教室ブログ
今ここ意守丹田
日常が変化した時に その人の本当の力が試される気がします。
年末年始にかけて、母と義母、ともに怪我をしてしまいました。特に義母は救急搬送され現在も入院しています。
気功では意識、心のことを「神(しん)」といいます、病室にいる義母の目を見た時、その「神」があまりに痛々しく弱々しく、ショックでした。あぁ、瞳に神は現れるのか!?もう無理なんじゃないかな。家に帰った後も目に焼き付いてしまい暗い気持ちを引きずってしまっていました。
そして、諸々がある程度片付いた頃、今度は私の方が久しぶりにひどい頭痛になってしまいました。普段なら気功でなんとかなります。が、全く効かない。「気」が枯渇したかのよう。
入院に伴うあれこれを始終考えてしまう。アプリがずっと動いているように私の頭の中のモーターは回り続けていました。頭痛はストレスからでしょう。
「気」は意識したところに集まります。明日、明後日、さらにはその先、今を置き去りにして、まだ来ぬ未来を暗い気持ちで思えば、気は暗い幻想の作る未来の沼の底にドブンと浸かります。
だからこそ私達は練習でしつこいくらい「意守丹田」と言う。エネルギーの貯蔵庫丹田に気をきちんと収める大切さ。
思いがけず、普段の教室でお伝えしている事の実践試験が自身に課されましたが、見事に落第した結果です。
気功には、生きるヒントがたくさんあります。気功は出来る、完全な人の為のものではなく「乱れても戻れる人になる為の智慧」です。
私の母の方は、怪我をしたとて「神」がそもそもしっかりした人なので、心配要らない感じです。そして義母は医療従事者の方々の手厚い看護のおかげでずいぶん回復しました!目が全然違います!人の生命力って凄いものです!高齢であっても、無力のように思えても、生命力というものは尊く強い。
色々なことが、言葉ではなく身体で腑に落ちた出来事でした。
「気」が格別だった場所
