講師(宗夜)ブログ
●卯月の花月(東貴人且座・菓子付き花月)
卯月花月会(第4水曜日)
下記の2科目のお稽古が催されました。
。。。。。。。。。
・東貴人且座
・菓子付き花月
。。。。。。。。。
社中の生徒さま2名
ビジター会員さま3名
とのお稽古でした。
社中の生徒さまは毎月の花月会をとても楽しみにしてくださっておられる2名様。
花月の作法も準備も後片付けも手慣れたもの。
一回一回のご経験を確実に重ねられ頼りにさせていただいております。
一方ビジター会員さまは多種多様なお顔ぶれ。
・毎月のように外部から花月のお稽古にご参加くださる会員さま
・海外からの一時帰国の際に、お立ち寄りくださる会員さま
・YouTubeで私共の活動にご興味をお持ちくださりお申し込みくださったお初の会員さま
毎月ご参加くださる会員さまは、私共とも、社中の生徒さまとも心安く接しておられ、ほぼ社中の間柄。
雨模様にも関わらず美しいお着物でご参加くださいました。
海外からの一時帰国にお立ち寄りくださる会員さまは、今回で2度目のご参加。
お目にかかるのは今回で2度目ですのに心がすっかり打ち解けて、旧友に会う時のような懐かしい気持ちになります。
生活の場は離れていても『茶道』という共通の軸を持つ強みでしょうか。
お顔を拝見して、つい『お帰りなさい』と声を掛けそうになりました。
それはさずがに図々しいと留まりましたが、そのような気持ちになることが自分でも嬉しく思いました。
そしてYouTubeのご視聴から、お初にご参加くださる会員さま。
『茶道が好き。花月が好き』
という熱情が伝わって参りました。
そしてその根底に『人とのつがなりが好き』というお気持ち。
温かい笑顔とお声が印象的で、お茶室をほんわかと明るくしてくださいました。
この日は生憎、よし庵リフォームの最大の佳境の日でございました。
お稽古に励む皆さまのお隣で、トンカントンカン工事が行われており、心苦しく思いました。
しかし人間の集中力はすごいもので、皆さまそれらに動じず、流れは阻まれず、所々で声が掻き消されながらもお稽古は進んでいきました。
花月会では2種類のお菓子が供されます。
今回の和菓子は下記の通り
・花衣(ういろう)
・蝶々・青楓・桜(和三盆)
花衣は柔らかいういろう生地に、フルーティな柚子餡。
薄ピンクの優しいお色が心を和ませます。
和三盆の蝶々は、ちょうど飛び立つ瞬間で、ひらりと羽が上向きに。
飛び回るのは、同じく和三盆の青楓(抹茶風味)、名残りの桜(いちご風味)です。
見ているだけで春の陽気が伝わってきました。
お稽古の終わり頃に雨がやんで、薄日が差してきました。
完成間近のよし庵の敷石が、光を受けて白く浮かび上がります。
『ああ、もうそろそろ完成ね』
ベテラン生徒さまが水屋の窓から景色を見て呟きます。
ビジター会員さまが問いました。
『え?何が?』
『次の日曜日のお茶事までに茶庭が完成するんです』
『あらー!』
『え、どれどれ…』
『ところであの白い花は何かしら?』
小さな二つの窓に顔を寄せて、新旧の会員さまが仲良くお喋りするひと時。
お稽古も楽しいけど、何でもないようなこんな会話がまた楽しい。
次回もまた第4水曜日に花月会。
科目は下記の通りです。
・二人貴人且座
・四畳半花月
宗嘉先生の手作り和菓子と美しく仕上がった茶庭をどうぞお楽しみになさってくださいませ😊
●量が質を作る
書道の先生から
『本気で書道に向き合いたいなら、今の練習量では全然足りません。
数倍に増やしましょう。』
とアドバイスを受けました。
『同じお手本を数時間掛けて書いても効果は上がりません。
色んな書体に挑戦して初めて目の前の1字が上手くなるのです。
古典の本を数冊購入し全臨しましょう。
キッカリ1時間計って、見たら書く、見たら書くを繰り返してください。
数ヶ月その練習を重ねれば、徐々に効果が感じられるはずです。』
全臨とは、本1冊まるまるを臨書する(書き写す)ことです。
『了解です🫡』
と思って本を買ってアドバイス通りにお稽古をして報告しました。
『ペースが遅い。もっと早く!』
『は、はい!コーチ!』
気分はすっかりスポーツ少女です。
・エースを狙えの岡ひろみ
・アタックナンバーワンの鮎原こずえ
どちらも1970年代の漫画とアニメ。
少年ものでは、巨人の星もありました。
こちらも1960年代後半から70年代にかけての大ブームを作りました。
日本が必死にもがいていた時代です。
好き嫌いが分かれると思いますが、私は結構好きな方の人間です。
でもスポーツは苦手なので、文芸方面で頑張ります🙋♀️
『とにかくまずは量が大事』
書道の先生は仰います。
同じことを宗嘉先生もおっしゃいます。
そう言えば、子ども時代にピアノの先生も仰っていました。
『まず最初に指練習のハノンをしなさい』
『はい、わかりました』←ウソ
(面倒くさいんだよねー)
いや、本当に面倒くさいんですよね、子どもからすると。
つまらなくて眠くなるんですよね。
(やってもやらんでも変わらんやろ)
と思ってレッスンに行くと
『あんた、コレ本当にやってんの⁈』と雷が落ち⚡️
『はい、やってます』←大ウソ
『1週間にどのくらいやった?』
『…3回か4回、あれ?2回だったかな⁇』
『次はちゃんとやってくんのよ!』
『はい、分かりました』←またウソ
でも発表会に出ると、真面目な子と不真面目な自分との差は歴然。
日々の過ごし方の違いはこうも表れるのかと思いました。
彼女たちと自分との違いは、基本練習に掛ける量の違いだと先生から諭されました。
『練習量が大事』
茶道においても同じです。
私にとっては花月のお稽古に当てはまる格言です。
私どもが数年前から力を入れているのが花月のお稽古となります。
花月は日々のお稽古の集大成とも言える科目で、複数の技術が同時進行します。
よし庵ではzoomにて月に2回放送しています。
宗嘉先生から『zoomで花月を放送したい』と言われた時には、本当に面食らいました。
何て無謀な!と思いました。
やってみるとやはり大変でした。
使うお道具もたくさんあるし、
立ったり座ったり、
カメラの場所を次々に変えたり、
『も〜、やめましょうよ💦』
と泣き事を言っても宗嘉先生は涼しい顔で
『前よりは上手くなってる』
と受け流します。
『数年続ければ僕たちの技術は本物になる』
と言い切っていました。
果たして、その通りとなりました。
お稽古の精度は目に見えて上がっていきました。
そしてもう一つ大切なこと。
『楽しんでやる』
自分が本当に楽しいと思えることには練習量を増やしても苦になりません。
私たちが花月をするのは、一重に楽しいから😊
楽しいと思えることに出会えたなら、それだけでとても幸せです。
皆さまがよし庵での茶道で楽しみを見つけていただけたら、とてもありがたいです🌸
そんな風に思いながら、日々お稽古をしています。
●門出
現在、4月の半ば。
門出の季節🌸
よし庵の生徒さまたちにも様々な変化が訪れます。
『転職したので慣れるまでお稽古回数を控えます』
『仕事を再開しましたので今月だけおやすみします』
『娘が結婚します。準備に忙しくなるため、数ヶ月お休みさせてくだあさい』
女性の人生は何かと変化が大きく、自分の用事は後回しにしてしまうこともありますが、それは一時期のこと。
落ち着いた頃にまた茶道を…と思っていただけることがいつも嬉しく存じます。
皆さまの人生に寄り添えるお教室であることが私どもの喜びであります。
ところで、この門出の季節になると思い出す高校時代のエピソードがあります。
高校3年生の卒業間近のこと。
選択科目の小論文の授業にて。
最後の授業で、
『私の3年間とこれから』
という題で小論文を書くように宿題が出ました。
そして皆の前で読んで発表する、というものでした。
私は動物写真家の岩合光昭さんを取り上げ、
『私も岩合さんみたいに何か好きなものを見つけて、とことん追いかけてみたい』
と文章を綴りました。
最後の方に教卓に進んだのが、大人しいS子ちゃんでした。
S子ちゃんは勉強好きな、大人しい女の子でした。
やや大人しすぎるほどに大人しく、挨拶が返ってこない子でした。
ほんの数回だけ喋ることがあり、珍しかった為にものすごく驚いた記憶があります。
いつもいつも勉強していたのが印象的で、推薦枠を狙っているように見えました。
S子ちゃんが話し始めました。
。。。。。。。。。。。。
私の3年間。
この小論文を書こうと思って、机に向かったのですが、何も思いつきません。
いつも勉強ばかりしてきました。
『私の3年間は、一体何だったのかなぁ』と思ってボーッとしていたら、お母さんがやって来て
『何してるの、勉強しなさい』って……
。。。。。。。。。。。。
『ぅわぁ…』
S子ちゃんは突然顔を覆って泣き出しました。
『うぅ…』
押し殺していた感情が爆発して抑えきれず、後から後から涙が溢れてくるようでした。
見ている私たちも呆気にとられて、どうしたら良いのか分からず、先生もどうしたら良いのか分からず、でもやっぱり最後は先生が肩を支えて席に着いたのだろうと思います。
可哀想なのは、誰も友達がいなかったために、一人の同級生も近寄らなかったことでした。
別にいじめられてもいなかったし、嫌われてもいませんでした。
高校生くらいになると半分は大人だから『こういう子も居るよね』という対応でした。
S子ちゃんは席に着いてもしばらく涙が止まらずにいました。
可哀想という言葉だけでは収まらない、生の人間の姿を見て、高校生それぞれがすごくショックを受けました。
言葉以上に雄弁で、人生というものを考えさせられた一つのエピソードになりました。
この経験が、自分の子育てにも、今の講師の仕事にも大きな影響を与えているように思います。
本人が望まないことを押し付けても上手く行かないということ。
目の前の人に愛情を持つなら、伸びたいと思う時期まで静かに待つこと。
人と人には適度な距離が必要であること。
このエピソードが思い出されるたびに、記憶が自分に何を伝えようとしているのか、想いを巡らせています。
みんなの前で泣いてしまったことは可哀想だったけれども、感情を出して少しはスッキリしただろうと思います。
今になって分かるのは、S子ちゃんは本当はみんなの事が好きだった、ということ。
嫌いな人の前で、人は泣けません。
本当は自分は友達が欲しかったのだ、という自分の気持ちに気付けたことが、彼女の門出だったように思います。
そして見ていた私たちにも、大事な門出となりました。
●でんじろう先生
うちは家族は揃ってサイエンス好きで、子どもが幼稚園児から小学生にかけて科学館や博物館に行きまくりました。
中でも北の丸公園にある科学技術館は大のお気に入り。
閉館ギリギリまで粘り最後はショップで科学おもちゃを買って帰るのがいつものコースでした。
私は文系ですが理系の科目に強い憧れがあります。
もしも中学時代か高校時代にタイムスリップ出来たら、ひとつの科目も怠らずに勉強するのになぁ、なんて思ったりします。
あの頃は勉強が嫌いでした。
実に勿体無いことをしたという思いで今はいっぱいです。
本当はあの勉強は面白かったんじゃないかと思うのです。
かなり面白かったんじゃないか、と。
そんな風に思うきっかけが『でんじろう先生』でした。
有名な空気砲はダンボールで何度も作りました。
子どもはサイエンスに見事にハマってピタゴラ装置を作ったり、基盤を買ってロボットを作ったりしました。
一緒に楽しみ始めたはずが、あっという間に子どもに抜かされて、何を言っているのか分からない会話をしています。
小学校の高学年になるとサイエンスの実験をさせてくれる教室に通い、高度な専科コースにも参加しました。
専科コースではお弁当と水筒を持ち、小さな白衣を着て、朝から夕方まで一日中研究室で実験とデータの収集をします。
小学生ながら顔はいっぱしの研究者で、先生の質問を真剣に聞き、実験を行い、データ収集の結果をみんなで共有して理論と実践のズレを実感。
最後はきちんとレポートにまとめて先生に提出します。
迎えに行くと
『今日の実験はああで、こうで…』
と一日の説明をしてくれましたが、私にはさっぱり理解できません。
えー、何それ。
そんなに楽しいの?
いいなぁ、そんなに楽しいのかぁ。
私も子ども時代にでんじろう先生に出会っていたらなぁーと羨ましい気持ちになりました。
ん?ところで、でんじろう先生ってどんな人?
気になっていた時にNHKの番組で、でんじろう先生のことが取り上げられていました。
元は高校で物理を教えていたそうです。
でも効率を重視する高校教師の仕事には向いておらず、周囲の方もご本人も苦労したようでした。
マネジメントが苦手で、スケジュールに沿って結果を上げるということが性に合わず、ご自身の大学受験に3浪されたとのこと。
高校教師になっても苦手意識は消えず、『誰も授業を聞いてくれなくてつらかった』と話されていました。
つらい日々を慰めてくれたのが、夜に楽しむ実験でした。
『自分がこんなに楽しいと思えるなら、他の人のことも楽しませることが出来るんじゃないか』
と、思い切って高校教師の職を辞したと語っておられました。
『好きなことを軸にすると、人間関係が苦手でもコミュニケーションが取れるんですよね。あ、自分はこんなに話せるんだ。人を笑わせられるんだって自信がつきました。』
悩んで、悩んで、ようやく自分の道を見つけたからでしょうか。
でんじろう先生の実験は、あったかい。優しくてほっとする。
たくさんの弟子を抱えているようで、科学技術館でのサイエンスショーでは
『僕はでんじろう先生の18代目の弟子です』
と講師の若者が誇らしそうに胸を張っておられました。
本当に頭の良い人って、でんじろう先生みたいな人のことを言うのだろうなぁ、と思いました。
●忘れる快
よし庵の生徒さまは皆さまとても優秀でいらっしゃいます。
学びに余念がなく、きちんとされておられるのでビジター会員さまからお褒め言葉を頂戴することもしばしばです。
素晴らしい生徒さまのうちのお一方が、先日ポロリと仰いました。
『ああ。私、次回のお稽古までに今日のご指導を覚えていられるかしら?忘れたくないわ。』
そのお気持ちよく分かります。
覚えるまでは本当に苦しいものです。
(おかしいなぁ、あんなに練習したのにな…。どうしてかなぁ。)
それでは覚えれば楽かというと…
今度は別の苦しみが生まれてきました。
飽きる
生意気な表現であります。
でも毎日同じことに向き合っていると、新鮮な気持ちが徐々に失われてしまうのが正直なところです。
飽きはプロにとっては深刻な悩み。
自分の仕事に情熱が薄れれば先が見えています。
手の動き、足の動き、全部覚えた。
アナウンスも滞りなくスラスラと出てくる。
でもなんだろう、この虚しさは。
600年も続いた茶道の文化。
覚えて終わりなんてことはないはず。
もっと重みがあるはず。
自分にはその重みや深みがどうしても感じ取れない。
芸術の域に近づくことができない。
そんな折に宗嘉先生が始めたお稽古が『奥秘伝』でした。
こちらは裏千家茶道のお稽古科目には含まれていません。
その為どなたにも指導は行っておりませんが、茶道の深い世界を味わっていただきたく、よし庵にてzoomでご視聴可能な科目となります。
奥秘伝のお稽古を始めてから、新たな意欲が芽生えてきました。
そのきっかけが『忘れる』でした。
奥秘伝には、奥伝と同じお道具を用いる科目が複数あります。
ついつい奥伝と同じ動きに手が流れますと、宗嘉先生から『そこ違う』と注意されます。
そしてその次、今度は奥秘伝を覚えてから奥伝に戻ろうとすると『それは奥秘伝』と注意されます。
(あれ?あれ?)
と頭が混乱しました。
この一見無駄な時間が却って良かったのでした。
翻って、初級・中級などのいつものお稽古や奥伝の味わい方をより深く知ったのでした。
また、宗嘉先生ご自身も奥秘伝の研究で茶道の新たな側面を発見したそうです。
動きもご指導も、以前よりシャープになられました。
混乱を経て審美眼の精度が増したと言えるのかも知れません。
『忘れる』という現象は、脳の機能の一つだそうです。
進化の過程でむしろ積極的に行われてきたと聞きました。
刻々と変わる状況で即座に判断を下すには、既存の記憶が弊害となることもあるからだそうです。
『なぁんだ、じゃあ忘れて良いんだ!』
と思えたら気持ちが軽くなりました。
一旦忘れて組み直す
それをみんなで楽しく行うことが、一つのことを長く続ける秘訣かも知れません。