お知らせ
2024 / 03 / 14 16:17
大判焼きが【きんつば】と云われる所以
ご存知の一般的に云うきんつばは、明治時代になり、粒餡羊羹を煮詰め羊羹船に流し込み冷めたなら四角状にカットし、小麦粉を溶いた生地を絡め、鉄板や銅板上で6面を焼いたお菓子がきんつばです。その他潰し餡を小麦粉の白い生地で包み、蒸したお菓子蒸しきんつばもございます。江戸で発祥し作られた、きんつばの原形は、潰し餡を小麦粉の生地で包み、鉄板や銅板上で丸い形や四角に整えて焼いた品をきんつばと言っていたようです。会津のお殿様が庶民に推奨した、きんつばはこちらかと思います。当店所有の古い本にも、此の製法について載っております。昔から会津、郡山で売られた現在の大判焼きの原形とも言える小丸の焼き型で作る小判のきんつばについて、年齢を重ねた方々に思い出を聞きましたが、いずれもその当時の品は小さかったと言っていましたから、きんつばとは小さいイメージでして、一括りで潰し餡を用いたこの商品を、きんつばと呼んだものと思われます。当時きんつばと言っていた、その原型とも言える銅製の小判の焼き型は、幸運にも当店に残っておりまして、きんつばと呼ぶには相応しい焼き型です。記憶を辿りますと、高度成長期に入り昭和40年代後半ころから、会津、郡山にも現在の丸くて大きいサイズの大判焼(回転焼)が普及すると、今までのきんつばは、余りにも小さくて大判焼(回転焼き)とは語れず姿を消してしまいました。その名残で現在売られている大判焼きをきんつばと当地方では呼んで居ります所以かと思います。白河地方でも呼んでました。(諸説はあるかと思います) 取材協力 福島県菓子工業組合 事務担当 遠藤智美