講師(宗夜)ブログ
●大人女性の言葉 タメ口は棚上げ
リモートで副業をしてみたい。
趣味を広げて仕事に繋げたい。
成果を上げる秘訣を教えてほしい。
そんなお声をいただくことが多くなりました。
仕事の核となる専門技術を既にお持ちであるなら、次に大切なのが言葉づかいです。
言葉づかいは、お互いの距離を測るバロメーターです。私たち人間は、毛繕いをしなくなった代わりに、言葉や目線でお互いの立ち位置や距離感を把握するのです。
仲良くしたい。
自分のことを早く知ってほしい。
距離を縮めたい。
そのような気持ちで敢えて敬語を使わず、タメ口で話す方をお見かけすることがあります。
相手の懐に入り込むように接するのです。
しかし、大人同士の関係や、代金が介在するビジネスの場では常に敬語を心掛ける方が無難です。
タメ口は棚上げし、どんな場でも敬語が自然に口から出るように訓練しておくと、心象が良くなり評価も成果も上がりやすくなります。
以前、ビジネス英語を習っていました。
仕事の現場では、参考書や教科書で習ったような英語表現は通用しませんでした。カジュアル過ぎたり、逆に学術的過ぎたりしました。
会話の途中で、度々顔をしかめられることがあったので、思い切って受講したのでした。
講座の先生は、大手自動車メーカーに長年勤務された方でした。海外に長く赴任し、最終的には人材育成に携わっていたそうです。
その会社では、数十年前グローバリゼーションが叫ばれていた時代に、帰国子女を中心として人事採用を行っていた時期がありました。
ビジネス文書の迅速な作成が、帰国子女たちに託された使命でした。
ところが…
………………………………………
彼らはビジネス文書が作れなかったんですよ。
日常会話は何の問題もなく話せる。
だから当然、何もかも出来ると会社側は思ったんでしょうね…
『今話したことをきちんとした敬語に直して、ビジネス文書に翻訳してください』
と指示してもビジネス現場で通用する表現がわからないみたいでした。
結局、採用方針を従来に戻しました。
その経験を経て思ったことは、まず母国語での敬語表現を身につけることが肝要ということでした。
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大人としての言葉づかい。
どの国に住んでいてもこの言語のセンスを身につけることは簡単ではないようです。
ではどうしたら、敬語表現を主としたビジネスセンスを身につけることができるのか。
一つには、
『優れた人となるべく多く接すること』
ではないかと思います。
まずは静かにしてみましょう。
一人静かにできる時間を持ってみましょう。
それから自分に有益と思われる言葉だけを自分の中に入れていきます。
日ごろ静かにしていると、優れた人の言葉を聞き分けられるようになってきます。
また自分の好きなことを掘り下げてみることも、大人表現の獲得に役立ちます。
私は最近になって自然科学の分野がすごく好きであることに気が付きました。
そう言えば、
子ども時代から何となく好きでした。
天文学とか、地学とか、何となく好きでした。
大人になって心が落ち着いてきたら、また興味が湧いてきたのです。
自分の好きな分野がハッキリしてくると、その都度の適切な表現が身についてくるようです。
サイエンス系の番組を視聴しているうちに、そのナレーション法は自分が仕事をする上でとても参考になっていることに気がつきました。
・声の出し方
・間合いの取り方
・発音の仕方
・敬語表現
・難解な表現をどこまで簡易にするかの塩梅
このような事を、知らず知らずに気にしていました。
言語能力は訓練すれば必ず向上します。
タメ口は思い切って棚上げしてみましょう。
それだけで大人としてのふさわしい表現を考えるきっかけとなり、借り物ではない大人の言葉が内側から作られていきます。
●角出しと銀座結び
『よし庵では浴衣と半幅は避けましょう』と宗嘉先生と意見が一致した数年前、ほかの帯結びについても色々と考えていました。
角出しと銀座結びは茶道にはどうでしょうか?
今まで茶室でこの結び方をしている方を見かけたことはないけれども…
茶室にはどうなのだろうか?と思いました。
宗嘉先生にお聞きすると、私と同様『見たことはない』とのこと。
角出しは江戸時代に商家の女性が締めていた帯結びとされ、銀座結びはその角出しをやや簡単に結べるように大正時代に考案されたとのこと。
これらには様々な説があって、どれが正解なのかよく分からないのが私の正直なところ。
ただ共通していたのは
・カジュアルな結び方なので礼装には向かない。
・オシャレ着であるが、年長者に対して無礼という訳ではない。
ということでした。
『失礼ではないならば、お稽古の場では締めても良いのかもしれない』と思い、まずは自宅で試してみようと思いました。
そんなことを考えていたある日、地元のバスにてちょうど角出しを締めている女性に出会いました。
バスに乗り込み、後部座席に座ってふと前を見ると、角出しを締めている女性が一人席に座っておられたのです。
ス・テ・キー❣️
年配の女性で、白髪のボブカット。
着物はあずき色の夏物。
帯は、苧麻(からむし)に見えました。
ふんわりとしたボリュームのある角出しが、苧麻の魅力を最大限に引き出していました。
エアリーな素材感。
真夏にも関わらず、その女性は堂々として涼しげです。バスを降りると、やはり誇らしげに背筋を伸ばして街中に消えていきました。
街中で角出しを見かけるのは初めてでした。
ステキ、ステキ、私も結んでみよう❣️
苦労しながらも、完成。
ああ良いわ、角出し。
鏡の前であっちこっちを見回して大満足。
では少し休憩してお茶でも飲みにリビングへ…。
ググッ。
膨らんでいるところがドアノブに引っ掛かりました。
『え?なに?やだもー』
もう一度部屋に戻って形を直し、ドアノブを避けるようにしてリビングへ…。
ガサッ。
今度はドアの縁に角が当たって向こうへ押され、角の形が崩れてしまいました。
『またぁ?』
再々度部屋に戻って形を直し、自分の帯姿を観察すると、
『ああ、思っていたよりも角が外に出っ張っているのね』
これは一重太鼓や二重太鼓にはない形状です。
帯結びにより、自分の腰回りが、左右にも前後にも大きく膨らんでいるのでした。
どうやら正面突破は難しそう。
横向きから出るか。
カニさん歩きで用心しつつ廊下に出て、リビングへ。
やれやれ…。お茶、お茶…。
ボトッ。
突然棚の上のティッシュケースが落下しました。
また角が当たったようです。
振り向いて取ろうとすると、
ボトッ
今度は調味料(わさびのチューブ)が落ちました。わさび(未使用)で良かったー💦💦
椅子に座るも、かなり前の方に座らないと帯の形が崩れてしまいます。
こ、これは…。
無理ですな😢
どう考えても水屋で準備や後片付けなど出来そうにない。お道具を引っ掛けたら大変です。
電車に乗るのも難しそう。
他のお客様からクレームが出そう。
そもそも自分の部屋から一度で出られなかったし。
だから裕福な商家のお嬢様とか奥さまが結んでおられたのね。
身分制度の厳しい江戸時代。
裕福な方々はお勝手仕事などされなかったから、この帯結びが可能だったわけね。
なるほど、なるほど、と一人で納得していた時、もう一つ納得しました。
だから街中では見かけないんだ!
半幅で角出し風に結んでいる女性は今まで何度も見かけたけれども、袋帯での本格的角出しは滅多に見ない。
それはこのように扱いにくいことが要因だったのね。
と、いうわけで…
お稽古も含めて、お茶室では一重太鼓か二重太鼓でお願いいたします😊🤲
●浴衣と半幅
よし庵では、暑い時には洋装でのお稽古をお勧めしております。特に昨今の猛暑は、もう本当に凄まじいですよね💦
着物は皆さまへの負担も大きいので、無理せずに洋装でお越しいただくようにお伝えしています。
ただ、浴衣と半幅はご遠慮いただいております。
先ごろご入会された生徒さまより、その理由を問われましたのでこの場で説明いたします。
……………………………
《浴衣》
浴衣は湯帷子(ゆかたびら)に由来し、江戸時代には寝巻きでした。
江戸時代後期には、町々に公衆浴場があったそうで庶民でも日常的に使っていたとのことです。
石鹸はないので、米糠を晒しに入れたもので身体を洗っていました。
また、バスタオルなどもありませんので、小さな手拭いでちょちょっと体を拭いたあと、水分の残ったまま浴衣を着ていたと言われています。
ほてった体に浴衣を羽織り、肩には手ぬぐい引っ掛けて。夜風に後れ毛をなびかせ花火を楽しむ江戸男女の姿が目に浮かびますね。
う〜ん、粋です✨
現代では和服は遠い存在であり、浴衣もよそ行きのカテゴリーかも知れません。
浴衣であっても着るにはそれなりに技術も必要なので、『なんでダメなの?』と感じられるのも無理はないと思います。
ですが、元は寝巻きと知ってしまうと、茶道にはちょっと…、という判断が働くのです。
《半幅》
半幅は、街中の庶民や使用人が締めていた帯でした。普通の帯に比べると使う道具は極端に少なく、早くて簡単。
また、背中がコンパクトなのでお勝手仕事に持ってこいです。
貝の口や矢の字や吉弥結びなどは、横から見ると背中がぺったんこなので動きの邪魔とならずにクルクルと働けます。
半幅には他にも色々な結び方があってオシャレ。
街中で歩くのにはとても素敵です。
ですが茶道の場では、カジュアルな印象が強くて設えの厳粛さから浮いてしまうのです。
こちらも、元はお勝手仕事のための帯結びと知ってしまうと、お茶室にはちょっと…となります。
………………………
茶道は武家文化を背景とする芸術ですので格を重んじます。現代の生活からは馴染みがないため、最初は堅苦しく感じるかも知れません。
でも『格』を少し意識すると今までとは違う角度でものが見えるようになります。
根拠を得るので堂々とした気持ちになります。
これが大人世代の本物のオシャレなのかな、と思っています。
●茶道のバックグラウンド
宗嘉先生の動画のうち、裏千家茶道とキリスト教との関係を解説したものがあります。
その動画をご覧になられた生徒さまから、このような質問を受けました。
『茶道って禅仏教から生まれた日本文化ですよね。それなのに他宗教であるキリスト教からも影響を受けているんですか?』
『ああ、そうですよね。普通はそう思いますよね。』
仏教は紀元前6世紀ごろに北インドで生まれたと伝わります。そしてお釈迦さまの死後、弟子などによって教えが徐々に広がり大陸を巡りました。
元々の土着信仰も巻き込んで独自の発展を遂げながら普及したと言われています。
そのうちの一つがシルクロードでキリスト教とも交わり『極楽浄土』という新たな発想を得ました。
それらが海を越えて様々に日本にも伝わり、仏教という形の中で間接的にキリスト教の概念も私たちの意識に根付いていったと思われます。
善悪とか、天国や地獄といった概念の土壌は、既に日本人の中に根付いていました。
それらが外国から来た煌びやかな人たちの口から流れると、新しい光となって瞬く間に人々を魅了していったのではないかと想像します。
ところどころで共通点があって、でも自分たちとは少し違った香りがする。
その塩梅が絶妙だったのではないでしょうか。
美しい抑揚を持つ外国語。
まるで何かのメロディのよう。
優しくて美しくて豊かな光の世界に、人々は希望を求めたのだと思います。
殺伐としてどうしようもない辛い世の中。
そういう時代を迎えると、人は『たった一つの絶対的な存在から丸ごと救われたい』という気持ちを持つものだと聞いたことがあります。
日本には八百万の神が棲んでいらっしゃるけれども、本当に辛い時には、あっちの神様、こっちの神様と願い別にお祈りする余裕は消えてしまう。
とにかく今の状態からどうにか私を救い出してもらいたい。お願いだから。
そういう気持ちで教典を勉強したり、お経や念仏などをとにかく一心に唱えるものだと。
為政者からすると、信仰はとても扱いが難しいことでしょう。言っていることは素晴らしいんだけど、為政者自身に注目が集まらないと治政ができない。自分のために喜んで働いてくれなくなるから税の取り立てが困難になる。
弾圧すればどこまでも抵抗するし、町は荒廃して世の中はますます乱れるし。
心の中まで統制は出来ない。
しかも信仰は世代を超越して伝わる。
知らず知らずに日々のルーティンワークに組み込まれていくから。
茶道はある意味、融和政策なのかもしれません。
『心の中で信じていて良いよ。でも「キリスト教」って口に出すのはやめてね。あと教会に行くのもやめて。赤ワインを飲み回しするんじゃなくて、茶室でお茶を飲み回しするならいいよ。』
救いを求める人間の気持ちは、どんな世の中でも絶えることはないのだなぁと思います。
子どもが高校生だった頃、唐突にこのように質問されました。
『人間に宗教は必要なの?』
(来た来た。ついにこういう質問が来た。)
成長を嬉しく噛み締めながら
『必要だよ。』
と言い切りました。
『ただし、宗教という形を取っていなくてもいいと思う。何か自分の気持ちを支えてくれるものがあれば、それがその人の宗教だと私は思っている。』
世の中は厳しい。
今も昔も厳しい。
人は誰もが不完全なのだけれど、大人になるとそれは許されない。完全を求められる。
または完全を目指すよう求められる。
誰から、とは言えない。
世の中から、としか答えられない。
だけど、人間はそんなに頑張れない。
限界があるから、失敗だって様々にある。
そんな時、
『それでも良いよ。失敗を経験することも成長だよ。』
と慰めてくれて忘れさせてくれて、明るい気持ちにさせてくれる存在とコミュニティが必要なの。
そういう場所を心に持てたら、それが幸せというものだろうなぁと思いました。
茶道はやはり救いの道なのだろう、と改めて思いました。
●ネガティブはマイナスにあらず
宗夜🔴『今までナルシストやポジティブについて語ってきましたけど、ネガティブってどうなんでしょう?』
宗嘉🟦『悪くないよ、ネガティブだって』
宗夜🔴『悪くないんですか?』
宗嘉🟦『優しいんだよね、ネガティブの人って』
宗夜🔴『優しいのはポジティブなのでは?』
宗嘉🟦『優しさの質が違う』
ポジティブの人は理屈に基づいた優しさ。
ポジティブの人は、自分が前向きで能力も高いから、最短距離がすぐに見えて、その道筋通りに行動できる。
優しいし、頭も良いからちゃんと誠実に聞く。
でも共有はしない。
『そうかぁ、大変だね…』
と悩みを聞くけど、話が終わってバイバイしたら自分の仕事に移る。
ネガティブな人は違う。
ものすごく真剣に聞いて、自分も本人と同じくらい一緒に腹を立てたり、自分の人生の問題として共有してしまう。
話を聞いてもらっている人は、肩の荷が半分降りて気持ちが楽になることだろう。
そして『共有してくれてありがとう』と感謝される。
『ああ、困った!どうしよう💦』
と右往左往している時に、パッと手を差し伸べて助けてくれる人にはネガティブな人が多い。
傷ついて育ってきたから傷ついた人にとても優しい。ネガティブな人の一番の長所と言える。
だけど他人の問題を自分の問題にしてしまうから、いつまでも引きずってしまう。
そうなると日常のペースが乱れてしまう。
そういう役回りを幼い頃から負わされてきた。
宗夜🔴『幼い頃から?』
宗嘉🟦『そう。幼い頃から。そしてよく気が利くから、周りの大人もついついその幼児に甘えてしまう』
宗夜🔴『それはつらいですね』
宗嘉🟦『そう。つらい。だから…』
心の中で親を恨んでいる人が多い。
でも優しいから顔には出さない。
そしてまた自分を責める。
『自分の親を恨むなんて…』って。
本当は恨んでも良いんだ。
そして『恨んでも良いんだ』と腹を括って、あとは綺麗さっぱり忘れてしまうんだ。
宗夜🔴『うーん。忘れることが出来れば苦労はしないんでしょうけど…』
宗嘉🟦『そうなんだ。それがなかなか出来ないからまたつらいんだ。忘れるためには…』
自分の良いところに気付くことが大事。
優しいところはすごく良いところ。
その優しさは、傷ついてきたからこそ得られた優しさだということに気付くことが大事。
理屈では測れない、正論など何の意味も成さない、どうしようもない人のつらさなどを受け止められる優しさは、子供時代からの経験が作ったものなんだ。ある意味、財産と言える。
そしてすごく気が利く。周りを見てすぐに適切に動ける。これも財産。
自分の過去を肯定できれば、嫌な思い出も自然に消える。
『あれはあれで良かったんだな』
と思えた瞬間に消える。
日常の過ごし方としては…
自分がネガティブなものに影響を受けやすいということを認めて、極力関わらないようにする。
暗い話題のニュースもなるべく見ない。
そうすると精神が安定してくる。
宗夜🔴『心が安定すると、明るいものに目が行きそうですね』
宗嘉🟦『そうなるとポジティブの友人が増えてきて、日常が楽しくなるよ』
つまりネガティブも養殖ポジティブになれるということですね。
ネガティブはマイナスにあらず。
開拓する余地があると捉えるべし!