園だより

2023-09-13 14:07:00

乳幼児期の学び

わたしたちが目指したい社会と環境構成

 昭和の高度成長期には、指示通りに行動し指示以外のことはしない人間を育てる画一型の教育が行われてきました。

 しかしこれからの時代は、変化の激しい予測不可能な社会です。指示通りに行う仕事はAIが行い、人間に残される仕事は創造性と柔軟性が必要な仕事や、複雑なコミュニケーションが伴う仕事です。子どもたちは、これから過去の経験では解決できない課題と向き合うでしょう。社会は大きく変化しています。保育者は自分か受けた画一的な教育とは違う保育を創り出す必要があります。

 2017、2018年に改訂された「学習指導要領」は、幼児期から高等教育まで教育課程全体を通して育成をめざす資質・能力として三つの柱を示しています。

1.何を理解しているか、何ができるか。

  生きて働く「知識・技能」の習得。

2.理解していること・できることをどう使うか。

  未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成。

3.どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか。

  学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養

 要領に示される学習者の要はとても主体的です。このような資質・能力を育むには、保育者の指示通りに行う活動中心から、環境に対して子どもが働きかける主体的な活動を中心にする必要があります。

 

乳幼児期の学び

 幼児教育といえば、体操教室、音楽教室など、小学校のような教室のイメージをもつ人も少なくありません。しかし、乳幼児期は、学童期とは異なる発達段階にあり、学童期とは異なる学習経験が必要です。

 乳幼児期の効果的な学びは、情緒と体の安定が基礎であること、身体と感覚を使った体験による学びであること、自発的に始まり環境との関わりによる学びであること、抽象化された教材(教科書や視聴覚教材)よりも、自然や物、人など具体物による学びであること、状況の中での学びであること、子どもが必要に応じて学ぶことといえます。

 そのために乳幼児期は、遊びを通した教育を行い、保育者は環境を構成して子どもの豊かな体験を支えます。ただし、保育所・幼稚園、認定こども園での遊びは、完全に自由な遊びではなく、保育者の意図に支えられ、保育者が行う環境構成に影響を受ける遊びです。

 遊んでばかりでは、小学校で机に座ることができるか心配する保護者もいることでしょう。実は逆で、のびのびと遊び、情緒と身体が安定した子どもは、意欲的に学習に取り組むことができます。教科書を広げる、字を書く、消しゴムで消すといった行動にも、安定した身体と調整能力が必要です。自分で状況を判断し行動する主体的な生活態度と、わからないことを人に尋ねるコミュニケーション能力を身につけている子どもの場合、園と学校の文化の違いは問題になりません。

 乳幼児期には、学童期以降の抽象的な概念の学習を行う前に、抽象的な学習の土台となる遊びと生活の体験を積む必要があります。たとえば、小学校以降の計算や応用問題、文章を使って表現する算数を理解するには、乳幼児期に豊かな数量体験を積み、思考力や表現力の基礎を培うことが大切です。保育者は、子どもたちが遊びや生活の場面で、重さや広さ等を身体で感じる体験や、分ける、比べる、順序づける等の体験を積むことができるように環境を構成します。

  (環境構成の理論と実践 保育の専門性に基づいて/高山静子著より)

 

2023-07-24 18:06:00

わたしたちが目指したい社会と環境構成

わたしたちが目指したい社会と環境構成

 昭和の高度成長期には、指示通りに行動し指示以外のことはしない人間を育てる画一型の教育が行われてきました。

 しかしこれからの時代は、変化の激しい予測不可能な社会です。指示通りに行う仕事はAIが行い、人間に残される仕事は創造性と柔軟性が必要な仕事や、複雑なコミュニケーションが伴う仕事です。子どもたちは、これから過去の経験では解決できない課題と向き合うでしょう。社会は大きく変化しています。保育者は自分か受けた画一的な教育とは違う保育を創り出す必要があります。

 20172018年に改訂された「学習指導要領」は、幼児期から高等教育まで教育課程全体を通して育成をめざす資質・能力として三つの柱を示しています。

 

1.何を理解しているか、何ができるか。

  生きて働く「知識・技能」の習得。

2.理解していること・できることをどう使うか。

   未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成。

3.どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか。

  学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養

 

要領に示される学習者の要はとても主体的です。このような資質・能力を育むには、保育者の指示通りに行う活動中心から、環境に対して子どもが働きかける主体的な活動を中心にする必要があります。

 

乳幼児期の学び

幼児教育といえば、体操教室、音楽教室など、小学校のような教室のイメージをもつ人も少なくありません。しかし、乳幼児期は、学童期とは異なる発達段階にあり、学童期とは異なる学習経験が必要です。

乳幼児期の効果的な学びは、情緒と体の安定が基礎であること、身体と感覚を使った体験による学びであること、自発的に始まり環境との関わりによる学びであること、抽象化された教材(教科書や視聴覚教材)よりも、自然や物、人など具体物による学びであること、状況の中での学びであること、子どもが必要に応じて学ぶことといえます。

そのために乳幼児期は、遊びを通した教育を行い、保育者は環境を構成して子どもの豊かな体験を支えます。ただし、保育所・幼稚園、認定こども園での遊びは、完全に自由な遊びではなく、保育者の意図に支えられ、保育者が行う環境構成に影響を受ける遊びです。

遊んでばかりでは、小学校で机に座ることができるか心配する保護者もいることでしょう。実は逆で、のびのびと遊び、情緒と身体が安定した子どもは、意欲的に学習に取り組むことができます。教科書を広げる、字を書く、消しゴムで消すといった行動にも、安定した身体と調整能力が必要です。自分で状況を判断し行動する主体的な生活態度と、わからないことを人に尋ねるコミュニケーション能力を身につけている子どもの場合、園と学校の文化の違いは問題になりません。

乳幼児期には、学童期以降の抽象的な概念の学習を行う前に、抽象的な学習の土台となる遊びと生活の体験を積む必要があります。たとえば、小学校以降の計算や応用問題、文章を使って表現する算数を理解するには、乳幼児期に豊かな数量体験を積み、思考力や表現力の基礎を培うことが大切です。保育者は、子どもたちが遊びや生活の場面で、重さや広さ等を身体で感じる体験や、分ける、比べる、順序づける等の体験を積むことができるように環境を構成します。

  (環境構成の理論と実践 保育の専門性に基づいて/高山静子著より)

 

2023-06-26 15:14:00

「自分で」は自信がついてきた証拠

「自分で」は自信がついてきた証拠

 2歳になると、手先が器用になり、運動能力もついてくるので、自分でやってみたいという要求がふえてきます。自分に対する自信もついてくるので、いままでやっていなかったことにもチャレンジしてみたくなるのです。

 そのために、親がやってあげようとすると「自分でやる」と言い張って、なんでも自分でやってみようとします。

 言葉をかえていえば、大人のやっていることをじっと見ていて、「自分もやってみたい」という自我が育ってくるのがこの時期です。

 

大人がやれば10秒、子どもだと10分!

 靴を自分ではくと言い張って、どんなにやってもうまくいかず、じれて泣きだす。それならとお母さんが手助けしようものならもう手がつけられないほど怒って、大泣きしてしまう。あるいはごはんを自分で食べるといって、盛大にこばす。たまりかねて食べさせると、怒り狂ってテーブルの上のものを全部床に落としてしまったり、このころの「自分で」につきあうのは本当に大変です。

 しかし、子どもが「自分で」と言い出したときは、自我や能力が飛躍的に伸びるチャンスですから、親の都合やうっかりした対応でその意欲をつぶしてしまわないように気をつけましょう。

「自分で」と言ったときのプライドをどれだけ保証してやるかという親のゆとりが、決定的に大事になってきます。

「自分」と言って始めたことでも、できなくてあたりまえと思ってあげましょう。よくできたら「すごいわね」とほめてやるのは当然ですが、失敗したり、途中で挫折しそうになったら、「もうちょっとだったのに、残念だね」とか「じゃあ、いっしょにやってみようか」などと声をかけてやります。

 

子どもの有能感を育てる

 2~3歳のころは「自分はなかなかに有能なんだ」という意識を育てる時期です。この感覚が十分に育つと、子どもは積極的に集団の中に入っていけるようにもなります。

 この感覚を育てるのに「自分でやる」ことは大いに役立つので、子どもが自分でやりたがったら、なるべくその希望はかなえてあげましょう。子どもが自分でやりだすと、お母さんのぺ-スどおりにはいかないことが多くなりますが、そういうことをくぐり抜けていくのが子育ての当面のテーマなのだと、心がけてほしいのです,

 そのためには、親の精神的なゆとりがあることが絶対に必要です。

 3歳ごろになると、パジャマの着かえ、歯みがきなどの自立の訓練が始まりますが、子どもが言いだしたときがチャンスです。やりたくないのに「はい、きょうからよ」なんて言われても、いやになってしまうだけですから。お母さんは、子どもが言いだすチャンスをのがさないようにしましょう。

「自分で」と言いだすには、いろいろなことに興味を持つ心が必要です。もし、あまり「自分で」に固執しない子だったら、親がうまくリードしてやってもいいと思います。しかし、あくまでも子どもの後ろからついていくという原則はくずさないようにしましょう。

 たとえばNHKの「おかあさんといっしょ」を見ていて、テレビの前でいっしょに歯みがきのまねをし始めたら、お母さんもいっしょにまねをして、歯みがきって楽しそう、もっとやってみたい、と思わせてあげます。簡単なお手伝いを体験させるのもいいことです。「新聞をとってきてちょうだい」とか「ドアを閉めて」といったことでも、「自分で」やったことがみんなのためになったという体験は非常な自信につながり「ぼく(わたし)って、けっこう有能なんだ」ということを確信することができます。

(0~3才 能力を育てる 好奇心を引き出す/汐見稔幸著より)

 

2023-05-29 15:07:00

一人の人間が親になるということ

 

一人の人間が親になるということ

 

(1) 「親になる」 ということ

 

 保護者も自分が子どもを産むまでは「育てられ る者」でしたが, 子どもができると急に「育てる 者」という役割を担っていくことになります。 自分はどうやって育てられたのかなど、 自分の育ちを子どもに映し始めたり、母・娘・妻としての自分と向き合うなど、 様々な自分に対する問いが始 まってきます。

 

(2)“育てられ方” との向き合い

 

自分が育ってきた過程で,自分の親との関係が 肯定的であれば、親としての自分を連想しやすいのですが,困難を経験してきた場合, 嫌な記憶を思い出すか、過去に蓋をしたい反応を引き起こす場合もあります。

 

思春期は,それまでの親子の関係をベースにして,親から離れて信頼できる大人をモデルに生きていこうとする大きな段階です。 このときに親との関係が上手くいっていないと,自分に自信のな いまま誰かに依存してしまうようになります。困ったときに頼れる人や愛着対象を探し始め、 パートナー,仲間,支援者がその対象になります。 従って、安定した思春期を過ごせていたかどうかが とても大事になります。 保育者との関係で難しさを感じている保護者の多くは、 思春期の親子関係 が上手くいっておらず、保育者との間で思春期のやり直しをしていることがあります。 悪態をつく, 頼りたいけれど頼れない, 頼っているが先生に言 われたことは聴きたくないなど,このような揺れはまさに思春期の状態です。

 

(3)“育てられ方” と “育て方” の両面との向き合い

 

子どもを産んでから自分の母親との関係で葛藤している保護者が結構います。子ども時代をどのように振り返っているか、特に母親との関係がどうだったか、自分はどんなふうに育てられたのかということを意識します。 例えば, 育て方について口出しをされると, 振り返って思いおこせば,“私は母親の言うとおりに育ってきた”ことに気付くことがあります。「私は自分のやりたいことを全部我慢してきた」ということや, 思春期では,「本当はこっちのことがやりたかった」 という気持ちがあったけれど,親が期待するからこの道を選んだ」ということに気付いてきます。 このように,意識的,無意識的な振り返りから,子どもが産まれて祖母と母親の関係になって対立し始めということがあります。

 

(4)“育て方”の獲得(育てられ方の影響は?)

 

“育てられ方” の影響を受けて “育て方” を獲得していきますが, その養育の仕方は大体3つくらいに分かれてきます。

 

①柔軟型/感受・応答型は,安心できる親子関係です。子どもの安全確保を中心に, 養育行動を明確に把握できる, 子どもに危ないことをさせない、危ないことをしようとすると上手にケアしストップをかけることができます。 子どもの機嫌が悪いときにどう対応できるかがポイントになります。

 

②拒絶型/軽視型は、頑固で子どもに対して厳しく、親の方からの要求が多いタイプです。子育てに意欲はあるが,子どもの育ちに対して関心が低く,母親としての居心地の悪さを感じています。「母親というよりも仕事をバリバリする自分の方が好き」 「早く大きくなってくれたらいいのに」 子どもと触れ合うことが面倒だというタイプです。

 

③不確実型/過敏反応型は、子育てのイメージが獲得できず,危険なできごとを上手く認知できません。認知しても効果的な関わりがイメージできず「どうしたらいいんでしょう」 「よくわからないんです」など保育者に質問が多いのですが, アドバイスをしても理解しにくく, 絶えず強い不安があります。 子どものことを一生懸命見ているかと思うと大事なところで目を放しているなど,親子の関係性で波長が合っていないタイプです。

 

(5)“育て方” に影響を与える社会

 

気質的に難しい子どもを持っていても、 生活上の社会的サポートがあれば母親は安定します。他者からの好意を受けたり, 肯定的な経験をしたりすることで養育表象に変化が起き, 自分の子育てのイメージがいい方向に変わっていきます。しかし、今の日本では 「子どもが泣いているのにほったらかしにしている!」 「あのお母さん、ちゃんとやれているのかしら」 という目で見られることも多く、 「自分の子育てを監視されているみたい」と言う母親もいます。他者から好意を受け、「お母さんよくやってるよ」 と言われる機会や肯定的 な経験をすることがとても少なくなってきています。

なことは、普通の大人にはしませんよね。本来、小さな子どもにも、「あなたはどうしたい?」とか、「ここまでがんばってみる?」と聞いてもらえることが尊厳を大切にしているということなのです。

しつけにおいては、その子のペースが保障されたり、その子のうまくいかなさを理解してもらえたり、がんばろうとしていることを認めてくれる他者の存在がとても大切なのです。それは、排せつだけでなく、食事・衣服の着脱・言葉・運動など、全ての子育てにおいて言えることです。それが、ひとりの人間としての尊厳が大切にされるということなのです。そのようにかかわられることで、子どもにはしっかりとした自我が育ち、自尊感情が育ちます。これは、生涯の根っことなる重要な育ちにつながるのです。[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

 

 

 

2023-05-26 18:07:00

子どもを人間として見ることが自尊感情を育てる

子どもを人間として見ることが自尊感情を育てる

近年、子どもへの体罰が大きな問題として取り上げられています。「しつけ」や「教育」という名の下に、体罰が容認されていたような風土があったのでしょう。大人に対して暴力を振るえば罰せられるのに、子どもに対する場合は「体罰」とされてきたのは、とてもおかしなことです。その背景には、子どもという存在を、大人とは違った「小さく未熟なもの」として捉えるまなざしがあるからだと考えられます。その場合子どもは、大人と同じ「ひとりの人間」として、見なされていないことを意味します。 しかしそれでいいのでしょうか。

倉橋惣三は、戦後間もない現代とは子育ての環境も全く違う時代にすでに、子どもへの普遍的なまなざしとその権利について、強い言葉で述べています。

「人間は一人として迎えられ、一人として遇せらるべき、当然の尊厳をもっている。(中略)幼きが故に、一人の尊厳に、一のかわりもない。」

近年、子育て環境の変化から、トイレットトレーニングに悩み、子どもにイライラしてしまう親が多いようです。早くおむつがとれるようにとつい焦って、声を荒らげてしまう場合もあります。親の大変な気持ちはとてもよくわかります。たしかに、誰がやっても大変です。しかし、排せつという生理現象は、本人もなかなかコントロールしにくいものです。うまくいかなかった場合、子どもにも当然プライドがあり、とても傷つくのです。失敗して、大人からいら立つ表情を見せられると、子どもはとても情けない気持ちになり、尊厳を傷つけられるのです。

私たち大人自身が将来、高齢者になって、もう一度おむつを着けるようになった時を想像してください。きっと、そのつらさがわかるでしょう。

園での保育も、同じようなまなざしで取り組みたいものです。食事を残さず全部食べ終わるまでは、片づけてはいけないというのはわかりやすい例です。

 

無理やり口に入れられるのも、どれほど尊厳を傷つけられるでしょう。このようなことは、普通の大人にはしませんよね。本来、小さな子どもにも、「あなたはどう

したい?」とか、「ここまでがんばってみる?」と聞いてもらえることが尊厳を大切にしているということなのです。

しつけにおいては、その子のペースが保障されたり、その子のうまくいかなさを理解してもらえたり、がんばろうとしていることを認めてくれる他者の存在がとても大切なのです。それは、排せつだけでなく、食事・衣服の着脱・言葉・運動など、全ての子育てにおいて言えることです。それが、ひとりの人間としての尊厳が大切にされるということなのです。そのようにかかわられることで、子どもにはしっかりとした自我が育ち、自尊感情が育ちます。これは、生涯の根っことなる重要な育ちにつながるのです。[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

1 2 3