坂口屋の図書館

甘酒の温故知新
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■ 銃後美談(昭和16年) 

  甘酒慰問隊

 ...事変この方皇軍の勇ましい奮闘と共に、陸軍病院にも名誉の戦傷者が送られて來るのであった。これを見、これをきいた生徒達は何とかして慰めてやりたいと...

(中略)

 そして考えついたのが甘酒慰問である。丁度旧正月の事でもあり、村の名産で千二百年の歴史を持つ山家印役麹である。早速病院に交渉すると、大変よろこんでくれた。さてどれ程の甘酒を造るか、どんな方法で接待するか...

 

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【解説】

 山形県東村山郡鈴川尋常高等小学校編とあります。

 昭和13年2月、40人あまりの小学生が甘酒を造り、戦争で負傷した人々を慰問したと記録がのこされています。

■ 藤村讀本(大正15年) 島崎藤村 著
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九九 甘酒屋

 冷たくすずしい氷ばかりが暑さを忘れさせるとは限りません。熱くてもおいしい甘酒はどうです。真鍮の色の光ったお釜をかけた甘酒屋の荷は、あの赤色からして夏らしいものではありませんか......(中略)

 あの熱いやつを飲みに立寄る行来の人も少なくはありませんでした.....

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【解説】

「破壊」「夜明け前」の小説で知られる島崎藤村が見た当時の甘酒売りの様子がうかがえます。

 暑い季節に甘酒が売られていたことが分かります。ただし、その甘酒の売り方は、飲み方は加熱して飲んでいたことが読み取れます。甘酒は常温で放置しておくとすぐ傷むため、冷蔵庫がなかった昔は、お釜で加熱しながら甘酒を販売していました。

 甘酒の挿絵でたまに見かけるあの昔の「天秤棒と箱」は甘酒を加熱する道具だったのです。

 

■ 東京印象記(明治44年)児玉花外 著
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  甘酒賣

 甘酒売りは、江戸時代の遺物らしい。今も東京の市中で、なかなかに売れるようである。

 寒い折には売歩かぬが、夏の暑い日から秋へかけて、毎日市中を甘酒売りが「甘い、甘い」と呼んで行く。

(中略)

 夏の日に甘酒も妙だと、地方の人は思ふだろうが、此処がそれ江戸っ子の面白いところだ。

 

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【解説】

 明治の終わり頃、東京では夏に甘酒売りが街中で甘酒を販売していました。挿絵には江戸時代と同様に天秤棒を担いだ甘酒売りの姿が描かれています。

 著者の児玉花外は京都生まれ、明治大学の校歌の作者として知られていますが、彼の著書からは甘酒は冬に飲むものだという考えが読み取れます。

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