ごあいさつ

北京堂鍼治療の理論的根拠

鍼治療の仕事を長く続けていると、患者が痛みを訴えてくる部位は、かなり筋肉が凝り固まっていることが経験的に分かってきます。マッサージ師や按摩師ならば、その筋肉の固まりをほぐすことでしょう。しかし鍼師ならば、その固まりに刺鍼して緩めます。どうして固まった筋肉に刺鍼すると筋肉が緩むのでしょうか? 

鍼をすると刺鍼した周囲が発赤します。発赤は毛細血管が拡張していることを表しますが、鍼すると血管が拡張することにより血流量が多くなり、新鮮な血が運ばれてきて病態が改善するというのが木下晴都の主張です。彼は神経による軸索反射によって毛細血管が広がり、血管が太くなるため血流量が増え、酸素不足を補って筋肉の収縮が除かれるため、神経の圧迫が消えて痛みの悪循環を断ち切ると主張しました。しかし体表の毛細血管が広がるのが見えるからといって、筋肉内部の血管まで拡張して血流が改善するのでしょうか? それを証明するために中国では、腕を水槽に浸し、腕と水槽の水位に印をつけ、腕へ刺鍼してから水槽に戻すと、元の水位より水の体積が増えているという実験をしました。水位が上がっていれば刺鍼前より刺鍼後は、腕の体積が増えたことになります。その水位の増え方は皮膚表面の血管拡張だけで説明できず、腕筋肉内部の血管が広がって血液量も増えたとしなければ、それほど大量の水が押しのけられる説明がつかないものでした。だから刺鍼したあとに血管が拡張し、腕の体積が増えたと考えられるのです。それを容積波と呼びました。これは刺鍼後にサーモグラフィで温度が上がることからも、体表の血管が拡張して血流量が増えていることがわかります。

刺鍼部位の血液量が増加するのは、血管に対する締め付け抵抗がなくなるからだとされています。つまり血管周囲の筋肉が緩んだため血管が広がり、そこに流れる血流量が増えることで腕の体積が膨張し、温度が上がったわけです。これは刺鍼した筋肉が柔らかくなることからも、触ってみれば確かめられます。

筋肉が柔らかくなれば、1つには筋肉によって締め付けられた血管が解放されて血流がよくなり、その部分の栄養補給や酸素不足が解消されて、傷ついた組織の回復が促されます。もう1つは筋肉による神経の締め付けがなくなり、それが知覚神経なら痛みが消え、運動神経であれば筋痙攣がなくなります。

直接的な痛みの治療理論は以上ですが、それだけではなく脊柱起立筋である棘筋には自律神経である交感神経の後枝が入っているので、内臓の異常が背中の痛みとして反映されます。つまり膵臓の痛みや胆嚢の痛みは背中の痛みとして感じられ、心臓の痛みも背中まで通ると古典鍼灸の本に書かれています。つまり自律神経は、前枝を内臓に出して内臓を調節しながら、後枝を棘筋に出して筋肉を収縮させているのです。だから背中に痛みがあれば、背中の筋肉は硬くなっているのであり、その硬くなった筋肉に締め付けられて自律神経の後枝は興奮している。その興奮が自律神経節に伝わって、前枝も興奮するから内臓が異常となる。だから後枝の興奮を鎮めれば、自律神経節を介して内臓の異常も解消する。それが背中の足太陽膀胱経に五臓穴が並んでいる理由です。

また上半身は手経で、下半身は足経で治療するという下合穴の原則も、手の神経は首から出ていて、首には横隔神経や自律神経の副交感神経である迷走神経があり、それが心臓の裏や胃を通って腸へ行っていることから、手経を使って頚筋に影響を与え、さらに首の星状神経や迷走神経から心臓や胃腸などに影響させる原理も説明できます。胃は横隔膜から下にあるのに上半身とは不思議な話ですが、古代では胃痛を心窩部痛と捉えていたのです。だから心痛と真心痛を分けて考えている面があり、心痛は胃痛なので治るが、真心痛は心臓の痛みだから助けようがないと考えていました。実際に胃を支配する迷走神経は頚を通っているので納得できます。そして下半身の臓器は腑が多く、胃や大小腸に行く交感神経は大腰筋の中を通ることから、足三里などの坐骨神経分枝を刺激することにより大腰筋に影響を与え、大腰筋の中を通る自律神経の刺激をなくさせようという原理です。もちろん古代では、そうした神経と自律神経の関係を意識してはなかったのでしょうが、「腑病には下合穴を使う」という記載が、こうした「風が吹けば桶屋が儲かる」式の治療を経験として生み出したのでしょう。つまり筋肉による神経の締めつけを緩めれば、痛みや冷えばかりでなく、内臓疾患も調えられることになります。それが北京堂の古代理論の応用です。

 

古代で、手足に刺鍼することが主流となった原因は、部屋が寒くて風邪を引くからです。『内経』には、邪気の侵入を防ぐため服の上から刺鍼すると書かれています。手足なら簡単にめくれ、また筆と墨しかなかった時代では、身体の断面図など分からなかったため、体幹に刺鍼すると危険があったからです。消毒の発想もないので、体幹が感染すると危険な状態にもなるでしょう。それで手足の末梢神経を介して体幹を治療する方法が主流になりました。