでステージ4の大腸がんになり手術を受けていたこと、肝臓に転移していることを明かし、治療はするものの重く受け止めず、今まで通りの生活をしたいと述べています。
そして今年の春にこのような私記を書かれました。

「この命を生ききる」

(前略)
命には
必ず終わりがある
自分にもいつか
その時は訪れる
その時が
俺の寿命
それが
俺に与えられた運命
病気に負けたんじゃない
俺の寿命を
生ききったということだ
その時が来るまで
俺はいつも通りに
普通に生きて
自分の人生を、命を
しっかり生ききるよ

私はこの大島さんの言葉に非常に感銘を受けました。人生の最期を迎えるときに、いつも通り、普通に生きるということは簡単なことではないかもしれません。しかし出来得るならばそうありたい、そして自らの寿命を生ききったといえるような人生を目指したい、と改めてそう思わせてくれる言葉だったので、紹介させていただきました。

2021-07-01 00:00:00

24.都合によって

 

市町村によって早い遅いはありますが、全国的にコロナのワクチン接種が進んでまいりました。早くコロナ禍が収まることを願うばかりですね。しかしワクチン接種に関しては様々なことが言われております。今までにないタイプのワクチンなので、それぞれの医師によって見解が違ったりもするようで、それホント、というようなデマ(?)も色々なところから聞こえてきたりします。持病の関係で接種したくてもできない方もいらっしゃるでしょうし、それぞれの立場、状況、考え方によって接種する、しないは自己責任で決めるしかありません。

毎田周一という仏教学者がこのようなことをおっしゃっています。
「自分に都合がよければ相手の悪も善に見え 自分の都合が悪ければ相手の善も悪に見える」

接種する、接種しないは、どちらが正しくどちらが間違っているか、言葉を変えるならばどちらが「善」でどちらが「悪」なのかはなんてことはわかりっこありません。そもそも、様々なことにおいて、何が「善」で何が「悪」なのか判断がつかないようなことは多々あるものです。そんな時でも私たちは自分の都合に合う方を「善」と考え、都合が悪いほうを「悪」としてしまいがちです。そして一旦そのように思い込んでしまうとその思いに私たちは縛られがちだということです。
コロナ禍による行き過ぎた「自粛警察」もそのようなことから起こったといえるでしょう。この1年以上にもなる自粛生活で私たちの心は疲れ気味ですが、自分の都合だけではなく、相手の都合にも目を向けられるような心の眼を持ちたいものです。

2021-06-21 00:00:00

23.幼き頃のお大師さま

 

前回、お大師さまの誕生日をお祝いする「青葉まつり」のお話をいたしましたが、今回は貴物(とうともの)と呼ばれていた幼き頃のお大師さまについてもう少しお話しします。

お大師さまが生まれて間もない頃、唐から渡ってこられた法進上人(鑑真の高弟)が讃岐の国(現在の香川県)にやってきました。たまたまお大師さまの生家近くの民家に宿していたところ、赤ん坊の泣き声を耳にしました。すると法進上人はこう予言したと言います。
「この子は生まれながらにして仏縁を具えている。成長してからは仏の教えを広めるだろう。」と。

また、朝廷から派遣されたある役人は道端で遊ぶ真魚さま(お大師さまの幼名)の姿を見て、馬から降りて、恭しく礼拝をしたといいます。
お共がその訳を尋ねたところ「この子は四天王(仏法を守護する仏たち)によって守られている子供である。」と答えました。

「捨身ヶ嶽伝説」という真魚さま7歳の頃の伝説も残されています。
ある時、真魚さまは、我拝師山(がはいしさん)という山に登り、捨身ヶ嶽という断崖絶壁の頂きからこう唱えました。「私は将来、仏の道に入って、仏の教えを広め多くの人々を迷いから救いたい。お釈迦さま、この願いが叶うならどうぞお姿を拝ませてください。どうぞお姿を表し霊験をお示しください。もし叶わぬならこの身を捧げます。」と手を合わせ、高い崖から身を投じられました。すると、なんと紫雲の中から蓮華に座ったお釈迦さまがあらわれ、大光明を放たれ、天女が舞い降り、真魚さまを抱きとめられたといいます。

これらのお話から、お大師さまは幼いころから慈悲の心に満ち溢れ、将来の姿が約束されるほど仏様とのご縁が深い存在であったことがわかります。

2021-06-10 00:00:00

22.青葉まつり

 

6月15日はお大師さまのお誕生日です。お大師さまは宝亀5年(774年)、青葉の繁る頃、現在の香川県善通寺市でお生まれになりました。幼名を真魚(まお)といいます。真魚さまは5、6歳の頃には、泥をこねれば仏像をつくり、手を合わせていたといわれます。また美しい蓮華の上に座って、多くの仏様と話す夢をよく見る少年であり、貴物(とうともの)と呼ばれました。

お大師さまの誕生日を祝う「青葉まつり」は高野山で毎年行われ、お稚児さんや信者さんらの行列が練り歩く、「花御堂渡御(とぎょ)」などが繰り広げられ、「宗祖降誕会法要」が行われます。しかし残念ながら新型コロナの影響により、昨年同様本年も「花御堂渡御」は中止となるようです。

日光院でも毎年6月15日に「青葉まつり」の法要を行っております。一言法話「15.花まつり」の中でお話しした通り、お大師さまの稚児像とお釈迦さまの誕生仏に、参拝された皆様と共に甘茶をおかけしてお祝いいたしております。しかし今年は昨年と同じく、午後1時より本堂で行う「青葉まつり」法要は院内僧侶のみにて行うことといたしました。ご参拝いただける皆様は午前9時より午後3時までの間、随時、甘茶かけとご焼香をしていただきますようお願いいたします。その際にはどうぞ日光院奥にございます八十八ヶ所霊場にもお参り下さい。昨年ご縁があり八十八ヶ所霊場内に、それまで赤岩におまつりされていた鷹尾了範像をお迎えさせていただきました。鷹尾了範は日光院開山の礎を築かれた方であり、小樽に数々の伝説が残っている高僧です。

また、当日は午後1時より護摩焚きをいたしますので、願い事のある方は事前に電話(0134-22-2989) FAX(0134-22-2993)等でお申し込みください。添え護摩は1願1千円です。

2021-06-01 00:00:00

21.大事な石

 

ある森の中に一匹のサルがいました。このサルはいつも一つの丸い石を肌身離さず持ち歩いていました。ある日、腹を空かせていたこのサルは小さな沼の中においしそうな魚を見つけました。ところが、沼に入り魚を取ろうとしたその時、大事なこの石を落としてしまいます。サルは必死になって川の底に手を伸ばし、石を探しました。大事なあの石を失くしたら大変だと、沼の底を手でかき回し、血眼になって探したのですが、探せば探すほど沼は泥で濁ってしまい、石は見つかりません。
辺りがすっかり暗くなっても、サルは探すことをやめません。森の鳥や他の動物たちは「サルさん、いい加減、少し休んだほうがいいですよ」と、みんなサルを心配し、声をかけました。しかし、永遠にその石を失ってしまうのではないかと恐れたサルは、休むことなく、一心不乱に探し続けました。それでも、やはり石は見つからず、とうとうサルは疲れ果て、その場に座り込んでしまいました。夜も明け、気付けば辺りは明るくなり始めました。サルはとうとう動き回るのをやめ、探すのを諦めた時、川はやっと静寂を取り戻しました。すると、サルがかき回して濁らせていた水は泥が沈み、底まで透き通って見えるようになりました。こうしてようやくサルは失くしてしまった大事な石を見つけることができました。

みなさんにとっての「大事な石」とは何でしょう。自分にとってのそれがいったい何なのか、見つけたい、知りたいと思っても、このサルのように心乱れた状態で、欲にまみれ、やみくもに探し回ってばかりいては決して見つかりません。本当に大事にするべきものは、心が澄み渡った時、はじめて見つかるものなのでしょう。