ごあいさつ

園だより

2022-12-16 11:20:00

にこにこだより(156)

子どもの困った行動は大人に向けたメッセージ

 津守真さんは、子どもの行為を、心の表現だと言います。

 

 「あるとき、私は子どもの行動を表現として見ることを発見した。行動は子どもの願望や悩みの表現であるが、それはだれかに向けての表現である。」

 

 このように一見、問題に見える行為も、その子がうったえる重要な表現として大切な意味を見いだすべきだと、彼は考えたのです。しかし、そう捉えることは決して簡単ではありません。実際の子育てや保育では、「どうしたら早くおむつがとれるか」とか、「どうやったら困った行為をやめさせられるか」といった、表面的なことばかりに振り回されてしまうからです。

 

 ずいぶん前に出演した、ある子育て番組での話です。2歳の女の子は、公園で友達と上手に遊べません。すべり台を滑ろうとすると、突然滑るのをやめて他の子を押しのけて階段を下りてしまいます。乗り物に乗ろうとした時には、他の子が一緒に乗ろうとすると「ダメ」と強烈に拒否するのです。友達がボールを蹴って遊んでいた時にも、「ダメ」と言ってボールを抱えて逃げてしまいます。親としては、友達とうまく遊べないわが子に悩むのは当然です。

 

 しかし、表面的には「友達とうまく遊べない子」「わがままな子」と見えますが、本当は違うのです。なぜ、その子がすべり台を下りたかといえば、滑ろうとしたら他の子に後ろから軽く押されたからです。それで、他の子から離れるために乗り物の方に行ったのです。「友達とうまく遊べない子」として見ていると、なかなかその事実に気づきません。乗り物には一人で乗ろうとしましたが、他の子がついてきて一緒に乗ろうとしました。ボールで遊ぼうとしたら、他の子たちが彼女のボールを蹴っていて、手に入らないのです。

 

 自分のペースでゆっくり遊びたいと思っている女の子にとって、それは[困ったこと」だったのです。それなのに、「どうして、お友達と一緒に遊べないの」と叱られます。この子の思いは、誰にも理解されないのです。この、一見「わがまま」に見える行為は、「願望や悩みの表現」といえます。それは、誰かに分かってほしいという表現ともいえるでしょう。その子を「うまく遊べない子」「わがままな子」と見ていると、「願望や悩み」はなかなか分かりにくいものです。でも、ちょっと立ち止まって見てみると、その子の思いが分かってきます。

 

 困っているのは大人ではなく、子どもなのです。問題があると思っている時こそ、その子が何に困って表現しているのかと、じっくりと見てあげたいものです。

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

2022-11-24 12:44:00

にこにこだより(155)

ネットに頼ると「負け続ける育児」になる

 

――高橋先生は育児におけるインターネットの過剰利用について警鐘を鳴らしておられます。どういう問題があるとお考えですか。

 

高橋 大きな問題としてあげられるのは、親たちが自分の育児に自信をなくしていることです。そもそもこの世に「正しい育児法」が存在するかどうかも疑問ですが、それを是として、「正しい育児」とはどういうものか、答えをネットに求める傾向があるのです。情報を“つまみ食い”するのに、ある程度信用できて、一番お手軽なフィールドがインターネットだということでしょう。

 

 ネットを検索すると、実際、「正しい」と思われる情報がたくさん出てきます。なかでも自分の考えに近く、役に立ちそうな情報を拾い読みしていくと思うんですが、そのときに陥りやすい問題があります。それは、自分か実践している育児と比べて、少しだけレベルの高い方法に「正しさ」を求めがちだ、ということです。

 

 そうなると、もうキリがない。「これは自分より正しい」[こっちはもっと正しい」となって、ネット検索が「正しい育児」という“鬼”をつかまえる“追いかけっこ”のようになる。これが「負け続ける育児」につながってしまうのです。

 

 たとえるならそれは、「どんな栄養素を摂れば、病気にならない体をつくれるか」と、正しい栄養の摂り方を求めてネット情報を集めまくるようなものです。検索すれば「亜鉛が不足すると、こんな症状が出ます」「鉄分が不足すると、こんな病気になります」といった具合に、たくさんの情報が出てきます。

 

 しかし、どんなに体に大切な栄養素でも、大量に摂ればいいというものではない。足りないと病気になるということと、摂れば摂るほど健康になるということはまったく別の話ですが、どうも育児でもそれと似た誤解が広がっていると思います。――ネットの普及が、よその子と比べることを助長している部分もありますね

 

高橋 他者と比較するということは、つまるところ、「自分の子を、優秀とされる子どもたちのカテゴリーに入れようとする」ことにほかなりません。個性を認めるのとは逆方向の考え方ですね。

 

 ネットの普及でその種の情報も「正しい育児」の検索範疇に入ってきています。こちらもやはり「負け続ける競争」にしかならない。学校内やクラス内で試験の点数を比べ合うくらいなら、まだ実感をともなうから勝ち負けがあってもいい。でも全国模試レベルになって、顔の見えない相手、つまり偏差値と比べっこを始めると、いつか必ず負けますからね。

 

 他者との比較は避けられないとしても、見えない無数の敵、実像をともなわない相手と競争することは避ける。その点だけは気をつけたほうがいいと思います。

[養老孟司 『子どもが心配』より]

 

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