園だより

2023-02-27 10:37:00

AIの苦手な分野こそが強みになる

AIの苦手な分野こそが強みになる

 

これからの 社会に見合った力を

 

 みなさんご承知のとおり、AI社会になっていくなかでコンピュータの重要度はより増していくことにはなるでしょう。そこで大切になってくるのは、もちろん 「コンピュータが使えるようになる」ことですが同じくらい重要なのは「コンピュータが苦手な分野の能力を鍛える」ということです。

これまでの変遷を見ると、肉体労働は機械が代替してきました。何十トン、何百トンの土を掘り起こしたり運んだりするのは、人間は機械に到底かないません。

それと同じことが知的労働の場面でも起こっている、というのが現在のフェイズです。知的労働のうちでも単純作業的なもの、計算や記憶重視の仕事はすでにコンピュータに置き換わっていますし、今後はロジックに落とし込めるようなクリエイティブな要素が少ない仕事も、 AIに置き換わっていくことでしよう。

  コンピュータの方が得意な分野で張り合う無駄な努力はやめて、相棒にして価値を発揮できる人になっていくべきです。

  では、コンピュータが苦手とする分野とは何でしょううか。

  それは意志を持つということ、新しいものをつくったり表現したりすること、感情を理解してホスピタリティを発揮するといったことです。

  知的労働のうちでも、こうしたクリエイティブな作業をコンピュータに担わせようという動きもあります。たとえば、作曲したり歌詞を書いたり、小説を書くソフトが開発されていたりします。

  これは一見、コンピュータが新しいものをつくったり、表現したりすることができるようになったと思いがちですが、実はそうではありません。コンピュータが作曲したり、詩や小説を書いたりするには、人間がコンピュータにどのデータの特徴に注目すべきか指示しなければなりません。

  その「意図」こそが、人間の「意志」であり、「想い」が反映されるところです。これをコンピュータが自ら考えだすことはできません。

  また、「感管を理解するホスピタリティ」の分野も、コンピュータが苦手としています。たとえば、看護師や介護士が担うような分野です。

  相手の感情を理解したり、共感したり、場の空気を読んだりして、相手をもてなすという微細で複雑な行為は、生身の人間でいとなかなかできません。

  ロボットが看護や介護の現場に入って、患者や利用者に対して「わかりますよ」と言うことはできるでしょうが、どういう言葉や表情に反応して「わかるよ」といった方がいいのかは、人間がプログラミングしなければなりません。それに、ロボットから「わかるよ」と言われて等の患者が励まされたり癒されたりするのかということも、現実にはまだ未知数です。

  このように、コンピュータにはできない「意志を持つ」といったことや、「新しいものをつくったり、表現したりする」「人の感情を理解する」といった力を身につけることが、これからの社会ではより求められていくのです。

 

[中村一彰著 『子育てを元気にすることば』AI時代に輝く子どもより]

 

 

 

 

2023-01-30 10:25:00

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

  「小1プロブレム」という言葉があります。授業が始まってもおしゃべりをやめない、歩き回る子がいるなど、教師を悩ます状況があることが数多く報告されています。これまで、それは、親や園のしつけや規律教育の問題として語られることが多かったようです。

 しかし汐見稔幸さんは、それは違うと言います。それは、現代の子どもが育つ社会や環境、教育に対しての、子どもたちの「異議申し立て」なのだと。子どもが学ぶ喜びを、本当に感じられるような経験がなされているかが問題であると、指摘しています。

 かつての子どもたちは、近所という地域社会の中で自由に「放牧」されて育っていました。そこには、異年齢の群れ遊びがあり、秘密基地を作ったり、鬼ごっこをしたりして遊んだのです。こうした遊びの中で、工夫すること、企画力、リーダーーシップ、社会性、自主性、規律も含め、知らず知らずのうちに大切なことを総合的に学んでいたのです。しかし現代は、この遊びの体験が大きく失われており、汐見さんは、この問題を「学び」との関連で問題提起をしています。

 「遊び」と「学び」は対立したものとして理解されがちですが、そうではないのです。

 「子どもたちの遊びも、学問と言われる高尚な精神の営みも、同じようにカオスからコスモスを作り上げる作業というところで共通するものなのである。」という汐見さんの言葉にもあるように、子どもが本気で「遊び込む」ことは、学問にも共通する原理があるのだと述べられています。それは、カオス(混沌)からコスモス(秩序)を生み出す、学びのプロセスなのだということです。

 例えば、泥団子を作る遊びがあります。はじめは、そこには土と水があるだけです。そこから、子どもは試行錯誤しながら、硬くて光った泥団子を生み出します。

その過程で、どのぐらい水を足せばいいか、どのタイミングでどう磨いたらいいか、数多くの探究のプロセスを通して一つの泥団子を完成させます。そこには、そうとうな集中力や創造力、そして思考力が必要です。

 研究者が、新しい発見をするために試行錯誤するプロセスによく似ています。土と水だけのカオス(混沌)から、泥団子を完成させるというコスモス(秩序)を、導き出しているのです。

 子どもの育ちに[遊び込む」ことが「学び」として重要であることは、一般の方にはあまり理解されていないようです。それは、保護者だけでなく、教育関係者でさえそうかもしれません。21世紀型能力やアクティブラーニングが求められる時代、「遊び」の重要性を、いまこそ声を高く上げていくことが必要です。

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

 

2022-12-16 11:20:00

子どもの困った行動は大人に向けたメッセージ

子どもの困った行動は大人に向けたメッセージ

 津守真さんは、子どもの行為を、心の表現だと言います。

 

 「あるとき、私は子どもの行動を表現として見ることを発見した。行動は子どもの願望や悩みの表現であるが、それはだれかに向けての表現である。」

 

 このように一見、問題に見える行為も、その子がうったえる重要な表現として大切な意味を見いだすべきだと、彼は考えたのです。しかし、そう捉えることは決して簡単ではありません。実際の子育てや保育では、「どうしたら早くおむつがとれるか」とか、「どうやったら困った行為をやめさせられるか」といった、表面的なことばかりに振り回されてしまうからです。

  ずいぶん前に出演した、ある子育て番組での話です。2歳の女の子は、公園で友達と上手に遊べません。すべり台を滑ろうとすると、突然滑るのをやめて他の子を押しのけて階段を下りてしまいます。乗り物に乗ろうとした時には、他の子が一緒に乗ろうとすると「ダメ」と強烈に拒否するのです。友達がボールを蹴って遊んでいた時にも、「ダメ」と言ってボールを抱えて逃げてしまいます。親としては、友達とうまく遊べないわが子に悩むのは当然です。

  しかし、表面的には「友達とうまく遊べない子」「わがままな子」と見えますが、本当は違うのです。なぜ、その子がすべり台を下りたかといえば、滑ろうとしたら他の子に後ろから軽く押されたからです。それで、他の子から離れるために乗り物の方に行ったのです。「友達とうまく遊べない子」として見ていると、なかなかその事実に気づきません。乗り物には一人で乗ろうとしましたが、他の子がついてきて一緒に乗ろうとしました。ボールで遊ぼうとしたら、他の子たちが彼女のボールを蹴っていて、手に入らないのです。

  自分のペースでゆっくり遊びたいと思っている女の子にとって、それは[困ったこと」だったのです。それなのに、「どうして、お友達と一緒に遊べないの」と叱られます。この子の思いは、誰にも理解されないのです。この、一見「わがまま」に見える行為は、「願望や悩みの表現」といえます。それは、誰かに分かってほしいという表現ともいえるでしょう。その子を「うまく遊べない子」「わがままな子」と見ていると、「願望や悩み」はなかなか分かりにくいものです。でも、ちょっと立ち止まって見てみると、その子の思いが分かってきます。

  困っているのは大人ではなく、子どもなのです。問題があると思っている時こそ、その子が何に困って表現しているのかと、じっくりと見てあげたいものです。

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

2022-11-28 15:31:00

ネットに頼ると「負け続ける育児」になる

ネットに頼ると「負け続ける育児」になる

――高橋先生は育児におけるインターネットの過剰利用について警鐘を鳴らしておられます。どういう問題があるとお考えですか。

高橋 大きな問題としてあげられるのは、親たちが自分の育児に自信をなくしていることです。そもそもこの世に「正しい育児法」が存在するかどうかも疑問ですが、それを是として、「正しい育児」とはどういうものか、答えをネットに求める傾向があるのです。情報を“つまみ食い”するのに、ある程度信用できて、一番お手軽なフィールドがインターネットだということでしょう。

 ネットを検索すると、実際、「正しい」と思われる情報がたくさん出てきます。なかでも自分の考えに近く、役に立ちそうな情報を拾い読みしていくと思うんですが、そのときに陥りやすい問題があります。それは、自分か実践している育児と比べて、少しだけレベルの高い方法に「正しさ」を求めがちだ、ということです。

 そうなると、もうキリがない。「これは自分より正しい」[こっちはもっと正しい」となって、ネット検索が「正しい育児」という“鬼”をつかまえる“追いかけっこ”のようになる。これが「負け続ける育児」につながってしまうのです。

 たとえるならそれは、「どんな栄養素を摂れば、病気にならない体をつくれるか」と、正しい栄養の摂り方を求めてネット情報を集めまくるようなものです。検索すれば「亜鉛が不足すると、こんな症状が出ます」「鉄分が不足すると、こんな病気になります」といった具合に、たくさんの情報が出てきます。

 しかし、どんなに体に大切な栄養素でも、大量に摂ればいいというものではない。足りないと病気になるということと、摂れば摂るほど健康になるということはまったく別の話ですが、どうも育児でもそれと似た誤解が広がっていると思います。

 

――ネットの普及が、よその子と比べることを助長している部分もありますね。

高橋 他者と比較するということは、つまるところ、「自分の子を、優秀とされる子どもたちのカテゴリーに入れようとする」ことにほかなりません。個性を認めるのとは逆方向の考え方ですね。

 ネットの普及でその種の情報も「正しい育児」の検索範疇に入ってきています。こちらもやはり「負け続ける競争」にしかならない。学校内やクラス内で試験の点数を比べ合うくらいなら、まだ実感をともなうから勝ち負けがあってもいい。でも全国模試レベルになって、顔の見えない相手、つまり偏差値と比べっこを始めると、いつか必ず負けますからね。

 他者との比較は避けられないとしても、見えない無数の敵、実像をともなわない相手と競争することは避ける。その点だけは気をつけたほうがいいと思います。

[養老孟司 『子どもが心配』より]

・・高橋孝雄 慶応義塾大学医学部小児科主任教授

 

2022-09-26 15:36:00

脳は3階建て

脳は3階建て

 脳は、大まかに言うと3階建てになっています。1階は、首の後ろの辺りにある脳幹で、「生きるための脳」ともいわれています。呼吸、体温、心臓から血液を送り出す心拍、睡眠、覚醒、食欲など、生存に必要なことをつかさどっている、非常に原始的な脳です。

 2階は、脳のほぼ中心にある偏桃体と呼ばれる部分で、喜怒哀楽などの感情をつかさどっています。心が弾むとか、心が痛むという「心」は、この部分です。五感とひとくちにいっても、脳の部位で視覚、聴覚等いろいろ分担されているわけです。2階部分にある偏桃体は、味や匂いの他、喜怒哀楽などにも関係しているので「感じる脳」と呼ばれています。

 3階部分は、額のあたりで、大脳全体の中で特に人間だけが発達しているという前頭前野や前頭連合野です。この部分は、感情をコントロールしたり、意欲的に物事に取り組む、諦めないで頑張るなどといった非認知能力をつかさどる部分です。論理的に物事を判断したり、想像力を働かせたり、人とコミュニケーションをとったり、思いやりとかおもてなしなど、高次機能の感情をつかさどっています。ここは、「考える脳」といわれます。人間として生きていくためには、この3階部分がとても大切ですが、3階が成り立つためには、1階、2階がしっかりしていなければなりません。

 例えば、睡眠不足であれば、ボーッとしたり、イライラしたりして、「感じる脳」が安定しません。そして、「感じる脳」がうまく働かなければ、気持ちを上手にコントロールできず、イライラが爆発するなど、気持ちのよい生活が送れなくなってしまいます。ですから、まずは、基礎部分の1階をぐらつかせないようにする必要があります。

 

「考える脳」を育むには、あそびが重要

 友達と折り合いをつけて何かをしたり、意欲をもって粘り強く何かに取り組んだりする、いわゆる非認知能力を育てるには、この3階建ての3階部分、「考える脳」を育んでいかなければなりません。それには、何よりもあそびが重要です。

 今までの日本の教育では、暗記したり、与えられた問いに対してきちんと答えを言えたりすることが大事だとされることが多かったのですが、現在は、STEAM教育が重視されるようになってきました。STEAM教育とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(芸術)、Mathematics(数学)を統合的に学習すること。それには、非認知能力や自分で考える力が必要です。

 なぜ、あそびが大切かというと、あそびは子どもたちが自分で考えながらつくっていくからです。例えば、泥団子を作るには白い砂が必要であるとか、ここに川を作ればもっとあそびが楽しくなるのではないかとか、ブランコに10数えるまで乗ったら、待っている子と代わってあげようとか、子ども自身が気づいたり工夫したり、考えたり決めたりしていきます。そのように自分で判断して決めていくということが、学びの土台である探究心だとか、考える力、非認知能力を育むためにとても重要なのです。

 また、運動あそびを専門の先生が来てトレーニングする園よりも、自由あそび中心の園のほうが、運動能力が高くなるというデータもあります。先生が来て子どもたちに跳び箱を跳ばせるといっても、全員に跳び箱があって一斉にできるわけではありません。どうしても、待ち時間のほうが長くなります。その間、座って待って動かないということも多いのです。しかし、自由あそびだと、ある子は砂場に行き、ある子はブランコに乗るというふうに、みんながやりたいことをして、常に動いているし、先生に言われたことをするのではなく、一人ひとりが自分で考えて行動しているからです。

(乳幼児の睡眠と脳科学/鈴木みゆき著 げんきNo.192 より)

 

 

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