七夕踊資料館

踊りの構成

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虎がくっどー

「トラがくっどー」の、トラトリ(虎捕り)の叫び声で、虎が姿を現します。トラトリは、身を隠しながら虎に近づき、隙を狙って槍で射止めます。 トラトリは、射止めた虎の前で、分け前などを即興で面白おかしく相談しあいます。しかし、トラトリの「虎を捕っても油断のすんなー」の掛け声で、再び立ち上がり暴れ始めます。
 

虎を奉納するのは島内集落。その昔、太鼓踊りに華を添えるため、また、踊りを盛り上げるため当時の長が各集落の青年に「太鼓踊りの余興を持って来い」の一声から作り物や行列等各集落趣向を凝らした余興としての踊りが始まった。その最初が作り物の虎です。ですから、当初、踊りの先頭は「虎」でしたが、大正時代のいつの頃からか、先頭は「鹿」に変わりました。踊りの先頭であった証が、虎の前に立つ「虎旗」です。この旗は、ここが「踊りの先頭」の意味があったと考えられます。

また、この虎は、秀吉の朝鮮の役での島津陣中虎狩を模したもの、虎旗にある「永野・帖佐・安田・福永」の名称は、記録に残っている虎狩をした郷士の名前です。虎捕りは、この名前を呼び合いながら即興での田園劇を繰り広げます。

虎狩2.jpg松の枝に虎の尾を引っ掛けた福永助十郎、止めを指した永野助七郎、虎に傷を負わせたが股を咬まれて死んだ帖佐六七

 

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虎がガブリ(撮影:浜田 和憲)

073.jpg怖いのかな

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牛が跳ぶ(撮影:橋本 保)

 昔の百姓にとって牛は無くてはならないも、七夕踊は農民の祭り、牛は欠かせません。堀・平木場、払山・松原、寺迫、木場迫・中福良など、その年、各集落が奉納を決めます。昔は、4頭も奉納された時代もありました。七夕踊では、牛と牛使いの所作をユーモラスに表しています。
 踊りでのウシツケ(牛使い)はなかなか難しい役で、マエツケ(前使い)とアトツケ(後使い)がいます。マエツケが「ゼイ、ゼイ」と言うと牛は後に下がり、時に後部を空中高く持ち上げます。これを「牛が飛ぶ」と言います。 そして、マエツケの「コーじゃがそら~」の掛け声で鼻輪をとって顔をたたくと前に進みます。

牛を最初に奉納したのは下手中集落といわれます。約350年前、大里田圃開田前の下手中集落の目の前には、敷田と呼ばれた葦が原が広がっていました。開田の工事では、そこに大谷山から切ってきた柴木を牛に引かせて運ばせ、その柴木を敷いて工事を進めました。その牛の運ぶ様(さま)に、下手中の青年たちがインスピレーションを得て、作り物の牛を創造したのではないかと筆者は想像します。だから、七夕踊の牛は、農耕用の牛ではなく、運搬用の牛(ダヒゴロ)です。それは、牛の背中につけ「カラン・カラン」と音を出す金具があるからです。

農高2.jpg牛は、こんな作りです。

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集落毎に牛の表情は違う

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絵になる牛の「ゼイ」

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