法事のお経(浄土三部経)

 浄土真宗の根本聖典は、南無阿弥陀仏の教えを説く浄土三部経、すなわち、大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経です。

大無量寿経

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親鸞聖人は、無量寿経を真実の経とされました。釈尊の出世本懐の教説、つまり釈尊は、この教えを説くためにこの世に生まれてこられた、とするこのお経は、多聞第一の阿難尊者の問いに答えられたものです。仏説の経には必ず質問者がいますが、多聞第一とは、何度聞いても得心できず、釈尊の教説をすべて記憶するまで、繰り返し聞き続けて信順を得た者ということです。教えになかなか納得できない人のために説かれたお経、それが無量寿経なのです。

そのため、お経の初句「我聞如是」の「我」は、この経典に限らず、阿難尊者を指すといわれています。この句は他に「聞如是」や「如是我聞」とも訳されていますが、鳩摩羅什(四世紀後半から五世紀初頭の仏教論者、阿弥陀経の訳者、最初の三蔵法師)以降、「如是我聞」の訳が定着したようです。

image.jpeg  「如是我聞」  刻字  北森 和久 氏

お経は、国王の地位を捐(す)て、沙門となり法蔵(心に真の法を求める者)と名のりをあげた菩薩の歩みから始まります。阿弥陀(限りなきいのち)が、道(何の為に生まれ、何の為に生きるのか)を求める姿を法蔵菩薩といいますから、それは私達一切衆生が生きて歩んでいる、いのちの歴史に他なりません。
国王(世俗の富・名誉、総てを持つ者)の地位を法蔵菩薩は、世自在王仏(何時の世の如何なる境遇であれ自由自在に堂々と生きるもの)の教えを受けて、すべて捐てます。国王としての生活には、求むべきものを見出せなかったからです。そして、一切の恐れおののくものに大安を作すために(一切恐懼為作大安:巻上)、もろもろの生死の苦の本を抜くために(抜諸生死勤苦之本:巻上)修行を続け、真に求むべきものを探し続けます。たとい、身を諸々の苦毒の中に止(おわ)るとも、我が行、精進にして忍びて終(つい)に悔いじ(仮令身止・諸苦毒中・我行精進・忍終不悔:巻上)の決意のもと、思惟を五劫(無限に近い時間)の永きに廻らし、とうとう四十八願に到ります。
阿弥陀のいのちを生きる衆生のうえに、それらすべてが満たされ開かれる世界を浄土といいますが、法蔵菩薩は永劫の修行を続けて、遂に願は成就され、西方極楽浄土がひらかれます。これがお経前半の中心で、この様な衆生の根底に流れるいのちの歩みを如来浄土の因果といいます。

法蔵菩薩は、願が成就して阿弥陀と名を号し仏(完成されたもの)となります。
名号のいわれ=一切衆生を救わんという阿弥陀のいのちが求め続けてきた願=を聞いて信心歓喜し念仏申す身となるとき、すなわち、阿弥陀の願こそ自らが願うべきものであると目覚めた時、私達は往生すべき身と定まる、(諸有衆生・聞其名号・信心歓喜・乃至一念。願生彼国・即得往生・住不退転:巻下)と説きます。阿弥陀のいのちを生きる私達一切衆生が真に求めるものは、その願成就に他ならないからです。
阿弥陀は、何時の世の何れの処の如何なる者であれ、一切衆生を等しく照らし、いのちを支え導くから無量光無量寿の名も号するのである、と。
しかし、諸行往生(自力=自らの思い、を頼み諸善を修する)を目指す者もあり、往き易い浄土にもかかわらず念仏往生する者の少ないことを哀れんで、最後に釈尊は、弥勒菩薩に未来を付属(託)したことが説かれます。この経は難信の法ではあるが、疑惑を生まず仏智を信じて、末代まで伝持し、みな得度すべし、と。
聖人は正像末和讃に「五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし」と領解されています。
後半は、このように私達が弥陀(法蔵)の願に目覚める信心、すなわち、衆生往生の因果を中心に説かれています。

そして、私達は今もなお、生死の苦海を漂い悩み苦しみながら生きています。法蔵菩薩の願は成就した、にもかかわらず、です。
聖人は、正信偈で述べられています。

「已能雖破無明闇、貪愛瞋憎之雲霧、常覆真実信心天」
「すでによく無明の闇を破すといえども、貪(むさぼ)り、愛欲、瞋(いか)り、憎しみの雲霧が、常に真実信心の天を覆(おお)へり」

私の内にある阿弥陀のいのち(法蔵のいのち)は、世俗の欲を離れて輝いているのに、私といういのちの器が煩悩(我欲)に翻弄されて、いのちの輝きを閉じ込めてしまうのだ、と。

さらに、源信僧都の文類を引かれて「我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我」と続けられます。

image.jpeg  「大悲無倦常照我」山本  隶水  氏

蓮如上人(1415-1499 本願寺八世、真宗中興の祖)は、この三句を

「我も又(身は娑婆にあれども、)かの摂取の(光明の)中にあり。しかれども煩悩まなこを障<さ>えて、見たてまつらずといえども、大悲(弥陀如来は)、ものうきことなくして、常に我(が身)を照らしまします、といえるこころなり。」(正信偈大意)

と教えられます。つまり、それでも、阿弥陀のいのちは諦めずに支えてくださるのだ、と。

また、正像末和讃に「(南無阿弥陀仏は)無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」と、南無阿弥陀仏の教え(大無量寿経の教え)を諭され、聖人は私たちを励まされます。

このように、大無量寿経を真実の経とされ、「教行信証(正信偈は行巻の末にある)」を通じて、阿弥陀(法蔵菩薩=私たちの、いのち)の歩みをご教示くださいました。

そして、罪悪深重の身であると自覚されたご自身が助かる、唯一の教えが、この他力本願(阿弥陀さまが私達のために立てられたいのちの願)を信じて(=目覚めて)称名念仏申す(弥陀に帰依する)ことである、と述べられます。

「無慚無愧(むざんむき)のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(愚禿悲歎述懐)

 

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観無量寿経 (無量寿仏観経 と聖人は呼び習わされます)

観無量寿経は、王舎城の王子阿闍世(アジャセ)が、悪友提婆達多(ダイバダッタ)にそそのかされ、父王頻婆娑羅(ビンバシャーラ)を幽閉して死に至らしめ、母、韋提希(イダイケ)夫人をも軟禁したという悲劇(実話とされる)を機縁として、浄土往生の方法が説かれた経典です。

夫人の求めに応じて釈尊が示された十方諸仏の国土から、苦悩の韋提希は、阿弥陀仏の浄土への往生をねがいます。(はじめて人生に真向かいになり、道を求める韋提希の姿に)即便微笑された釈尊は、その方法として、阿弥陀仏のすがたや浄土を想い浮かべる十三の観法(定善観)と、人々それぞれの性質や能力に応じた修行により、浄土往生のさまを九品(上品上生から下品下生)に分けた三つ(上品・中品・下品)の観法(散善観)を説かれます。

観経は、中国の浄土教諸師にとって重要な経典でした。

曇鸞大師は、「浄土論註」に本経を引釈して、下品下生の念仏往生の理(五逆・十悪の不善の者も必ず往生を得る)を説き、また、衆生の仏を憶念する(観察する)心(法界)に現れる仏身(法界身=衆生の念に応じて現れる仏の姿)の意義(衆生心と仏身は呼応する一体のものであること)を明らかにされました。道綽禅師は、観経を時機相応の教法として、「安楽集」で総括的に論じました。講経は二百回に及んだといわれています。

この経には、多くの諸師(慧遠、吉蔵、智顗など)が註釈を施されましたが、これらはすべて、定善観も散善観も共に聖者のための観仏の方法が説かれているのだ、というものでした。

善導大師は、本経は観仏三昧(定善観)と念仏三昧(散善観)の二つの教えが説かれている、とされました。とくに、散善観には、日常生活における実践としての行が示され、凡夫のために浄土に往生する念仏一行が勧められている、これこそが本経の趣旨である、と明かされました。(葬儀のお経:「帰三宝偈」参照)

正信偈に謂うところの「善導独明仏正意(善導独り、仏の正意を明かせり)」です。

法然上人は、偏に善導大師の教えに依って専修念仏(ただひたすらに弥陀の御名を称える)を説かれました。

親鸞聖人は、「浄土三経往生文類」で、「しかれば、『無量寿仏観経』には、定善、散善、三福、九品の諸善、あるいは自力の称名念仏をときて、九品往生をすすめたまへり。これは他力の中に自力を宗致としたまへり。この故に観経往生とまうすは、これみな方便化土の往生なり。」、と説かれました。

浄土和讃では、「大聖おのおのもろともに 凡愚低下のつみびとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり」(註)と述べられます。

つまり、この経文は、顕われた面では、方便として、定善(聖者のための観仏三昧)散善(自力の念仏三昧)を説いているが、隠れた経の真意は、 罪悪重深の者に他力の本願念仏を勧めている、とされています。(教行信証、化身土本より)

ですから、真宗において観経は、絶望の淵で初めて人生に真向いになれた者(韋提希夫人に象徴される)の嘆き・問いに応えて説かれた、他力本願の念仏に凡夫を導くための教え、という事に他なりません。

(註)聖人は、王舎城の悲劇を、仏・菩薩が一切凡愚を念仏の教えに導くために権化の姿で演じられた出来事であるとされます。(教行信証総序・文類聚鈔)

 

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阿弥陀経

阿弥陀経は Sukhāvatī-vyūhaḥ(スカーヴァティー・ヴィユーハ:極楽の荘厳)という梵語名が示すように、浄土の様子を詳しく語り、ついで、その国土を開かれた阿弥陀の御名のいわれ(光明無量、寿命無量)が説かれます。そして、衆生に、浄土に生まれよ、一心にお念仏申せ、と勧められます。

次にこの法は、六方(東南西北下上)の諸仏が、証誠護念(真実であると証され、念仏の衆生を守ると約束された)したまうことを明かして、五濁(劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁)の世のために説かれたものであるけれども、大変な難信の法である、と述べられています。

善導大師はこの経の読誦を基に願生浄土の法要儀式の則を定められ、源信僧都は日々の読誦を勧められ、法然上人は浄土宗正依の経典の一つとされました。

聖人は、このことを「十方恒沙の諸仏は 極難信ののりをとき 五濁悪世のためにとて 証誠護念せしめたり」、と浄土和讃に詠ぜられます。

そして、この経の顕には、一心に念仏せよと自力の念仏が勧められているものの、実は本願(=果遂の願、つまり、自力の念仏者も遂には浄土に迎えられるという願)が秘せられている、と述べられています。(化身土本)
「定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に転入する」(浄土和讃)

 すなわち、念仏は、個人が自力で称えるのではなく、仏さまより念仏申すご信心を授けられているが故になされるのだ、と。

ところで、この経典は、釈尊が弟子の質問を待たずに自ら語る、無問自説経という珍しい形式をとります。この所以を聖人は「これすなわち、釈尊出世の本懐をあらわさむとおぼしめすゆへに、無問自説とまふすなり」(一念多念文意)といわれます。前にも触れましたが、出世の本懐とは、釈尊がこの世にお生まれになられた真の目的=衆生を救済するために本願念仏の法を説く=という意です。

以上、聖人は「浄土三部経」の真意は等しく、私達衆生を他力の本願念仏に導くことにあるとされ、次のように説かれます。

「しかるに、今『大本(大無量寿経)』に拠るに、真実、方便の願を超発す。また、『観経』には方便、真実の教を顕彰す。『小本(阿弥陀経)』には、ただ真門(浄土往生の法である念仏)を開きて方便の善なし。ここを以て、三経の真実は選択本願(他力本願)を宗とするなり。・・・」(化身土末)、と。

法蔵菩薩の歩み(阿弥陀のいのちを生きた人々の、道を求め続けた苦難の長い歴史)により到達した四十八願、絶望の淵の者(韋提希)の問いを機縁として明かされた釈尊出世本懐の法、そして、その教えに一心に手を合わせることを勧める経。これら、浄土三部経の教え(南無阿弥陀仏)は、まさに、手探りで人生を生きる私達自身、一人ひとりのための法なのです。

聖人はそのことを深く自覚されて、「歎異抄」後序で述懐されています。 

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」