教行信証(後序)

 image.jpeg       image.jpeg

教行信証化身土末(刻字:藤井義秀氏)

「慶哉(樹)心弘誓仏地流念難思法海深知如来矜哀良仰師教恩厚慶喜弥至″孝弥重」(刻字の内、至の下の添字は反復の意)

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。」

化身土巻後序は「教行信証」の最後にあり、「仏恩の深きことを念じて、浄土<教>の要を摭(ひろ)う」こと、つまり、聖人がこの書を製作された経緯や意図が述べられています。

承元の法難(1207年)=源空法師(法然上人)や門弟達を流罪あるいは死罪とした朝廷の裁定=への抗議から始まります。

「・・・主上臣下、法に背き義に違し、忿(いかり)をなし怨(うらみ)をむすぶ。これに因て、真宗興隆の太祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥(みだり)りがわしく死罪に座(つみ)す。・・・」

つぎに、上人との出遇いが思い起こされ、本願念仏の教えを受けた感動が記されます。

「建仁辛酉の歴(1201年)、雑行を棄てて本願に帰す(上人の門に入る)。」

元久二年(1205年)、「選択本願念仏集」の書写を許されて内題の字(本の題名)及び法名(釈綽空)を御署名とともに書き入れていただき、さらには、真影図画も許されて御真筆の銘をいただく、ことここに至る(謂わば免許皆伝)まで学び得たのは、ひとえに上人の教え有らばこそと深く感謝して、つぎのように述懐されます。

「これ専念正業(せんねんしょうごう:本願念仏の教えをひたすら信じる他力の信心)の德なり、これ決定往生(けつじょうおうじょう:真実の教えと信心によって、お浄土への道が決定した)の徴(しるし)なり。仍って悲喜(上人とのめぐり逢いと別れ)の涙を抑えて由来の縁(本願念仏を伝える浄土教典=選択集)を註(しる)す。」と。

これに続くのが、上掲刻字の文言です。

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地=弥陀の本願によって誓われた、煩悩の業縁に惑わせられない、ほとけのさとりの境地=にたて、念を難思の法海=凡夫の思慮の及ばぬ光明無量の法の浄土=に流す。深く如来の矜哀(こうあい:衆生救済の心)を知りて、まことに師教の恩厚=釈尊七高僧が艱難辛苦の末に伝えた他力本願の念仏を、法然上人に教えていただいた有難さ=を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。」

師教の恩に応える(至孝)ために記されたこの書は、信順の人にも疑謗の人にも等しく仏道の縁となるべく、「信楽(しんぎょう:信心)を願力(他力本願の信心)に彰わし、妙果を安養(安養浄土)に顕わす」と記され、道綽禅師の「安楽集」の言葉で最後を結びます。

「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪(とぶら)え、連続無窮(むぐう)にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。」