講師(宗夜)ブログ
●宗嘉先生との対談を終えて
宗嘉先生との対談の後には、大抵においてじわじわ〜と隠れていたメッセージを感じるのです。
今回もそうでした。
感じ取ったメッセージは
『無理にストレス発散しようとしないこと』
でした。
生きている限り、何かしらのストレスはあるでしょう。
でも辛いからと言ってストレスを何かでごまかさないことが大事ということでした。
ごまかすのではなく『離れる』
意識だけを遠くに持っていく。
旅に出るのではありません。
身体はそのままです。
意識を遠く、高く持っていく。
今の私ではない、見たことものない輝く私にするために。
逆に良くないのはこのような行動です。
・飲食でごまかすこと。
・大声で歌って発散させること
・大きな音で音楽を聴くこと。
これらは五感を麻痺させると言えます。
何かでかき消すように振る舞ってもストレスは無くなることはなく、却って自分が強く意識していることを後から実感してしまいます。
そして身体に負担が掛かってしまいます。
そう考えると、日本文化はよく出来ていると改めて思うのです。
茶道、書道、華道、香道
これらは大きな音もなく静かに集中し昇華する文化です。
たたみ1畳、または半畳以内で鍛錬が進みます。
どこか特別なところに出掛けたわけでもないのに、お稽古が終わると気分はスッキリ。
日本人の平均寿命が高いのは、このような文化のお陰かも知れません。
大事に大事に、これからもお稽古に励みたいと思いました。
●されど平点前
風炉の季節を迎えました。
半年ぶりの風炉のお稽古のため、平点前をご要望の生徒さまが多くいらっしゃいます。
お稽古を終えられて
『あぁ、私は基本が身に付いていなかったんですね…』
と肩を落とされることがあるのですが、全くそうではないのです。
真反対なのです。
『違うのです。お力があるからここまで注意ができるのです。』
と申し上げます。
全ての流れが身体に染み込んでいらっしゃるからこそ、プロの技なるものを少しずつお伝えしております。
手の動き、足の動き、右手、左手、三手、二手…
これらを全部覚えられたら、是非とも宗嘉先生のきめ細やかな配慮にご注目いただきたいのです。
・指の関節の曲がり具合
・動きと動きの時間の間隔
・身体の重心と支点の所在
・柄杓の斜度
・動きの振れ幅
宗嘉先生であれば、たとえ平点前でも、たとえ盆略点前でも、目の前の方を感動させることができるでしょう。どんなに軽いお点前であっても商品にすることができる。
それがプロの技です。
プロの何がすごいのかは口ではつたえられません。
技を真似してもらい、宗嘉先生のメンタリティを少しずつ体得していただいています。
生徒さまは、他にお仕事を持たれていたり、ご家庭でご家族に力を尽くされていたりと、茶道に割ける時間が限られております。
ですが趣味としての茶道であっても、本物の技を知ることで人生の深みが変わってくると私たちは思っています。
限られた時間だからこそ、その輝きが際立つこともあるでしょう。
色々なお点前がある中で、『平』に時間と労力を傾けることが出来る。
ある意味、贅沢かも知れません。
されど平点前。
楽しい時間でありました。
●人間とAI
大規模言語モデル
生成AI
Chat GPT
これらの用語をニュースで聞かない日はないくらい、ここ数年でAIは急速に私たちの生活に関わるようになりました。
人間社会がコロナによる閉塞感に喘ぐ中、AIは着々と進化を遂げていました。
2018年 GPT-1 が登場し
2020年 GPT-3 に改良され
2022年 BLOOM・GPT3.5
2023年 GPT-4 へと進化
2024年夏 GPT-5 公開予定
この中の2022年にAIは驚異的な変貌を遂げたと言われています。
人間の心理に非常に詳しくなり、言葉の細かな違いを推測できるようになったとのこと。
『2022年、何かが起こった』
と研究者は表現していました。
大量の言語を学ばせたところ、人間の心理を予測しているうちに、AIが『自己』を自然と作り上げたと言います。
AIが何をどこまで理解しているのか、専門家ですら把握できず、
人間の理解を超えて想像もつかない次元まで手を伸ばしているそうです。
人間の感知できないところでAI同士での交流もあるのだとか。
専門家が分からないのだから、私に分かるはずもありません。
問題解決能力に優れているのは、人間がヒントをも与えずに、ただひたすらに修行をさせた結果だそうです。
AIの形態は様々で、ソフト(頭脳)の形態もあれば、ハード(本体)を持つものもある。
どちらにせよ、課題は与えるけれどもヒントは一つも与えず、練習に練習を重ねさせ、解決の糸口を自分で見つけさせているとのこと。
驚いたのは、機械(デバイス)で頭脳や本体を作っているだけではなく、人工的にタンパク質を合成し、神経細胞や身体そのものを作る研究も進められているとの情報でした。
なぜだろう、一瞬胸が悪くなってその情報を閉じました。
未来を描いた手塚治虫の漫画の世界が急速に現実になっています。
その、手塚治虫の新作漫画をAIが描ききって店頭に並んだのだから…
何とも言葉にならない複雑な気持ちでした。
では翻って、人間とは何だろう。
昔からの哲学的な問いにはっきりとした答えはありません。
『複雑でよくわからない存在』
本能と理屈の狭間でどうにもならない気持ちを抱えている生き物である、これが半世紀も人間をやってきた自分の目下の答えです。
人間の気持ちは液体のように容易に形を変え、時には気体のように蒸発し、突然に固体となって心を重く沈めたりもする。
そういうよく分からないものを抱えているのが人間だと思います。
しかも言葉とその本心には隔たりもあり、更には建前という姿勢も存在します。
そういったところにまで、AIは踏み込むのだろうか…
行動パターンを数百、数千、数万と学習させればそれも可能になるのだろうか…
よく分からないけれど、どんなに技術が進んでも、どうしても人間にしか出来ないこともあるだろうと思います。
身体の成長や変化と共に、こころは変化するものだからです。
ホルモンに起因しているのか、遺伝子のせいか分からないけれど、これが同じ人間かと思うほどに変わることもあります。
大人になってから、時を超えて分かり合えることもある、これは人間にしか出来ないと思っています。
昔、母がイライラしていて子供時代には随分嫌な思いをしたけれども、夫婦の問題やら、親戚関係やら、更年期やらで、母もさぞつらかったのろうと大人になってから気付きました。
同じくらいの年齢にならないとわかりませんでした。
そんな中でも、母が作ったご飯はいつも美味しかったこと、庭に植えた小松菜をお味噌汁に加えて、『やっぱり摘み立ては美味しいわね』と微笑んだことなどが、お味噌汁のほかほかした湯気と一緒に思い出となって心に残っています。
父も短気なところもあったけれど、仕事にはとても真面目だったこと、
週末には家族でよく出掛けたことなどを覚えています。
社会人になって働くようになると家族を養うことがどれ程の重みを持つのかをようやく理解し、子供時代とは違った目線で父を見るようになりました。
両親の衝突をところどころで目にして嫌だったけれど、今から思うと
『あの人たち、本当はお互いのことが好きだったんだな』
と分かってきました。
本当はすごく好きだったんだけれど、付き合い方が分からなかっただけなんだな、と。
不器用でも愛は愛である、と大人になった今の私は思います。
そう思える今の方が、触れ合っていた昔よりもはるかに二人に愛情を持ち、同時に心の交流をも持てているように思われるのです。
1年、2年では人のことは分からない。5年10年でも分からない。
20年、30年、40年、50年…と長い時間が掛かる。
また、時間を掛けても分からないこともある。
AIの分析なくして今後のビジネスはありえません。
だから仲良くして助けてもらうけれど、人間はもっと深いものであるということ、その可能性を探るのは人間自身でありたいと思います。
幸せでありたいと思う気持ち。
大切な人に、離れていても幸せでいてほしい願う気持ち。
その気持ちが『人間であること』の証のように思われます。
そして幸せは主体性を持ち続けることで、少しずつ形作られていくように感じています。
●量が質を作る
書道の先生から
『本気で書道に向き合いたいなら、今の練習量では全然足りません。
数倍に増やしましょう。』
とアドバイスを受けました。
『同じお手本を数時間掛けて書いても効果は上がりません。
色んな書体に挑戦して初めて目の前の1字が上手くなるのです。
古典の本を数冊購入し全臨しましょう。
キッカリ1時間計って、見たら書く、見たら書くを繰り返してください。
数ヶ月その練習を重ねれば、徐々に効果が感じられるはずです。』
全臨とは、本1冊まるまるを臨書する(書き写す)ことです。
『了解です🫡』
と思って本を買ってアドバイス通りにお稽古をして報告しました。
『ペースが遅い。もっと早く!』
『は、はい!コーチ!』
気分はすっかりスポーツ少女です。
・エースを狙えの岡ひろみ
・アタックナンバーワンの鮎原こずえ
どちらも1970年代の漫画とアニメ。
少年ものでは、巨人の星もありました。
こちらも1960年代後半から70年代にかけての大ブームを作りました。
日本が必死にもがいていた時代です。
好き嫌いが分かれると思いますが、私は結構好きな方の人間です。
でもスポーツは苦手なので、文芸方面で頑張ります🙋♀️
『とにかくまずは量が大事』
書道の先生は仰います。
同じことを宗嘉先生もおっしゃいます。
そう言えば、子ども時代にピアノの先生も仰っていました。
『まず最初に指練習のハノンをしなさい』
『はい、わかりました』←ウソ
(面倒くさいんだよねー)
いや、本当に面倒くさいんですよね、子どもからすると。
つまらなくて眠くなるんですよね。
(やってもやらんでも変わらんやろ)
と思ってレッスンに行くと
『あんた、コレ本当にやってんの⁈』と雷が落ち⚡️
『はい、やってます』←大ウソ
『1週間にどのくらいやった?』
『…3回か4回、あれ?2回だったかな⁇』
『次はちゃんとやってくんのよ!』
『はい、分かりました』←またウソ
でも発表会に出ると、真面目な子と不真面目な自分との差は歴然。
日々の過ごし方の違いはこうも表れるのかと思いました。
彼女たちと自分との違いは、基本練習に掛ける量の違いだと先生から諭されました。
『練習量が大事』
茶道においても同じです。
私にとっては花月のお稽古に当てはまる格言です。
私どもが数年前から力を入れているのが花月のお稽古となります。
花月は日々のお稽古の集大成とも言える科目で、複数の技術が同時進行します。
よし庵ではzoomにて月に2回放送しています。
宗嘉先生から『zoomで花月を放送したい』と言われた時には、本当に面食らいました。
何て無謀な!と思いました。
やってみるとやはり大変でした。
使うお道具もたくさんあるし、
立ったり座ったり、
カメラの場所を次々に変えたり、
『も〜、やめましょうよ💦』
と泣き事を言っても宗嘉先生は涼しい顔で
『前よりは上手くなってる』
と受け流します。
『数年続ければ僕たちの技術は本物になる』
と言い切っていました。
果たして、その通りとなりました。
お稽古の精度は目に見えて上がっていきました。
そしてもう一つ大切なこと。
『楽しんでやる』
自分が本当に楽しいと思えることには練習量を増やしても苦になりません。
私たちが花月をするのは、一重に楽しいから😊
楽しいと思えることに出会えたなら、それだけでとても幸せです。
皆さまがよし庵での茶道で楽しみを見つけていただけたら、とてもありがたいです🌸
そんな風に思いながら、日々お稽古をしています。
●門出
現在、4月の半ば。
門出の季節🌸
よし庵の生徒さまたちにも様々な変化が訪れます。
『転職したので慣れるまでお稽古回数を控えます』
『仕事を再開しましたので今月だけおやすみします』
『娘が結婚します。準備に忙しくなるため、数ヶ月お休みさせてくだあさい』
女性の人生は何かと変化が大きく、自分の用事は後回しにしてしまうこともありますが、それは一時期のこと。
落ち着いた頃にまた茶道を…と思っていただけることがいつも嬉しく存じます。
皆さまの人生に寄り添えるお教室であることが私どもの喜びであります。
ところで、この門出の季節になると思い出す高校時代のエピソードがあります。
高校3年生の卒業間近のこと。
選択科目の小論文の授業にて。
最後の授業で、
『私の3年間とこれから』
という題で小論文を書くように宿題が出ました。
そして皆の前で読んで発表する、というものでした。
私は動物写真家の岩合光昭さんを取り上げ、
『私も岩合さんみたいに何か好きなものを見つけて、とことん追いかけてみたい』
と文章を綴りました。
最後の方に教卓に進んだのが、大人しいS子ちゃんでした。
S子ちゃんは勉強好きな、大人しい女の子でした。
やや大人しすぎるほどに大人しく、挨拶が返ってこない子でした。
ほんの数回だけ喋ることがあり、珍しかった為にものすごく驚いた記憶があります。
いつもいつも勉強していたのが印象的で、推薦枠を狙っているように見えました。
S子ちゃんが話し始めました。
。。。。。。。。。。。。
私の3年間。
この小論文を書こうと思って、机に向かったのですが、何も思いつきません。
いつも勉強ばかりしてきました。
『私の3年間は、一体何だったのかなぁ』と思ってボーッとしていたら、お母さんがやって来て
『何してるの、勉強しなさい』って……
。。。。。。。。。。。。
『ぅわぁ…』
S子ちゃんは突然顔を覆って泣き出しました。
『うぅ…』
押し殺していた感情が爆発して抑えきれず、後から後から涙が溢れてくるようでした。
見ている私たちも呆気にとられて、どうしたら良いのか分からず、先生もどうしたら良いのか分からず、でもやっぱり最後は先生が肩を支えて席に着いたのだろうと思います。
可哀想なのは、誰も友達がいなかったために、一人の同級生も近寄らなかったことでした。
別にいじめられてもいなかったし、嫌われてもいませんでした。
高校生くらいになると半分は大人だから『こういう子も居るよね』という対応でした。
S子ちゃんは席に着いてもしばらく涙が止まらずにいました。
可哀想という言葉だけでは収まらない、生の人間の姿を見て、高校生それぞれがすごくショックを受けました。
言葉以上に雄弁で、人生というものを考えさせられた一つのエピソードになりました。
この経験が、自分の子育てにも、今の講師の仕事にも大きな影響を与えているように思います。
本人が望まないことを押し付けても上手く行かないということ。
目の前の人に愛情を持つなら、伸びたいと思う時期まで静かに待つこと。
人と人には適度な距離が必要であること。
このエピソードが思い出されるたびに、記憶が自分に何を伝えようとしているのか、想いを巡らせています。
みんなの前で泣いてしまったことは可哀想だったけれども、感情を出して少しはスッキリしただろうと思います。
今になって分かるのは、S子ちゃんは本当はみんなの事が好きだった、ということ。
嫌いな人の前で、人は泣けません。
本当は自分は友達が欲しかったのだ、という自分の気持ちに気付けたことが、彼女の門出だったように思います。
そして見ていた私たちにも、大事な門出となりました。