講師(宗夜)ブログ
●美のカタチは一つではない
こちらは書道の先生からよく掛けられるお言葉です。
最初は真意が分かりませんでした。
一つの文字の美しい形を真似するのがやっとでしたので、混乱の嵐が吹き荒れるばかり。
『色々あると言われましても…。どれか一つに決めてくださいよ💦』
と泣きたい気持ちになりました。
しかしお稽古を積むと、先生のお言葉が少しずつ霧の中から浮かび上がってきました。
『躍動せよ!』
そんな風に聞こえます。
美しい形にこだわるあまり、ガチガチに体を強張らせて、見本と睨めっこして一喜一憂していてはダメなんだ。
文字だって生きているんだよ。
例えば基本的なセオリーとしては、
・中心を揃えて
・漢字は大きく
・平仮名は小さく
というものがあります。
その中でも画数の多い漢字はより大きくします。
セオリーを守れば何となく全体的に美しく見えるのですが、魅力的な書にはなりません。
何となく綺麗なんだけど、物足りないのよね…、となります。
その裏に人格が見えてこないからでしょうか。
じゃあセオリーなんて無視して、好きなようにやってみようとすると、もうごちゃごちゃ🌀
やっぱり『型』は必要なんだな、と実感します。
この美的感覚は一朝一夕では身につかない。
ほんのちょっと傾けたり、字と字との隔たりをずらしたり、トライ&エラーを繰り返して数年掛けて築いていく技術なのでしょう。
この経験こそがゆくゆくは『自分らしさ』となるのかもしれません。
ところで…
●美のカタチは一つではない
この言葉を初めて聞いた時に、ふと頭に浮かんだのが奈良東大寺南大門の『金剛力士像』でした。
運慶・快慶で有名な慶派が作り上げた奈良の金剛力士像は、当初はセンセーショナルな存在であったようです。
筋肉ムキムキであまりにも写実的すぎると。
当初は院派や円派が主流で、この両派は京都の朝廷と関わりが深かったとのこと。
それに対し、慶派は奈良仏師の小さな集団であったそうです。
しかしこの筋肉ムキムキが武士のwantsと合致。
『力こそ全て』を象徴するような美のカタチが、武士の台頭と共に、慶派の地位をも上げていったとのことでした。
そしてまた、納期が異常に早かったとのこと。
この巨大な像を69日で作り上げたそう。
寄木造(よせぎづくり)で3000パーツにも分かれるそうですが、一体どうやって作成を可能にしたのか…。
木は筋目に沿って膨張と収縮を繰り返すと聞きますので、木を知り尽くし、技術を極め、何代にも渡って準備を進めていたのでしょう。
『んまっ、お下品な!』
と最初は難色を示した人々も、
『でもカッコいいかも…』
と、徐々にファンを増やしていったそうです。
この躍動感。
私も奈良で実際に目にした時には驚きました。
美のヒントをひとつ示してくれているように思いました。