ごあいさつ
日記
37年ぶりの便り。これはノンフィクションです。
先生、鈴木さんという女性からお電話です。直接お話ししたいとのことですが、御用件を伺いますか。
ああ、出ますよ。ちょうど手が空いたから。
と言いつつも、よくある名前なので数人の方をイメージしながら電話を受けた。
もしもし、獣医師のSですが。
S先生ですか、以前世田谷区で開業されていた。
そ、そうですが、もう川崎に移ってから10年になりますが、世田谷にいたころの患者様ですか。
はい、もう37年前のことですが、先生に大変お世話になりました鈴木と申します。
先生、憶えてらっしゃいますか、私、車にはねられた柴犬を見て、飼い主らしき方も見当たらなかったので、そのままにできずに先生の所に電話させてもらい、そのまま飼い主が現れなくて先生にお世話になってしまった者です。
当時は大変お世話になりました。
37年もたってしまいましたが、先生にぜひお会いして当時のお礼をさせていただきたいのですが、よろしければ病院に伺っても構いませんでしょうか。
こんなことがあるのだろうか、私は自分の耳を疑ったのだが相手の方の申し出をその時は快く受け入れたのであった。
後にまりちゃんと名をつけた柴犬の雑種、この子は当時推定年齢5歳前後、腹部に手術痕があったので避妊済みの雌と思われた。事故に関係していたかは不明だが両眼とも視力がないようであった。どのような経過だったかは現場を見ていた人も、跳ねた車もわからないままであった。
まりちゃんは事故で左前肢を失うことになったが、それ以外はほぼ健康であり、日一日と元気になっていったが、もともとなのか非常に警戒心の強い子で病院のスタッフ以外には近ずくこともできない子であった。もしかしたら事故の前から失明していたのかもしれなかった。
当然私たちは飼い主を探したのだが、都会のど真ん中でこの子と接点を持つ人が誰も見つからないとは想像もしていなかったことであった。ほどなくして、この件が新聞や雑誌に取り上げられたのであるが、結局飼い主には辿り着くことはなかった。
そんな折、親切な患者様がまりちゃんを家で飼ってくれると申し出てくださった。当時私も自宅で飼えない状態だったので病院の診察室の一角にスペースをとって、そこを棲み処にしてもらっていたが、診療中は幸いにもまりちゃんはずっと大人しくしていてくれたのだが、家族の一員にまりちゃんを迎え入れてくださる申し出は、この子にとっては本当にありがたいことであった。
早速まりちゃんは貰われていったのであるが、案の定というか、想定内のことではあったが、既にいるワンちゃんと折り合いが悪く、全く馴染めないようであったので、私もスタッフも、事故からの経過を考えると、この子に一日でも辛い思いをさせてしまったことを後悔し、直ぐにまりちゃんを迎えに行き、先方にも丁寧に誤り、今後は私たちが責任をもってかうことを告げ帰ってきた。
診察室の扉を開けると、まりちゃんは見えてないはずだが、どこにもぶつかることなく所定の位置まで行き幸せそうな表情で布団の上で感触を確かめるような表情を見せ、ほどなくして寝てしまった。
誰もいない診察室で、私はまりちゃんに、ごめんね、とつぶやいた。
まりちゃんの事故を通報してくださった方は、話によると、偶然通りかかったということで、その後何度も電話をいただき、経過だけはその都度お知らせしていたが、その後連絡も途絶えてしまっていたが、私たちはまりちゃんと出会えたことを、感謝していた。まりちゃんは、私たちにとっては、そんな存在感のある同志として、その後の病院の激動期を支えてくれた女神のような存在になっていったのである。
先生、37年ぶりです。お元気でしたか、そのせつは大変お世話になりました。私のこと覚えてらっしゃいますか。
もちろんです。ところで、なぜ今、なのですか。もう本当に昔の話ですよね。
はい、37年、長かったですが、ずっと、あの時のワンちゃんを忘れたことはありませんでした。
実は最近実家の母に当時の新聞の切り抜きを見せてもらったのです。それで何か吹っ切れた気がして、先生に自分が生きているうちにお礼をしたいという感情が抑えきれなくなったのです。
ご迷惑でしたか、すみません、いつも身勝手なことをしてしまい。
いえいえ、嬉しいですよ。ありがとございます。私たちは鈴木さんに感謝していたのですよ、迷惑なんて思ったこともございませんでした。
最近あった本当の話でした。多少私が盛ったところもありますが・・・ ・・・。