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〜命をいただくということ〜
緩和ケア病棟の看護師さんだった宮崎睦美さん ことむっちゃん。
グリーフケアやカウンセリングの場ではなく、だれでも気軽に訪れることが出来て、ゆっくり穏やかな時間を過ごしてほしい という彼女の想いがこもった「穏café あたたかい木」
ランチメニューは、おむすび御前。
わたしはここのお料理を食べると
涙が溢れてきます。
植物たち(お米やお野菜)が、喜んでイノチを差し出しているのが、ストレートに伝わってくるのです。
収穫された時から、(もしかしたら育てられている時から)、料理され人に食べられることがわかっていても、喜んでそれを受け入れている。。。
なぜ?
多分、それは、尊厳を持って育てられ、尊厳を持って扱われた(調理された)植物たちだから。
「あたたかい木」で使われる食材は、すべてむっちゃんに繋がる人の手によって大切に育てられ、収穫され、むっちゃんのところに集まってきたお米やお野菜たち。
人は自分の命の尊厳が守られたとき、生きる喜びと感謝の気持ちが湧き上がってきますが、
それは植物も動物も同じなのではないかと思います。
「食べる」という行為には、命を奪う・奪われる という側面がついて回ります。
ヒトも植物も(あたたかい木では扱いませんが動物も)同じ土台に立つ対等なイノチなんだ という考えのもとで、
「食」に伴うさまざまな工程に、
ありがとう という感謝のエッセンスをポタポタ降り注がれた植物たちの命は、
奪われたのではなくそのカタチを変えるだけ。
新しくカタチを変えたイノチは、それを感謝を持って食した人の中に取り込まれ、息づき、あらゆる他の命に対する敬意として、その人の言葉に行動に現れ、世界に還元されていく・・・
そこに、奪う奪われるという概念は存在せず、あるのは命の循環。
そんな新しい「食」のかたちが、むっちゃんの周りでは始まっているように思いました。
むっちゃんとお仲間の草刈さん、そこに集まってくる人々が作り出す「穏café あたたかい木」は、人と古民家ぬくもりと、お庭の植物たちのエネルギーに満たされたやさしい空間。
身体と心が癒され、魂が喜ぶ
そんなお店です。
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