七夕踊資料館
踊り見物・周辺観光案内
踊り見物モデルコース
空から
Aコース(鹿児島空港)レンタカー9:00→高速道路市来インター出口10:00→門前河原踊り場(10:00~12:00)→昼食(市内のマグロラーメン・マグロ丼など) →英国留学生会館→湯ノ元温泉宿泊→翌日県内各地へ
Bコース(鹿児島空港)レンタカー12:00→高速道路串木野インター出口13:00→昼食(市内のマグロラーメン・マグロ丼など)→払山踊り場(16:00~18:30)→湯ノ元温泉宿泊→翌日県内各地へ
国民宿舎「吹上浜荘」・ふれあい温泉
国民宿舎「吹上浜荘」は、合併前の市来町時代、町営の国民宿舎として誕生しました。当時、町内には大きな宴会が出来る宿泊施設がなく、「しゅくしゃ」の愛称で町民には大変重宝されました。現在も小学校や中学校の同窓会の会場といえば「しゅくしゃ」です。
近代的な温泉も併設されており、東シナ海に沈む夕日の眺めながらの露天風呂は、心も体も芯から癒してくれます。
七夕踊り見物の宿泊、入浴には最高です。「吹上浜荘ホームページ」http://fukiagehamaso.jp/
「吹上浜荘」併設のふれあい温泉
湯之元温泉
隣町の湯之元温泉は、古くから地元に親しまれている知る人ぞ知る温泉郷です。近くに湯之元野球場があり、その昔、中日ドラゴンズやヤクルトスワローズがキャンプを張っていた時代もありました。ヤクルトは、昭和52年までキャンプを張っており、その当時は、王選手を育てた荒川さんが監督、広岡さんはコーチだった。そのほかにも松岡弘投手、大杉勝男さん若松努さん、捕手の大矢明彦さん等、今考えれば、錚々たるメンバーが、片田舎の温泉地にキャンプに来ていた。
また、タレントで元中日ドラゴンズのピッチャー板東英二さんは、入団1年目のキャンプ地がここでした。昭和34年春、四国から船で岡山に渡り寝台列車に揺られ、湯之元駅に降り立ちキャンプに向かったと以前ラジオで話されていました。ポンカンばかり食べていた記憶があるそうですが、今、大里はポンカンの産地、栽培が始まったばかりの当時は大変な高級品、さすがプロ野球のキャンプですね。いいものを食べている。
湯之元温泉の銭湯は、100円からと大変安く、湯之元駅にも近く、便利です。踊り見物の後に、また、遠方からの方は前日または踊りが終わってから温泉旅館に一泊しての踊り見物には、もってこいの温泉地です。踊り場から車で5分程度の大変近い場所にあります。
http://www.city.hioki.kagoshima.jp/modules/content004/index.php?id=7(日置市ホームページ)
http://hiokishi-kankou.com/spa/(日置市観光協会ホームページ)
元湯・打込湯 2種類の泉質を楽しめる。入湯料130円
田之湯 入湯料150円 「日本朝風呂党本部」の看板が掲げてあり、朝6時から営業しています。また、懐かしい番台もありますよ。
温泉センター 入湯料150円
ゆわく温泉 入湯料100円 ツタの絡まる民家が目印です。
めぐみの湯 錦龍館 プロ野球チームがキャンプを張った時代の宿が錦龍館、区画整理で、真新しい銭湯に生まれ変わりました。入湯料390円
温泉街の雰囲気を醸し出す商店街
花街の面影を残す風情
串木野まぐろラーメン
旧串木野市は、マグロ遠洋漁業の基地として栄え、マグロを素材に何か出来ないかと、地元の飲食業組合が2002年に開発したご当地ラーメンです。鮪の頭と野菜類をじっくり煮込んだスープと和風だしをブレンドした和風スープが絶品です。 踊り見物の前の腹ごなしに、また、見物後のすいたお腹に、是非ご賞味を!
いちきポンカレー(旧市来町の特産品「ポンカン」を使ったカレー
験担ぎ御飯三大カツ(三大カツは、『まぐろトロカツ』『赤鶏チキンカツ』『黒豚メンチカツ』が一度に楽しめます。)
まぐろ舵取り丼(まぐろの舵取り(尾身)を使った丼:マグロの町ならでは)
市内の食については、いちき串木野市観光協会ホームページでhttp://ichiki-kushikino.com/gourmet.html#groumetf01
薩摩英国留学生記念館
1865年4月17日、いちき串木野市羽島の地から薩摩の若者19名が英国へ留学しました。19名の中には、NHK朝ドラ「朝が来た」で『五代ロス』と言う社会現象まで引き起こした初代大阪商工会議所会頭「五代友厚」を始め、初代文部大臣「森有礼」、外交官として条約改正に取り組んだ「寺島宗則」などがおり、錚々たるメンバーでした。「これからは海外に留学し、西洋の技術を習得してこないと世界の大勢に遅れ、国の発展に役立ちません。」と、この英国留学を藩に上申したのは、松木弘安(寺島宗則)と共に薩英戦争時イギリス側の捕虜となり、罪人扱いとなった五代友厚その人です。彼は、幕吏や攘夷派から逃れるために長崎に潜伏していた。ここでトーマス・グラバーと懇意の間柄になり、世界の情勢を知り危機感を感じたことが発端でした。
五代友厚
「朝が来た」の五代さま
http://www.ssmuseum.jp/(薩摩英国留学生記念館ホームページ)