イタリア研修

2026-10-19 09:51:00

シチリアのワインをイギリス人が売り始めた理由

 

11月末のイタリア研修に向けて、店休日恒例のシチリア自由研究。

先週はトラーパニの塩田について調べましたが、今回はワインの話です。

 

今回訪れる西シチリアには、「マルサラ」という街があります。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この街の名前が付いたワインがあります。

そして、このワインを海外に広めたのは、イタリア人ではなくイギリス人でした。

 

イタリアのワインなのに、なぜイギリス人?

  

① そもそも、マルサラワインって何?

 

マルサラは、シチリア島の西端に近い港町。

この地域では古くからワインが造られてきました。

 

現在のマルサラワインは、一般的なワインとは少し違う「酒精強化ワイン」と呼ばれるものです。

簡単に言えば、ワインにブドウ由来のアルコールなどを加えて、アルコール度数を高めたワイン。

普通のワインが12〜14%程度なのに対し、マルサラは17〜18%以上のものが中心です。

 

では、なぜわざわざアルコールを加えるようになったのでしょうか。

ここで登場するのが、イギリス人の商人です。

 

② イギリス人は、なぜシチリアのワインに目をつけたのか?

 

 

18世紀後半のイギリスでは、ポルトガルのポートワインやマデイラワイン、スペインのシェリーなど、海外から輸入されたワインが飲まれていました。

 

そんな時代の1773年。

イギリス人商人のジョン・ウッドハウスが、マルサラにやって来ます。

そこで出会った地元のワインに、商売の可能性を感じたと伝えられています。

 

ウッドハウスは、現地のワインにブランデーを加えてイギリスへ送りました。

アルコールを加えることには、長距離輸送中のワインの保存性を高める利点があります。

 

しかし、それだけではありません。

当時のイギリスには、すでにポートやマデイラなどの市場がありました。

つまり、シチリアのワインにも、そうした市場で販売できる可能性があったわけです。

 

その後、ベンジャミン・イングラムなどの英国商人もマルサラに進出。

彼らはワインを買い付けるだけでなく、ブドウの品質管理や醸造方法、設備の改善にも取り組みました。

 

ここが面白いところです。

 

現在知られているマルサラワインの姿には、土地の気候やブドウだけでなく、海外の市場や商人たちの要求も関わっていました。

土地のものが、そのまま海外に売られたのではなく、海外で売るために造り方まで変わっていったのです。

 

 

③ そして登場する、フローリオ家

 

1833年、ヴィンチェンツォ・フローリオがマルサラにワイナリーを設立します。

すでにイギリス人商人たちが事業を展開していた市場へ、イタリア人の事業家が参入したんです。

 

フローリオ家は、香辛料の交易などで財を築き、海運や硫黄など、さまざまな事業に関わっていました。

そして、ワインだけでなく、マグロ漁にも事業を広げていきます。

トラーパニ沖のファヴィニャーナ島などでマグロ漁を手がけ、19世紀後半には加工・販売事業も大きく発展させました。

 

当時、マグロは獲って近くの市場で売るだけの商品ではありませんでした。

塩漬けや油漬けの缶詰などに加工することで、遠くの市場へ運ぶことができます。

 

ワインとマグロ。

一見すると、まったく違う商品です。

でも、どちらも生産・加工の仕組みを整え、船で運び、遠くの市場へ売るという点では共通しています。

 

先週調べたトラーパニの塩田もそうでした。

 

塩、マグロ、ワイン。

 

それぞれ異なる歴史を持つ産業ですが、共通しているのは、土地の産物が港や商人を通じて広い世界と結びついていたことです。

以前、シチリアの郷土料理について調べたときにも感じましたが、食文化はその土地の中だけで完成したものではないんですね。

 

外から人や技術、商品が入ってくる。

そして、その土地の人たちが、自分たちの暮らしや商売に合わせて取り入れ、変えていく。

 

今回、マルサラについて調べてみて面白かったのは、ワインそのものよりも、その背景にある商売の歴史でした。

シチリアで造られたワインを、イギリス人が海外へ売る。そのために、ワインの造り方まで変わっていく。

そして、ワインだけでなく、マグロ漁や海運業まで手がける一族が登場する。

 

先週調べた塩田もそうですが、土地の食文化を知ろうとすると、結局その土地の産業や商売の歴史にもつながっていくんですね。

 

今回調べたのは、あくまで日本でわかる範囲のこと。

実際のマルサラでは、現在どんなワインが造られ、地元ではどのように飲まれているのでしょうか。

11月末、現地で確かめてきたいと思います。

 

 

 

【参考資料】

 

・Cantine Florio「Le origini del Marsala」

https://cantineflorio.it/le-origini-del-marsala/

 

・Cantine Florio「Florio e le origini inglesi del Marsala」

https://cantineflorio.it/news/florio-e-le-origini-inglesi-del-marsala/

 

・Cantine Florio「L’isola di Favignana e i Florio. Una storia da conoscere」

https://cantineflorio.it/enoturismo/lisola-di-favignana-e-i-florio-una-storia-da-conoscere/

 

・Soprintendenza per i Beni Culturali e Ambientali di Trapani「Relazione Generale – Ex Stabilimento Florio di Favignana」

シチリア州文化財当局・修復事業資料(PDF)

 

・Giuffrida / Lentini『L’età dei Florio』(Sellerio Editore, 1985)

関連資料・契約書引用

 

・Sistema Archivistico Nazionale「Scheda Protagonista – Imprese」

フローリオ家の事業史

 

・Treccani, Dizionario Biografico degli Italiani「Florio, Ignazio, senior」

Treccani人物事典

 

2026-10-12 19:04:00

なぜトラーパニでは塩づくりが盛んになったのか。

トラーパニへ行ってお土産といったら迷わず思い浮かぶのは「塩」!


ワインやオリーブオイルもいいのですが、瓶は重いし、割れる心配もあります。
チーズは温度管理が難しい。

その点、塩なら瓶ものほど気を使わずに持ち帰れます。
しかも料理に使える。

今回訪れる西シチリアのトラーパニと聞いて、僕がまず思い浮かべる風景の一つが「塩田」です。
トラーパニは、古くから塩づくりが行われてきた土地なんです。

海沿いに四角い池がいくつも並び、その間に昔ながらの風車が立っている。
夕暮れ時には、水面が赤く染まる。写真で見るだけでも、なかなか印象的な風景です。
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写真:Kukkysub / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0


でも、ここでまた疑問が。


「そもそも、なんでトラーパニでは塩づくりが盛んになったんだろう?」


海水から塩を作るなら、海に面した場所ならどこでもできそうな気がします。
日本だって海に囲まれています。
気になって、少し調べてみました。

すると、トラーパニには塩づくりに適した条件が、いくつも揃っていることが分かりました。

まず、地形。

トラーパニ周辺の海岸には、低く平らな土地があり、海水が地面に染み込みにくい地盤があるらしく、ここがポイントとのこと。

塩を作るには、海水を浅い池に溜めて、少しずつ水分を蒸発させる必要があります。
せっかく溜めた海水が地面に染み込んでしまっては困りますから、これは大事な条件です。

そして、太陽と風。

暑く乾燥した気候は海水の蒸発に向いています。
さらに風が吹くことで、蒸発が促される。
・
・
風車も、ただの飾りではありません。

かつては風の力でポンプを動かし、海水を汲み上げる役割も担っていたそうです。

つまり、太陽と風を使って塩を作り、風の力で水を動かしていた。
なかなか合理的な仕組みです。

そしてもう一つ、面白いことがありました。

塩田は、一つの池に海水を入れて、乾くまで待つだけではないんです。

いくつもの池を使い、海水を順番に移しながら濃くしていく。
最後に塩を結晶化させる池へと進んでいきます。

四角い池がたくさん並んでいるのにも、ちゃんと理由があったんですね。

こうして見ると、トラーパニの塩田は、単に「暑いから塩ができる」という話ではありませんでした。

土地の形、地盤、太陽、風。
その土地の自然条件を、人間がうまく利用してきた結果なんです。

そして、作った塩を運び出せる港が近くにあることも、塩づくりが産業として発達するうえで重要だったようです。

ここまで調べると、今度は別のことが気になってきます。

「ではトラーパニの塩は、ほかの塩と何が違うんだろう?」



僕ら料理人にとって、塩は毎日使うものです。
塩をどのタイミングで使うかで料理の印象はずいぶん変わります。

同じ塩でも、結晶の大きさや水分の含み方によって、手でつまんだときの感覚が違うので、料理への使い方も変わります。

もちろん、トラーパニの塩だから特別においしい、と決めつけるつもりはありません。
でも、普段使っている塩と比べて、どんな違いがあるのか。
肉に振ったらどうか。
仕上げに使うならどうか。
いろいろ試してみたいと思っています。

考えてみれば、塩って面白い食材です。
料理の中では、ほとんど主役になることがありません。
でも、塩がなければ料理は成立しない。

しかも、塩は味をつけるだけでなく、昔から食材を保存するためにも使われてきました。

今回訪れる西シチリアには、マグロ漁で知られるファヴィニャーナ島もあります。

塩づくりと魚の保存。
この二つが、この土地でどのようにつながってきたのかも、これから調べてみたいところです。

そんなわけで、今回の研修のお土産は、やっぱり塩がおすすめかな、と。
個人的にも、現地で塩田を見て、できれば作っている方の話も聞いてみたい。
そして持ち帰った塩を、普段使っている塩と比べながら、高田食堂の料理でも試してみようと思います。

たかが塩、されど塩。

さて、どんな塩に出会えるでしょうか。
2026-10-05 10:22:00

なんで、こんなところに街があるんだろう?

イタリアに行って、車で移動していると、たまに不思議に思うことがあります。

「なんで、こんなところに街があるんだろう?」

山の上に、突然まとまって家が建っている。
遠くから見ると、山のてっぺんに街がそのまま乗っているようなところもあります。
今まで何度もイタリアに行って、そのたびに見てきた風景ですが、正直、深く考えたことはありませんでした。
景色としてはきれいで、
「ああ、イタリアっぽいな」くらい。
でも、よく考えたら不思議です。
車がある今だって、あそこまで上がるのは大変そうなのに、昔は当然、車なんてありません。
畑仕事をするなら、畑の近くに住んだ方が楽そうです。
水はどうしていた?
物を運ぶのだって大変だったはずです。
それでも、人は山の上に街をつくった。
今度のイタリア研修で訪れる予定のエリチェも、まさにそんな街です。
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Photo: Alessia Saccone / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
西シチリアのトラーパニから見上げる、標高750mほどの山の上。
写真を見ると、「いや、なんでそこに?」と思います。
気になって、少し調べてみました。
もちろん、山の上の街がすべて同じ理由でできたわけではありません。
ただ、中世のイタリアでは、人々が高い場所に集まり、
城壁などで守られた集落をつくっていく動きが各地であったそう。
外からの襲撃に備えるためだったり、地域によっては低地の湿地を避けるためだったり。
土地や農業、領主による支配のあり方なども関係し、理由は一つではなかったようです。
便利な場所に住むことより、
「守れる場所に住む」ことの方が大事だった時代があったんですね。
考えてみれば、当たり前なのかもしれません。
僕らが住む場所を考えるなら、
駅から近い。
買い物がしやすい。
坂が少ない。
交通の便がいい。
そんなことを考えます。
でも、それは今の時代だからこその「暮らしやすさ」です。
時代が変われば、暮らしやすい場所の条件そのものが変わる。
そう考えると、今まで何となく眺めていた山の上の街が、少し違って見えてきました。
ただ、今回行くエリチェは、それだけではありません。
この街の歴史は中世よりずっと古く、古代から西シチリアの重要な場所でした。
山頂には古くから女神を祀る聖域があり、この土地を支配する人々が変わっても、
長いあいだ特別な場所として扱われてきたそうです。
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Photo: Carlo Pelagalli / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
なぜこの山頂がそれほど特別な場所になったのか。
それも、実際にその場所に立って、景色を見ながら考えてみたい。
山の上からは、トラーパニの港や塩田、その向こうのエガディ諸島まで見渡せます。
今の僕には「なんで、こんな不便なところに」と見える場所が、
昔の人にはまったく違って見えていたのかもしれません。
エリチェでは、街を歩きながら、
「ここに住んでいた人たちには、この景色がどう見えていたんだろう?」
そんなことを考えてみたい。
料理を調べていたはずなのに、最近は、その料理を食べていた人が気になって、
その人が暮らしていた街が気になって、とうとう「なぜそこに街があるのか」まで気になっています。
イタリアに何度も行っているのに、今さらこんなことが気になるようになりました。
11月末に実際に行ってきます。
行ってみたら、また見え方が変わるかもしれません。
帰ってきたら、またご報告しますね。

 

【参考文献・出典】

 

・Comune di Erice(エリチェ市)

「La Storia」

エリチェの歴史、標高、エリミ人、カルタゴ時代の城壁など

https://www.comune.erice.tp.it/index.php/it/page/22734

 

・Comune di Erice(エリチェ市)

「Conventi e Monasteri di Monte San Giuliano」

エリチェ山頂の古代の聖域、アスタルテ/アフロディーテ/ウェヌス信仰、山頂からの眺望について

https://comune.erice.tp.it/it/page/conventi-e-monasteri-di-monte-san-giuliano

 

・Parco Archeologico di Lilibeo-Marsala, Regione Siciliana

「Lilibeo-Marsala: Erice sacra tra mito, culti e archeologia」

古代エリチェの聖域と、支配・文化の変化に伴う女神信仰について

https://parchiarcheologici.regione.sicilia.it/lilibeo-marsala/blog/2025/09/03/lilibeo-marsala-erice-sacra-tra-mito-culti-e-archeologia/

 

・Treccani

「Incastellamento」

中世イタリアにおける城塞化・高所への集住(incastellamento)について

https://www.treccani.it/enciclopedia/incastellamento/

 

・Treccani

「Incastellamento - Dizionario di Storia」

incastellamentoの歴史的背景、領主支配・土地・人口の再編について

https://www.treccani.it/enciclopedia/incastellamento_%28Dizionario-di-Storia%29/

2026-09-26 08:55:00

シチリアの西の端、トラーパニってどんな街?

 

前回、今年のイタリア研修ではトラーパニを拠点にする、と書きました。

では、トラーパニってどんな街なんだろう。
私自身、2008年に一度近くまで行っているのに、知っていることといえば「塩田で有名な街」というくらいでした。

そこで今回の研修を前に、料理から少しずつ調べています。

 

トラーパニはどんな街?――「西の端」ではなく「海に開かれた街」



地図を見ると、トラーパニはシチリアの西の端。
街そのものが、海に向かって細長く突き出しています。

でも、この街の歴史を見ていくと、

「シチリアの西の端」というより、
「海に開かれた街」と考えた方が分かりやすいことに気づきます。

古くは、すぐ近くの山の上にあるエリチェと海をつなぐ港。
その後も、地中海を行き交う船が出入りする港町でした。

海の向こうには北アフリカがあり、港にはさまざまな土地から人や物がやってくる。

そう考えると、この街の料理がちょっと面白く見えてきます。
そんな港町の料理として有名なのが、
「ブジアーテ・アル・ペスト・トラパネーゼ」。

くるくると螺旋状に巻いたブジアーテというパスタに、トマト、バジル、ニンニク、アーモンド、オリーブオイルなどで作ったペストを合わせます。

ペスト・トラパネーゼについて調べると、ジェノヴァの船乗りたちが伝えたニンニクと木の実を使うソースを、トラーパニの人たちが土地のトマトやアーモンドを使って変化させた、という話がよく出てきます。

どこまで史料で遡れるのかは、もう少し調べる必要があります。

ただ、少なくとも中世のトラーパニには、ジェノヴァやピサなど各地の商業勢力が進出していたことは確認できます。

そう考えると、この料理の背景に「港」があるというのは面白い。

 

魚のクスクスは、なぜトラーパニにあるのか?



そしてトラーパニの料理でもう一つ気になるのが、「魚のクスクス」。

クスクスと聞けば、北アフリカを思い浮かべる方も多いと思います。
でも、地図をシチリアだけで見るのをやめて、地中海まで広げてみる。

するとトラーパニの向こう側には、チュニジアをはじめとする北アフリカがあります。

シチリアの西の端だと思っていた場所が、海から見れば地中海を行き交う人や物の接点に見えてきます。

実際、トラーパニ市の資料では、16世紀初め、北アフリカへサンゴ漁に出たトラーパニの漁師たちが、現地の食文化と接触したことが始まりとされています。

 

塩田、マグロ、オリーブ、ブドウ



さらに街の南側には塩田が広がります。
私が2008年、マルサラからの帰り道に車窓から眺めたのも、この辺りの景色でした。

塩もまた、この街を長く支えてきた産業のひとつです。

そしてトラーパニの港から船で向かえるのが、ファヴィニャーナ島。
名前を聞いたことがある方もいるかもしれません。

青く透き通った海と、たくさんの船が浮かぶ景色で知られる、シチリアの人気観光地です。

でも、この島の歴史を調べてみると、出てくるのが「マグロ」。
かつてファヴィニャーナではマグロ漁が盛んで、大規模な加工場までありました。
今ではリゾートとして知られる島にも、海と魚で暮らしてきた長い歴史があります。


港の周りには塩田が広がり、沖では魚を獲る。
少し内陸へ行けば、オリーブやブドウなどが育てられています。

そうやって見ていくと、

ブジアーテも、魚のクスクスも、ただの「トラーパニ名物」ではなく、
この街で生まれた理由が少し見えてくる気がします。

料理を調べているつもりが、いつの間にか街の歴史を調べていました。

料理だけを見るのではなく、「なぜ、この街でこの料理なんだろう?」

塩田を見て、市場で魚を見て、
ブジアーテを食べて、魚のクスクスを食べる。

そこまで見てこられたら、18年前とはずいぶん違ったトラーパニが見える気がしています。
【参考資料・情報源】
 
※ペスト・トラパネーゼの「ジェノヴァ船乗り起源説」については、今回確認した公的資料だけでは成立過程そのものを一次史料まで遡れていません。
・Comune di Trapani(トラーパニ市)
「Trapani – Brevi cenni sulla città」
トラーパニの成立、港湾都市としての歴史、アラブ・ノルマン期、中世のジェノヴァ・ピサなどの商業勢力、塩・漁業など。
https://comune.trapani.it/luogo/trapani/
 
・Comune di Trapani(トラーパニ市)
「Il Comune di Trapani adotta i primi tre disciplinari DE.C.O.」
トラーパニ式クスクス(Cùscusu Trapanese)の歴史。16世紀初頭、北アフリカ沿岸へサンゴ漁に出たトラーパニの漁師と現地食文化との接触、1521年の史料について。
https://comune.trapani.it/novita/il-comune-di-trapani-adotta-i-primi-tre-disciplinari-deco/
 
・Comune di Trapani
「Disciplinare DE.C.O. – Cùscusu Trapanese」
トラーパニ式クスクスの歴史、伝統的製法・材料についての公式規定。
(上記トラーパニ市ページ内PDF)
 
・Comune di Favignana(ファヴィニャーナ市)
「Ex Stabilimento Florio delle Tonnare di Favignana e Formica」
ファヴィニャーナのマグロ漁、旧フローリオ・マグロ加工場、マッタンツァ、加工設備など。
https://comune.favignana.tp.it/it/vivere/ex-stabilimento-florio-delle-tonnare-di-favignana-e-marettimo
 
・Regione Siciliana(シチリア州)
Osservatorio Turistico「Tonnare e saline di Sicilia」
シチリアのマグロ漁、トンナーラ、塩田、魚の保存と塩の関係について。
https://geoportale.osservatorioturistico.regione.sicilia.it/tonnare-e-saline-di-sicilia/
 
・Regione Siciliana
「Le saline del trapanese」
トラーパニ~パーチェコ周辺の塩田景観、製塩設備・構造について。
https://www2.regione.sicilia.it/beniculturali/archeologiasottomarina/prod_editoriali/pubblicazioni_pdf/ippocampo_.pdf
 
・Regione Siciliana
「Saline – Stagnone」
トラーパニからマルサラにかけての塩田・スタニョーネの地理、歴史的景観について。
https://www2.regione.sicilia.it/beniculturali/dirbenicult/bca/ptpr/documentazione%20tecnica%20trapani/ALLEGATI%201/schede_paesaggi%20locali%202%20%281%29.pdf
 
・CREA(Consiglio per la ricerca in agricoltura e l'analisi dell'economia agraria)
「Trapani」
トラーパニ県の農業構造。ブドウ畑、オリーブ栽培を中心とした農業と地域産品について。
https://ifsa2024.crea.gov.it/conference-information/trapani/
2026-09-13 21:30:00

【私たちが「シチリア料理」と呼んでいるもの。】

11月末のイタリア研修に向けて、少しずつシチリアの料理や歴史を調べています。

 

調べ始めて、最初にひっくり返されたことがあります。

私たちが「シチリア料理」と呼んでいるもの。

なんとなく、土地のマンマたちが、昔からある料理を大切に作り続けて、それを娘へ、またその娘へ。

そうやって何百年もつないできた料理。

そんなイメージ、ありませんか?

僕もどこかでそう思っていました。

もちろん、家庭の中で料理が受け継がれてきたことは事実です。

でも、それだけでは「郷土料理」は説明できない。

 

そもそも昔の人たちが、

「土地の食材を大切にしよう」

「この地域の伝統料理を守ろう」

と思って、地元のものを食べていたとは限らないんです。

 

輸送にはお金がかかる。

冷蔵庫もない。

保存も難しい。

所得も高くない。

だから、身近にあるものを食べるしかなかった。

 

保存するために乾燥させる。

塩に漬ける。

発酵させる。

乳はチーズにする。

肉はサラミにする。

今では「伝統的な食文化」と呼ばれるものの一部は、もともとは生活の制約から生まれた技術でもありました。

 

もう一つ、ひっくり返されたことがあります。

 

「昔のシチリア人は○○を食べていました」

これも、実はかなり乱暴な言い方かもしれません。

 

農民と漁師。

地主とそこで働く人。

都市の商人。

貴族。

修道院。

 

同じシチリア、同じ時代に生きていても、みんなが同じ食卓を囲んでいたわけではありません。

さらにシチリアには、外から次々と人や文化が入ってきました。

ギリシャ、フェニキア、アラブ、ノルマン、スペイン……。

作物も、料理技術も入ってくる。

人や物が行き交い、交易も広がっていく。

それを拒んで「昔ながらのシチリア料理」を守ったのではなく、

外から入ってきたものを、それぞれの土地の農業や気候、仕事、経済、宗教に合わせて料理へ変えていった。

その積み重ねの先に、現在僕たちが「シチリア料理」と呼んでいるものがある。

 

例えば、カポナータ。

 

茄子を揚げて、野菜と合わせて、甘酸っぱく仕上げる。

今ではすっかり、「シチリアの伝統料理」です。

でも、昔からずっと、この形だったわけではありません。

 

19世紀の文献には、魚を使い、茄子やアーティチョークなどを合わせたカポナータも登場します。

さらに遡った起源や名前の由来には、今もいくつもの説があります。

 

そして同じカポナータでも、町が変われば、使うものも、甘酸っぱさのバランスも変わる。

パレルモで作られてきたものと、カターニアで作られてきたものも、同じではない。

 

僕たちは、「シチリアの伝統料理、カポナータ」

と一つの名前で呼んでいるけれど、島全体で一つの完成されたレシピが、そのまま伝承されてきたわけではありません。

それでも料理は作られ続け、それぞれの場所で形を変えながら残ってきた。

 

そして今、僕たちはその変化の先にある一皿を、

「シチリアの伝統料理、カポナータ」

と呼んでいるんだと思います。

そう考えると、郷土料理の見え方が少し変わってきます。

 

今回訪れるのは、西シチリアの

Erice(エリチェ)
↓
Trapani(トラーパニ)
↓
Marsala(マルサラ)

という狭い範囲です。

 

同じ西シチリアなのに、これがまた全然違う。

山の上にあるErice。

港町のTrapani。

ブドウ畑とワイン産業のMarsala。

 

今回の研修では、

「これは昔からある料理ですか?」だけではなく、

「この土地の誰が、何を使い、どんな暮らしの中でこの料理を作ったんだろう?」

そんな目で料理を見てこようと思っています。

 

【参考文献・資料】

  • Marina Castiglione編『Tradizione, identità, tipicità nella cultura alimentare siciliana. Lo sguardo dell’Atlante Linguistico della Sicilia』(2011)
  • Marina Castiglione「Il tipico alimentare secondo gli informatori ALS」(2011)
  • Vincenzo Mortillaro『Nuovo dizionario siciliano-italiano』(1853)
  • Accademia Italiana della Cucina「Melanzana, cibo popolare」
  • Massimo Montanari『Italian Identity in the Kitchen, or Food and the Nation』(2013)

 

  • Alberto Capatti & Massimo Montanari『Italian Cuisine: A Cultural History』(2003)
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