一言法話

2021-07-01 00:00:00

24.都合によって

 

市町村によって早い遅いはありますが、全国的にコロナのワクチン接種が進んでまいりました。早くコロナ禍が収まることを願うばかりですね。しかしワクチン接種に関しては様々なことが言われております。今までにないタイプのワクチンなので、それぞれの医師によって見解が違ったりもするようで、それホント、というようなデマ(?)も色々なところから聞こえてきたりします。持病の関係で接種したくてもできない方もいらっしゃるでしょうし、それぞれの立場、状況、考え方によって接種する、しないは自己責任で決めるしかありません。

毎田周一という仏教学者がこのようなことをおっしゃっています。
「自分に都合がよければ相手の悪も善に見え 自分の都合が悪ければ相手の善も悪に見える」

接種する、接種しないは、どちらが正しくどちらが間違っているか、言葉を変えるならばどちらが「善」でどちらが「悪」なのかはなんてことはわかりっこありません。そもそも、様々なことにおいて、何が「善」で何が「悪」なのか判断がつかないようなことは多々あるものです。そんな時でも私たちは自分の都合に合う方を「善」と考え、都合が悪いほうを「悪」としてしまいがちです。そして一旦そのように思い込んでしまうとその思いに私たちは縛られがちだということです。
コロナ禍による行き過ぎた「自粛警察」もそのようなことから起こったといえるでしょう。この1年以上にもなる自粛生活で私たちの心は疲れ気味ですが、自分の都合だけではなく、相手の都合にも目を向けられるような心の眼を持ちたいものです。