七夕踊資料館

踊りの構成

2016-05-10 20:53:44
優美に華やかに(長 勝幸).jpg

太鼓踊り(撮影:長 勝幸)

七夕踊は、前踊り(作り物・行列物)と本踊り(太鼓踊り)で構成されている。踊る順番は、踊りの先頭は作り物の鹿、そのあと虎・牛・鶴と続く。鶴は、作り物の最後尾で、行列物の先頭でもある。その後、大名行列(奴道中)、琉球王行列、薙刀行列と続き、最後に太鼓踊りが登場する。

薩摩半島は、太鼓踊りの宝庫、伊作太鼓踊り加治木太鼓踊りなど多くの太鼓踊りがあり、大変バラエティーに富んでいる。大里の太鼓踊りは「念仏踊り」で哀調漂う踊りである。踊りの歌詞は、藩政時代、薩摩藩の武士が、士気の高揚・藩公の慶賀・忠誠心の表現として、城下で踊っていた「武士踊」のものである。なぜ、農民の祭礼である七夕踊に、武士の踊りの歌詞を使うことを許されたのか。市来が薩摩藩の直轄地であったことと無関係ではないだろう。東シナ海に浮かぶ甑島の薩摩川内市里町には「武士踊り」が原形に近い形で伝承されている。歌詞も、七夕踊の歌詞とほぼ同じである。

 

P1060740.jpg堀ノ内の庭にある到住碑に誠を捧げる一っ番ドン

武士踊.jpg明治時代の絵葉書にある「武士踊り」(文華堂発行)円陣を組んでいる。

 

2016-05-01 10:17:58
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太鼓踊2

作り物のイメージが強烈な七夕踊ですが、あくまでも踊りの中心は、太鼓踊りです。そのことを、ライターで旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」を主催する大石始さんは、次のように表現しています。

「市来の七夕踊りのなかでもっとも重要な役割を果たしているのが太鼓踊りです。薩摩半島の他の太鼓踊りに比べ、市来のものは決して派手なタイプではないでしょう。
 確かにリズムは全体を通して大らかなものですが、どこか深淵な響きがあり、僕を多いに惹きつけました。そして、この太鼓踊りは七夕踊りのエンジン部分と言ってもいいのではないでしょうか。あのリズムがなければ、七夕踊りが前進することはありません。その意味で太鼓踊りの大きなリズムは七夕踊のハートビート(鼓動)のようにも思えたのです。」

七夕踊の太鼓踊りは奥深いですよ。

2016-05-01 21:21:55
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七夕踊の歌詞その1(撮影:渡辺 洋平)

一、千歳まで 限れる松も今日よりは君にひかれて万代や経ん

(現代語訳)「千年も生きるといわれる松も、今日からは君の徳にひかれて、なお万年も生き延びるであろう」

(解説)七夕踊の歌い上げ「千歳まで・・」は、平安時代中期の「拾遺集」にある大中臣能宣朝臣の和歌です。これは、江戸時代以前から、神事の場や寺院などの舞の時に歌われた「寿ぎ唄」であると言われます。


二、様は生絹の染め小袖一重心で恨めしや あわれ我が身が舟ならば想う彼の様乗せあげて 嵐夜なるとも吾が宿に いずれ憂き身や

(現代語訳)「あの人は、自分のこの想いつめた心に比べ、「小袖一つ」の、それもうわべだけの愛情だけしか示してくれない。それが恨めしい。まことに悲しい身の上だ」「ああ、私が舟であったなら、私が慕うあの人を乗せて、嵐の夜であっても、私の家にお連れして、ご一緒したい」

 (背景)江戸前期の流行唄、何んと艶っぽい、華やかな唄々であろう。武士もこんな恋の唄を歌いながら武士踊りを踊っていたと想像するだけで、微笑ましくて楽しい。どんな風に踊っていたことでしょう。江戸期の流行唄(松の葉集、松の落葉集)からとったもの。


三、雲の絶え間の三日月かその面影を見しよりも 心は消え消え消え入るを その身はさて何となるかよ 願わなくもとどろとん鳴る雷はなんとその身は落ちるね 医者なら医者ともや医者治しゃならぬ その身はさて何となるかよ

(現代語訳)「恋人に逢ったその後の面影が、ちらちらと消えては浮かぶ「雲の絶え間の三日月」や「漁火」のように、はかなく思い出される」「雷も、時として自分の意思に反して踏み外して落ちることもある。医者であっても治すことの出来ない」

(背景と語意)「神鳴・針立雷」と言う能狂言があり、荒筋は「雲を踏み外して雷が落ちて難儀していた。そこに旅の医者が通りかかった。雷が言うには、お前は医者だろう。医者なら、おれに針治療をしてなおしてくれないか、その礼には”晴雨の順調、五穀豊穣”を約束しよう」というものです。これらを背景にすると「雷は、男女の仲を裂く嫌われ者、その雷も、踏み外して落ち、怪我をすれば医者の世話になる。そんな医者も恋の病を治すことはできない。どうしたことやら」がこの歌詞の本意になります。(面白いですね~)江戸期の流行唄(松の葉集、松の落葉集)からとったもの。

、雷と医者が約束して獲得した、天候快復・五穀豊穣は、百姓には有難いこと。この句が踊りに採用されたこととも無関係ではない。


四、佐渡と越後は筋向かい 橋を架けたや船橋を 聞けば佐渡島離れ島 越後嵐で寒むござる

 明和9年(1772年)刊「山家鳥虫歌」(中野得信著)に「佐渡」の部として所収五首の一つ。江戸期の流行唄(松の葉集、松の落葉集)からとったもの。

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七夕踊の歌詞その2(撮影:本房 和子)

五、尽きもせん 君が齢は 何時の代もわらぬ 松の色にこそあれ

(現代語訳)「変わらぬ松の色にも似て、君の長寿は何時までも続くことでしょう」と、「千歳まで」と共に、誠に神に奉納するに相応しい歌詞です。

 


六、愛宕参りに 袖を引かれた それも愛宕の 御利生かな御目出度や 好色の方かな 沖に釣りする漁火か その面影を見しよりは 心は消え消え消え入るを その身はさて何となるかよ

(解説)三の歌と対を成し、歌詞の意味も同じ。江戸期の流行唄(松の葉集、松の落葉集)からとったもの。


七、ここでよし代は 経るともや 貴し在わす 御前の差した刀の 役じゃ程に 千代に八千代は 経るともや 貴し在わす 御前の君が治めた 国じゃ程に

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踊りの始まりは「鹿」

「パーン」「パーン」シカトイ(鹿獲り)の鳴らす鉄砲の音が、踊りの始まりを告げます。鹿を奉納するのは宇都集落、竹で骨組みを作り、布を被せてあります。被せる布には、鹿らしい色で模様を描いてあり、胴体には、乾燥させたガラメ(やまぶどう)を吊るして足を隠してあります。鹿の中には、四人の青年が入り、ピョンピョンと跳ねながら走る動きと時々立ち止まって首を高くし、辺りを見回す動作や鉄砲に撃たれて苦しみ、シカトリに角で反抗する仕草など、即興での狩人との連携の演技がみものです。

 

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