七夕踊資料館

七夕踊考

2016-05-28 09:14:38
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里町「武者踊り」

薩摩藩政時代、「武者踊り」という踊りが武士階級では踊られていました。これは、義久、家久の時代からと言われ、士気の高揚・藩公の慶賀・忠誠心の表現として、踊られていたと言われます。それが、原形に近い形で残っているのが薩摩川内市里町の「武者踊り」です。
そして、里町の「武者踊り」と「市来の七夕踊」は、大いに関係があります。それは何かといいますと、七夕踊の太鼓踊りで歌われる歌詞と里町の「武者踊り」の歌詞が、殆ど同じです。

七夕踊の歌詞は、里町「武者踊り」の歌詞より短いのですが、それは多分に藩政時代の「武者踊り」の歌詞を抜粋して拝借しているからであろうと考えられます。


藩政時代、機会を捉えてまた武士のたしなみとして、どこでも「武者踊り」が踊られていたと想像されます。市来は、その昔、島津の直轄地でした。そして、「市来の七夕踊」は、農民の祭りです。「武者踊り」で歌われるその歌詞をいつも聴いていた当時の農民が、武士の許しを得て、七夕踊りの太鼓踊りの歌にしたのではないかと考えられます。


歌のリズムは、「武者踊り」と「市来の七夕踊」の歌のリズムは全然違います。「武者踊り」の歌い方は、武者らしく威風堂々としており、太鼓踊りもその音色も力強いものがあります。一方、「市来の七夕踊」の歌のリズムは、念仏踊りであることから哀調を帯び、踊り方も柔らかい優しい踊りです。

里村2.jpg「里村武者踊り」

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