ごあいさつ
古代の中国医学
まず「なぜ鍼が効くのか」という命題に対して、それを現代の患者さんに説明し、納得してもらわねばなりません。まず理論がなければ、治らなかった時に、どこが間違っていたのか原因を探し出せません。また自分が納得ゆかないような理論に基づく治療を、自信を持って患者さんに勧められません。
中国医学は比喩を用いて説明します。証明ではありません。例えば雨が降れば芽が出て植物が生え、その植物が燃えると火が起こり、火が燃えた後は灰となって土に還り、土地からは鉱石が出て金属が生まれ、金属には朝露が着いて水となり、それが天に昇って雨となって地上に降り注ぐ。物性は、すべてこのように五行で分けられる。同じように漢方薬も比喩を用いて説明します。
ところが現代になり、地表がアスファルトやコンクリートで覆われると、雨が降っても植物が生えない。そもそも大昔のように地面が一面に広がり、そこらじゅうに樹木の種が落ちているという状況ではないから、雨が降っても芽が出ず、固いコンクリートでは根も張れない。薪を使う時代でもなく、ガスを使うから火が燃えても灰が残らない。鉱石から金属が生まれることと、金属表面が冷えると露が着くことは現在でも同じだが、そもそも露は植物の葉や蜘蛛の巣にだって着くため、金属だけの特性とはいえない。五行は現代において破綻しているのです。
そして東洋医学の天人合一という思想。人は直立する唯一の動物である。蛇は地を這い、鳥は空を飛び、動物は四足で地を駆ける。生物のうち人だけが直立するので天地と一致しているという比喩論。人が小さな天地(小宇宙)だからこそ、人と天地は対応しているのであり、人の頭が丸いから天は丸く、そして足が四角いから地は四角い。これは古代で地球の形など確かめようがなかったため、言ったもん勝ちのところがありました。ところが現代では天から地球が眺められ、地面が丸いことが分かっているので、人と天地が対応しないことが知られてしまった。宇宙の形は丸かどうか分からず、地面の形は四角でなく丸い。だから人は小さな天地だと主張しても、反論こそあれ説得力がない。人体と身体の一部が対応していることはDNAで証明されているといっても、脈診の時代には遺伝子工学もなかった。このように鍼灸や漢方薬が基盤としている五行理論だけでなく、天人合一理論も怪しくなってきました。
また人々が権威者の言うことをそのまま受け入れなくなってきました。すぐに反証を挙げるし、反証を挙げないまでも心の中では小馬鹿にしている。そこで現代人でも納得できる治療理論が必要となってきます。良導絡なら、なぜ電気が流れやすくなることが治癒につながるのか説明しなければならないし、脈診なら橈骨動脈の位置から内臓の状態が推測できる理由を説明し、対応していることを証明せねばなりません。車が四足動物と似ているからといって、ガソリンを食べ物、排気ガスをオナラに喩え、自動車がこうだから四足動物も同じはずという人はいません。ただ「イメージ的にそうなのだ」とか「昔の本に書いてあるからそうなのだ」では、現代では誰も納得しない。昔と現在は、古代人にとって魔法使いを見るように、現代人は昔と変わってしまっている。事実に基づいた因果関係の説明でないと患者を納得させられません。
鍼には様々な流派があり、それぞれ独自の治療理論を持っています。北京堂も同じく、主に中国の文献に書かれた様々な内容を治療の根拠にしています。
北京堂の理論も、やはり中国と同じく東洋医学の聖典と呼ばれる『内経』に基づいています。そこには「通じなければ痛む」とあります。通じない物とは経絡であり、経絡は経脈と絡脈、つまり血管の総称です。血管内には血液が流れていますが、中国医学では血液が気によって運ばれていると考えます。つまり風を含めた大気が肺に取り込まれて血液と結合し、動力となって血管の中で血を循環させる。だから気が滞れば血も進まなくなり、組織が栄養されなくなるから痛みが起きると考えています。そこで血管の詰りを取り除くために、鍼を突っ込んでパイプのように掃除する。そうすれば血管が再び通じるようになって血が循環して組織が栄養され、病は自然に治る。そのような血管が詰まっている場所を『内経』では「索」、表面血管なら「横絡」と呼んでいます。索はロープの意味で、筋肉が紐のように凝り固まった部位、横絡は血液が滞って怒張した部位です。そこに鍼したり血を出したりして、索や横絡を消すことが古代の鍼治療となります。もちろん北京堂の治療では古代の理論をそのまま引用しているのではなく、そこに古代理論では存在しなかった神経をプラスしています。