日記

2024-05-10 08:36:00

継承は思ってたより困難であった。

当初、私たちは動物病院を継承することを簡単に考えていました。流行っていた病院でしたので、やってみたいという若手の獣医師は多くいましたし、譲渡金も双方納得のいく金額が提示されていました。

何処が問題であったか。それは決して少なくはない人々が私たちを心の支えにしてくださっていたことに私たちが気が付かなかったところにあります。私や由希子先生そして看護師の三国だからこそ自分たちの大切にしている動物を診せるのだ、と言ってくださる方が、想定外に多く、またその気持ちはかなり強いものであったと、当時私たちは、頂いた電話やお手紙などで、やっと気が付いたのでした。

私は動物を診療することによって、こんなにも深い心の結びつきが出来てきていたということに、改めて深く感動しました。しかし感動してばかりはいられません、私は辞めるべきではなかったのです。

由希子先生も三国も同じ気持ちだったようで、新丸子ペットクリニックが10年前に誕生したのでした。

10年ぶりに、先生、やっと見つけましたよ、前の猫は死んでしまいましたが、また新しい猫、先生に是非診ていただきたい。という方が来られました。

ありがたいことです。今では、この病院を作ってよかったと本当に感じております。

これからは私や由希子先生、三国の心を継承してくれる人材を是非とも作ることが、今後の私の残された仕事のようです。

2024-05-08 09:21:00

ハワイでの5日間。そして最初の病院を手放すまで。

およそ40年前の話です。ホテルに着いた私は直ぐに薬問屋を経営する日本人の先生に電話を入れました。良かったらすぐに事務所に来ていいよ、と気さくな感じの方で。私はほかに行く予定もなかったので、直ぐに伺わせていただきました。

まずお決まりの挨拶が終ると、先生は私にアメリカの動物病院がどのようなものかを知ることが君のキャリアの第一歩になると思うから、数件の病院を見学に行こうと誘ってくださいました。

今思えばこの時の経験が、後の私の考え方や生き方に大きな影響を与えたことは間違いありませんでした。

日本は10年、いや20年遅れていると感じました。相当なカルチャーショック。しかしこれは私にとって落胆ではなくむしろチャンスだったのです。高すぎる目標でしたが、真似さえしていけばいつかは辿り着くだろうと考えたわけです。

事務所に戻ると先生は私に大量の薬棚を見せてくださり、どの薬がトレンドであるかをこと細かく何時間も解説してくれました。この1日で私は日本でもトップクラスの臨床医になってしまったような錯覚に落ちいりました。

日本に戻り、まず由希子先生に今後の我々の病院の方針を、つまり米国の動物薬を中心に使う診療をしていこうという考えを納得してもらうことから始めました。彼女も大学の研修生をしていたので、海外の進歩的な治療は熟知していたので快く受け入れてくれました。

奥沢動物病院、これが私の手掛けた最初の病院です。約25年医院長を務めその後、後身に継承をしましたが、この病院は常に米国の最新治療を意識し、年に4回くらいはスタッフをハワイの先生の所に送り込み、トレンドな薬や検査ができるようにしてきました。

私が言うのもおかしいですが,それなりに流行っていた病院でした。その病院を辞めようと考えたのは、この病院の商品価値が、開業25年くらいでピークになったと感じたからです。もちろんそれだけではなく私たちが命を懸けて作り上げてきた病院が想定外に大きくなりすぎて、私どもの心と体が限界になってきていたこともありました。

そこで私たちは今でこそ当たり前になってきている病院の継承を実行したのでした。

この時点で完全に引退するという決意でしたが・・・ ・・・。

2024-05-07 09:29:00

5月3日で68歳になりました。動物病院回顧録。12年前に新丸子ペットクリニックを開業した理由。

思えば29歳の時、妻である由希子先生と2人で、縁もゆかりもない世田谷区奥沢という地で、家賃が相場よりも安いという理由で、当時日本でもトップレベルの動物病院激戦地に、そんなことは知らないままに無謀にも力のない経済力もない2人が開業をしてしまいました。力をつけるために、当時臨床が進んでいた大学に、由希子先生は研修生として入り、私は毎日ドキドキしながら診療をしていたのを覚えております。

ある日、暇に任せて海外の論文を見ていると、ある広告が目に入りました。世界でも小動物臨床が進んでいるハワイで日本人の獣医師が薬問屋をやっており、お客さんで少数ではあるが日本からも薬や機械を買いに来ているとの情報に目が留まりました。

これだ、これからは米国やヨーロッパを手本にしていかなければならないと。そこでさっそく私は由希子先生に病院を任せて1週間のハワイ、薬問屋の先生の住所と僅かな現金をもって旅立ったのです。

さて英語も満足に話せない私がハワイで何をしてきたかは次回に・・・ ・・・。多分、面白いですよ。

2024-02-05 14:46:00

こんなことがありました。

このコーナーをご覧くださってる皆様方は、私のバイク好きは十分に御承知のことと思います。私は現在2台のバイクに乗っています。大きい方は400CCの大型スクーターでBMWというメーカーのドイツ車です。これは3年前から乗っていて年末にバッテリーの交換のためにちょっと預けていて、引き取りに行った時のことです。エンジンをかけた時に異様な音がして止まってしまいました。慌てて担当の方がバイクを修理場にもっていったところ、入院ということになりました。実はそれから1か月以上入院中で、ついさっき連絡があり、エンジンを新しくするので今ドイツから取り寄せているとのことでした。

こ、これはえらいことになったぞー、金はどうしよー、やっと3年のローンが終了したばかりなのに。と思っていたら、メーカー保証の対象ですから全てこちらで持ちます、とのことでした。3年乗りましたがバッテリーもエンジンも新しくなり、まさに新車に生まれ変わるわけです。怪我の功名というか、さすがにBMWという話でした。

2024-01-24 09:25:00

37年ぶりの便り。これはノンフィクションです。

先生、鈴木さんという女性からお電話です。直接お話ししたいとのことですが、御用件を伺いますか。

 

ああ、出ますよ。ちょうど手が空いたから。

 

と言いつつも、よくある名前なので数人の方をイメージしながら電話を受けた。

 

もしもし、獣医師のSですが。

 

S先生ですか、以前世田谷区で開業されていた。

 

そ、そうですが、もう川崎に移ってから10年になりますが、世田谷にいたころの患者様ですか。

 

はい、もう37年前のことですが、先生に大変お世話になりました鈴木と申します。

先生、憶えてらっしゃいますか、私、車にはねられた柴犬を見て、飼い主らしき方も見当たらなかったので、そのままにできずに先生の所に電話させてもらい、そのまま飼い主が現れなくて先生にお世話になってしまった者です。

当時は大変お世話になりました。

37年もたってしまいましたが、先生にぜひお会いして当時のお礼をさせていただきたいのですが、よろしければ病院に伺っても構いませんでしょうか。

 

こんなことがあるのだろうか、私は自分の耳を疑ったのだが相手の方の申し出をその時は快く受け入れたのであった。

後にまりちゃんと名をつけた柴犬の雑種、この子は当時推定年齢5歳前後、腹部に手術痕があったので避妊済みの雌と思われた。事故に関係していたかは不明だが両眼とも視力がないようであった。どのような経過だったかは現場を見ていた人も、跳ねた車もわからないままであった。

まりちゃんは事故で左前肢を失うことになったが、それ以外はほぼ健康であり、日一日と元気になっていったが、もともとなのか非常に警戒心の強い子で病院のスタッフ以外には近ずくこともできない子であった。もしかしたら事故の前から失明していたのかもしれなかった。

当然私たちは飼い主を探したのだが、都会のど真ん中でこの子と接点を持つ人が誰も見つからないとは想像もしていなかったことであった。ほどなくして、この件が新聞や雑誌に取り上げられたのであるが、結局飼い主には辿り着くことはなかった。

そんな折、親切な患者様がまりちゃんを家で飼ってくれると申し出てくださった。当時私も自宅で飼えない状態だったので病院の診察室の一角にスペースをとって、そこを棲み処にしてもらっていたが、診療中は幸いにもまりちゃんはずっと大人しくしていてくれたのだが、家族の一員にまりちゃんを迎え入れてくださる申し出は、この子にとっては本当にありがたいことであった。

早速まりちゃんは貰われていったのであるが、案の定というか、想定内のことではあったが、既にいるワンちゃんと折り合いが悪く、全く馴染めないようであったので、私もスタッフも、事故からの経過を考えると、この子に一日でも辛い思いをさせてしまったことを後悔し、直ぐにまりちゃんを迎えに行き、先方にも丁寧に誤り、今後は私たちが責任をもってかうことを告げ帰ってきた。

診察室の扉を開けると、まりちゃんは見えてないはずだが、どこにもぶつかることなく所定の位置まで行き幸せそうな表情で布団の上で感触を確かめるような表情を見せ、ほどなくして寝てしまった。

誰もいない診察室で、私はまりちゃんに、ごめんね、とつぶやいた。

まりちゃんの事故を通報してくださった方は、話によると、偶然通りかかったということで、その後何度も電話をいただき、経過だけはその都度お知らせしていたが、その後連絡も途絶えてしまっていたが、私たちはまりちゃんと出会えたことを、感謝していた。まりちゃんは、私たちにとっては、そんな存在感のある同志として、その後の病院の激動期を支えてくれた女神のような存在になっていったのである。

 

先生、37年ぶりです。お元気でしたか、そのせつは大変お世話になりました。私のこと覚えてらっしゃいますか。

 

もちろんです。ところで、なぜ今、なのですか。もう本当に昔の話ですよね。

 

はい、37年、長かったですが、ずっと、あの時のワンちゃんを忘れたことはありませんでした。

実は最近実家の母に当時の新聞の切り抜きを見せてもらったのです。それで何か吹っ切れた気がして、先生に自分が生きているうちにお礼をしたいという感情が抑えきれなくなったのです。

ご迷惑でしたか、すみません、いつも身勝手なことをしてしまい。

 

いえいえ、嬉しいですよ。ありがとございます。私たちは鈴木さんに感謝していたのですよ、迷惑なんて思ったこともございませんでした。

 

最近あった本当の話でした。多少私が盛ったところもありますが・・・ ・・・。

1 2 3 4 5 6 7 8 9