講師(宗夜)ブログ

2024-04-30 20:45:00

●暁の茶事

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卯月の末の日曜日。

よし庵茶道教室は、美しい茶庭を持つ本格的な茶道教室へと生まれ変わりました。

前日までしっとりと路地を潤していた雨も茶事当日にはやみ、まさに陽春のみぎり。

風はすでに初夏の香でありました。

 

本日お迎えしましたのは、6名さま。

社中の生徒さま5名と、海外からご参加の会員さま1名。

待合にて揃われた皆さまがやや緊張気味でいらっしゃるのは、今回が特別な茶事であるから。

暁の茶事には儀式的な作法がふんだんに織り込まれ、とても神秘的なのです。

私共の席入は正午でありますが、元々は漆黒の夜明け前。

そのため、待合も廊下もお茶室も電気を消しろうそくをつけて想定の時間帯を演出しております。

 

待合にて皆さまが腰をかけられておりますと、亭主が手燭🕯️を持って枝折り戸を静かに開く姿が見えました。

本来は真っ暗闇であります。

赤みを帯びたろうそくの灯が宙に浮くように向こうの方からゆらゆらと近付いてきます。

その灯に気付き、お正客さまも敷石に置かれた手燭🕯️を持ち、亭主と相まみえてお互いの手燭を交換します。

静寂の中で行われる儀式を終え、手口を清めに手水へと向かいます。

火と水。

庭の木と、土・岩・石。

頰をかすめる風。

全身で自然を感じた後に、その身体を二つに折るようにして躙口を抜けて茶室へと入ります。

設いの拝見を経て亭主とのご挨拶。

そして各所に荘られたお軸などに謝意を伝え、諸々のご由緒を耳で愉しみます。

自然の美しさも良し。

人の手が作り出した美しさもまた良し。

 

そして初炭手前。

暁の茶事の初炭手前はとても難しいのですが、ご担当の生徒さまは滞ることなく完璧にお務めを果たされました。

ゆらめく手燭の灯がご亭主の真剣な面差しを照らします。

和蝋燭の炎は思いのほか大きく、明るく、ご亭主を始め皆さまの影が放射状に伸びたり縮んだり。

生き物のよう。

湿り気を帯びた茶室の空気に、練香の薫りがねっとりと絡みます。

本日のお香は『坐雲』

心を空にしてただひたすらに坐す。

鼻腔から全身に入るこのお香は雅でありながらスッキリとした清涼感を持ちます。

香合の拝見と共に夢のような初炭手前が終わりました。

パチパチと炭が唄い、私たちは現実に戻りました。

 

あら、急にお腹が空いてきたわ。

お待ちかねの宗嘉先生の茶懐石料理。

。。。。。。。。

向付:鯵の三杯酢

汁:合わせ味噌仕立て 青さ

椀物:ふきの信田巻き

焼物代わり:桜えびのかき揚げ・鶏天

預鉢:白和え

進肴:青海苔入り出汁巻き卵

小吸物:新しょうが

八寸:そら豆の鎧煮・はんぺんいくらのせ

香の物:沢庵・きゅうり/なす浅漬

主菓子:菖蒲

。。。。。。。。

皆さまが小吸物を手にされたあたりで、亭主(宗嘉先生)が静かに入室。

そしておもむろにお軸を荘ります。

ちょうど朝日の昇る時間。

天窓から差し込む陽の光がお軸に注がれ、皆さまの目を集めます。

バテレン追放令(1587年)の発布後の命懸けの茶事において、その光景がどれほど茶人の心に響いたか、現代の私たちは知る由もありません。

 

数々のお料理の後に、続きお薄となりました。こちらも社中の生徒さまがご亭主を務めてくださいました。

6名の皆さまと宗嘉先生の、合計7名の方が茶室に揃われているのに、誰もいないかのような不思議な静寂。

時々ご亭主の衣擦れの音や、コトリ・カツリとお道具の立てる微かな音が茶室から聞こえてきます。

『ゆるやかな流れを持つ美しいお点前であった』とのことでしたが、もはやよし庵ではそれが当たり前であるような安定感すら漂っておりました。

 

数々の作法を終えてお茶事がお開きとなり、もう一度待合にお集まりいただき談話の時間を設けました。

満足感でいっぱいの皆さまのお顔を拝見し、とても嬉しい気持ちになりました。

大人の愉しみとはこうも深いものなのかと味わえた時間でありました。

 

茶事というこの数時間に向かって、数ヶ月の準備をしていく。

当日のお天気はどうかと気を揉む。

着物はどうしようかと悩む。

上手く事が運んだこともあれば、次回への課題もあるけれども、そのどれもがキラリと輝きを持ち、愛しい。

 

海外からの会員さまは、溢れる笑顔を向けてくださり『是非にまた!』と言葉を残してお帰りになられました。

社中の生徒さまも『では次回に…』とお茶事の余韻を愉しみつつお帰りになられました。

 

まことにいいお茶事でありました。

2024-01-30 19:18:00

●初釜の茶事

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2024年1月28日正午

よし庵にて初釜の茶事が催されました。

皆さま華やかなお召し物でご参加くださり、お茶室に新春の空気が吹き込まれました。

外はまだまだ寒いのに、皆さまの少し上気した嬉しそうなお顔を拝見しましたら、いち早く春を見つけたような幸せな気持ちになりました。

 

待合での汲み出しの後に、お軸を拝見し、お作法通りに腰掛け待合へ…

亭主との静かなご挨拶。

手水にて両の手と口を清め、躙口で頭を垂れて、お茶室に入ります。

躙口は腰のところで身体を二つ折りにするようにしてお茶室に入るので、いつも少し呼吸が苦しくなります。

赤ちゃんがお母さんのお腹から生まれるときは、こんな感覚なのかなぁ…などと想像します。

だとすると、私たちはお茶事を経験すればするほど生まれ変わっているのかもしれません。

そのせいでしょうか?

お茶事によくご参加くださる生徒さまは、ご参加毎にぐんぐんと腕が伸びていくのでございます。

普段でのお稽古では経験し得ない、一回ごとの特別な行事が生徒さまの力をより引き出しているようです。

 

お茶室にはお正月にふさわしいお軸と、宗嘉先生のお庭のお花が荘られております。

お軸を見、お花を見、お釜を見、仮座に入り、皆さま揃って広間へと進みます。

シュッシュッと畳を擦る白足袋の音。

音まで白く清らかです。

亭主とお客様とのご挨拶。

その後に初釜の初炭。

 

真っ白な奉書の上の、大ぶりな炭。

立派でありながら、断面は美しい菊模様。

カラカラと音の鳴りそうなほどの乾燥が見てとれて、宗嘉先生の陰のお仕事振りが光ります。

 

生徒さまによる初炭手前が始まりました。

この日のために稽古を重ねてくださいました。

『手首を柔らかくしてお羽を舞わせてください』

お稽古中に生徒さまに申し上げました。

炉縁を清めるにはお羽の両面を使うのですが、お羽が翻るときの手首の動きが見どころのひとつであります。

宗嘉先生の手首の動きは本当に美しいもので、zoomでのご視聴の際は、ぜひ先生の手首に注目していただきたいとお伝えしました。

それら全てを心得て、生徒さまはよくよくお稽古してくださいました。

 

足捌きは迷うことなく滑らかに…。

お羽も美しく炉縁を舞いました。

嬉しく、頼もしく、お隣にて拝見しました。

 

炭を焚べているそばから、パチパチと爆ぜる音が炉の壁に反響しました。

炭と空気と火の競演

黒い炭が、ほの赤い色をゆっくりと帯びていくその変容のさま。

誰も口を開くことはなく、神秘的な雰囲気を肌で感じて、一瞬一瞬を愉しんでいました。

素晴らしい初炭手前を終えて、『ふぅー』と息を吐く生徒さま。

『良かった、良かった』とその生徒さまを労って囲む他の生徒さま達。

そしてお楽しみの宗嘉先生の茶懐石料理。

 

数々の美味しいお料理の後に、主菓子。

先生のお庭の柚子で作られた柚子羊羹です。

柚子の皮を器とした目にも嬉しい柚子羊羹。

直前までよく冷やして、生徒さまに供しました。

さっぱりつるんと爽やかな酸味が、身体の細胞ひとつひとつを目覚めさせます。

そして腰掛け待合へ。

 

後座にて、長緒茶入による濃茶席。

ご担当の生徒さまも、長緒の扱いを一生懸命に練習してくださいました。

音楽好きで手芸が趣味の生徒さま。

私から見ると、趣味の腕はプロ級です。

物静かな佇まいで丁寧に丁寧に技術を磨いていらっしゃる。

『手芸用の紐で練習していました』

柔らかく微笑んでくださいました。

努力の甲斐あって美しいお点前でした、と宗嘉先生も嬉しそうに仰っておられました。

 

その後、工藤の後炭手前を経て、薄茶席となりました。

 

薄茶席では、筒茶碗でのお点前。

絞り茶巾の独特の手捌きが美しいお点前です。

ご担当の生徒さまも、お茶巾の扱いを喜んでくださり、練習を積み重ねてくださいました。

この動き、遅すぎても速すぎても見応えが損なわれてしまうのですが、生徒さまはその塩梅をよくご理解くださっていた、と宗嘉先生が感心されていました。

羽化した紋白蝶が青空を楽しむが如く華やかな雰囲気を持つお席となり、お茶事を締め括ってくださいました。

 

その後、お作法通りにご挨拶をし、花入とお釜の拝見を経て、躙口から腰掛け待合へと移動して、亭主のお見送りを以ってお茶事が終了となりました。

 

生徒さまにはもう一度待合にお集まりいただいて、お白湯を召し上がっていただきました。

『今日のお席も実りある良いお席でしたね🌸』

と盛り上がっていくうちに、宗嘉先生の将来の展望へと話が進みました。

 

先生はこの数ヶ月のうちにお教室をリフォームなさいます。

『ここから階段を作ってお庭に降りれるようにするんだ。今度は内装の腰掛け待合ではなく、本物の外庭の腰掛け待合にするんだ。』

それから…

それから…

話が大きくて工藤の想像が追いつかないのですが、何しろ楽しそうです。

皆さまも

『実際に目にするまでは様子が分からないけど、とにかく楽しみですね!』

と口を揃えてくださいました。

 

春への期待に胸を膨らませつつ、初釜のお茶事がお開きとなりました。

よし庵のお茶事が皆さまから支持される理由はここにあるように思います。

未来への希望。

明日へのチャレンジ。

楽しく、美しく。

 

皆さま

春からの新しいよし庵でのお稽古とお茶事をどうぞお楽しみになさってくださいませ。

私もとても楽しみです😊

2023-11-30 14:48:00

⚫︎よし庵口切りの茶事

霜月の最終日曜日

よし庵にて口切りの茶事が催されました。

 

待合にて皆さまと顔合わせ。

いつもお稽古でご一緒とは言え、皆さま少しだけ違う表情。

口切りという特別な茶事に対しての、期待感と緊張感、そしてこのひと時を共に味わえる喜び。

それらが内側から滲み出ていて、頬がバラ色に上気してどなた様も美しく輝いておられました。

 

待合での作法を済ませ、腰掛け待合に移り、躙口から茶室へと入る。

広い空間から一旦狭い口を経て、各々が連なって茶室に入るさまは、生命誕生のようなドラマを感じました。

静まり返った茶室には、衣擦れの音だけが響きます。

皆さまのお召し物もとても上品で、衣擦れの音にもそれは表れており、音がそれぞれの色に染められておりました。

 

ひとしきりご挨拶を済ませたところで、お正客さまよりお茶壺拝見のご所望を承ります。

 

キュッキュッという小刀の心地よい響き。

口を切るとき、誰もが固唾を飲んで見守っていました。

 

亭主の『いずれのお茶を差し上げましょう』

という問いに対し、皆様でご相談の上

『では、雲鶴をいただきとう存じます』

とお正客様がお答えになりました。

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亭主が蓋を開けた瞬間、瑞々しい茶の香がふわり舞いました。

サササササ……

薄茶葉(詰茶)が上合に出されます。

さらに芳しく茶が香ります。

お茶席への期待は高まるばかり。

 

その後、亭主により蓋が戻され、詰茶と他のお濃茶は壺に封印されたのでした。

大きな盛り上がりを見せたお茶壺は、朱の口緒を結ばれ、お茶席の際には床に静かに鎮座しておりました。滑らかな曲線美を持つ堂々たる風格。

まさに主人公。

 

お茶壺の拝見の後には、生徒様による初炭手前。

お稽古にお稽古を重ねた、素晴らしい初炭手前でございました。

座掃きもキリリと引き締まり、お炭の配置も美しく口切りの茶事に相応しい格調高いお手前でした。

 

炉のお炭はどれもたっぷりと大きく、よくはぜて、パチパチと心地よく炉の中で歌います。

宗嘉先生が一つ一つ、よく洗い、よく乾かして下準備したもの。

湿し灰も、何とも言えない美しいグレージュで、こちらも宗嘉先生が丹念に下準備したもの。

茶道はこのように、一見では分からない沢山の手数が掛かっています。

その手数の多さを深く理解していただくこともお稽古のうちだと思っています。

 

そのため、茶道ではお稽古にしろ、お茶事にしろ、簡単にはキャンセルしてはいけないという暗黙のルールがあるのです。

大人の女性としての素養の一つでしょう。

現代は消費者至上主義ですから、お金を払う度に

『ありがとうございます』

とどこでも頭を下げられます。

頭を下げられれば何となく自分が偉くなった気持ちになります。

でもここが落とし穴。

万が一相手がお金を受け取らなければ、そのサービスも受けられなくなってしまいます。

立場は対等なのです。

そして双方が対等な立場であることを、茶道は私たちに思い出させてくれています。

亭主役になり、お客様役になり、様々なお役を通じて私たちは人としてのルールを学びます。

例えば江戸時代。

日本は度々飢饉に見舞われました。

富める者も貧しい者も同様に飢えに苦しんだそうです。お金は何の効力も発揮しなかったと史料は語っていました。

 

他者の気持ちや苦労を慮ることが人としての深みとなり、知らず知らずのうちに幸せの差につながってしまいます

茶道が美しい所作を身につけるだけでなく、心を磨く場であると言われる所以はここにあるのでしょう。

パチパチとよく歌う炭は、朗らかに優しくその後もずっとお茶室全体を暖めてくれたのでした。

 

その後、心尽くしの茶懐石料理。

お作法通りにお料理が進みます。

ご飯は土鍋で炊きました。

真っ白い光を放つお米のつぶつぶ。

口に含めばふんわりと優しい甘み。

 

お汁は白味噌引き立つ合わせ味噌。

汁椀の中央に六角形の里芋。

その上に、丸い練り辛子。

チョコンと小さな一粒の小豆が練り辛子のお座布団にお行儀よく座っていました。

黒塗りのお椀に、薄黄色のお汁、象牙色の里芋、濃い黄色の辛子、小さな一粒の小豆。

襲の色目のような汁椀でした。

 

向付は昆布締めの鯛。

一塩細造

昆布の風味りが鯛のもっちりとした旨みと相まって豊かなハーモニーを奏で、わさびの爽やかな辛みが後を追って鼻に抜けます。

 

メインのお椀は飛竜頭。

柚子の細切りが菊を思わせ、ほうれん草の緑と共に鮮やかに目に飛び込んできました。

お出汁のいい香り…。

ほぅ…と静かなため息が茶室に溢れます。

ふわりと口当たり優しいお豆腐の中に沢山の具が含まれていて、一度揚げたものをこくのある餡がまったりと包んでいます。

具の銀杏が僅かな苦みを加え、味に奥行きを持たせます。

 

焼物は鰆。

焼き目はパリッと、中はふんわり。

カラスミでよそ行きの装い。

鰆ってこんなに美味しかったんだ…。

素材の持つ旨みを存分に活かし切るお料理に、どれだけの細やかな感性が注がれているのだろうかと想像しました。

 

預け鉢は柿と春菊の白和え。

ここに来て柿の爽やかな甘みの演出。

白和えはよく冷えていて、ジューシーさが増していました。

トータルコーディネートの成せる技。

 

八寸には、

蓮根と銀杏の素揚げ&自家製ポップコーン。

鴨のロースト。

 

湯桶には、土鍋のお焦げを入れました。

自家製の香の物と共にサッパリと。

 

誠に美しい茶懐石料理でした。

一つ一つのお料理の完成度も去ることながら、全体のバランスが素晴らしく、お料理の流れにストーリーを感じました。

皆さまも大満足のご様子。

 

さて、お料理の後には…

またもや宗嘉先生特製の、亥の子餅が供されました。口溶けよく上品な亥の子餅。

そして皆様は腰掛け待合に一旦お戻りになり、後座へとお席が改まるのです。

 

続きお薄のお点前も、生徒さまにより行われました。ご担当の生徒さまは、前述の生徒さまと同じく、何度も何度もお稽古を重ねてくださいました。その真剣な佇まいにこちらも襟を正す思いでした。お正客さまも、お次客さまも、同じように真剣にご参加くださり、お茶室全体の空気が高尚なものへと隆まりました。

本当に素晴らしいお席でございました。

ご亭主の慎ましやかでありながら、充足感に溢れた笑顔はとても美しく、私も心が満たされました。

 

茶の湯を嗜む者にとって、お茶事にて亭主役を遂行することはある種『夢』であります。

大抵の社中においては、茶事そのものが大イベントであり、年に一度もしくは数年に一度の稀有な機会なのです。

 

『夢』を持てる喜びを是非多くの皆さまに味わっていただきたいと、よし庵では隔月で茶事を催しております。

大人になってから夢を持つことは、子供の頃の夢よりもずっと大事だと私は思います。

現実が見えている大人だからこそ実現可能な夢になるのです。そして一つの夢を実現させると次の夢が見えてきます。

夢を追い続けている女性は素敵に輝きます。

家庭の中心である女性が輝けば、ご家庭全体がきっと輝くことでしょう。

幸せオーラを纏っていると、つられて周りの人々も幸せになるからです。

 

幸せなお茶事を夢見て…。

さぁ、また明日からよし庵で茶道のお稽古です😊🤲

結局、平素日ごろが大事なの😉🎵

2023-09-25 20:26:00

●長月 正午の茶事

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9月24日のお昼より

よし庵にて正午の茶事が催されました。

コロナの収束に伴い、お茶事の作法が法定通りに戻りました。

生徒さま達には袖落としをご用意いただき、左の振りに入れ、右の振りにはポケットティッシュをご持参いただきました。

 

『皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします』

『お…お願いいたします…』

だいぶ緊張のご様子。

大丈夫です!私も宗嘉先生も常にどちらかが側におりますから!

ですがその緊張も、お料理が進むと自然にほどけてきました。宗嘉先生のお料理の優しいお味が、皆さまの心に届いたのかも知れません。茶懐石料理では確かに作法は少し複雑なのだけれど、これも『慣れ』が大事なようです。

茶道のお稽古と同じなのですね。

 

茶懐石料理では、ご飯から頂きます。

料亭などの懐石料理ではお汁から頂き、箸先を汁で湿らせてからご飯を頂くのに、何故なのだろうといつも思っていました。

茶懐石料理の席では、ご飯の炊き方に工夫があり、飯器の持ち出し毎にご飯の炊き具合が異なるので、その時間の経過を敏感に味わうためだと聞いたことがあります。

 

ご飯はほのかな甘味を持っています。

最初のご飯は水分が多め。

ややべちゃっとした感触。

でもその柔らかいお米の粒々が、私たちの身体に穏やかに語りかけているのかも知れません。

『さぁ、これからご飯ですよ…』

その声は囁きに似た微かなものなので、もしもお汁から味わってしまうと、出汁の旨味で聞こえなくなってしまうのかもしれません。

美味しいものを食べると、嬉しい。 だけど欲に駆られて食べてしまうと、ある時点から美味しく感じられなくなってしまいます。

それはあまりにも寂しい。

食材にも亭主にも感謝ができなくなってしまう。

だからちょうど良い量を身体が欲しがるように、舌とか食道とか内臓とかに、ちょうど良い強さの刺激を与えて、ちょうど良い量の消化液を分泌できるように計算されているのかも知れない。

そんなことを思いながら、皆さまにお作法をお伝えしておりました。

 

その後、初炭、縁高によるお菓子の持ち出し、腰掛け待合に移動して小休憩、濃茶、後炭、薄茶とお席が進みました。

 

お正客さまは、見事に問答を覚えておられ、つつがなくお茶事が運びました。

お次客さまは、ご入会して半年の生徒さま。

今回が着物デビューの日だそうです!

着付けの腕も、茶道の腕と同じく、確かなものをお持ちで頼もしく感じました。

三客さまは薄茶のご担当をいただきました。

その話は後ほど…。

お詰さまにはベテランの生徒さまにお願いしました。

お皿の拝見や腰掛け待合での作法など、ところどころで助けていただきました。

それからモデル兼カメラマンの太田真弓さま。

陰日向なく活躍していただき本当にありがたかったです。

 

 

さて、薄茶のお席をご担当いただいた生徒さまにつきまして。

皆さまから『完璧でしたね』と称賛のお声が掛かりました。

宗嘉先生も『上手になりましたね』とお声を掛けておられました。

工藤は水屋でのお仕事があり、お茶室に近寄ったり離れたりで、様子を全て伺うことはできなかったのですが、お茶室から流れてくる充実した空気を感じていました。

 

その生徒さまの予行練習を工藤は当月に2度ほど見させていただいておりました。

その時に不思議なことが起きました。

生徒さまに近寄るとオーケストラの音楽が聞こえて来たのです。

明瞭ではなく、ドア一枚隔てたような聞こえ方。

音量が大きいところや音の高いところが、切れ切れに、ややくぐもったような聞こえ方でした。

(チャイコフスキー…?)

チャイコフスキーの交響曲『悲愴』の第2楽章。

生徒さまの気質と同じく、穏やかで滑らかな旋律。私の一番好きな楽章です。

お稽古がひと区切りついたところで、生徒さまにお尋ねしました。

『チャイコフスキーがお好きなんですか?』

『はい、好きです。演奏してました。』

生徒さまは学生時代にオーケストラに所属され、ホルンを演奏されていたのでした。

『悲愴も全部最後まで演奏されていたんですか?』

『ええ、しました。大変でした。』

『うわー、すごい。50分くらいあるのに、あれ全部演奏されていたんですね。でも楽しかったでしょう。』

『楽しかったです!』

そう語る生徒さまの瞳はキラキラと輝かれ、学生時代に戻ったかのようでした。

本当に楽しかったのだろうなぁと思います。

私も一時期オーケストラに憧れました。

クラッシック音楽に詳しいわけではないですが、チャイコフスキーは中学生から大好きでした。

中学生の時にCDが巷に出始めたのです。

レコードは針が曲がると聞こえなくなるから触るな、と両親に言われていたのですがCDでしたら操作は簡単です。

おかげで何度も好きなだけ聴くことができました。

『悲愴』は、ところどころで胸が締め付けられるようなロマンチックな旋律があり、聴くたびに涙が出そうになります。

ホルンは演奏したことは一度もないですが、あれほどの長い管に息を通すのですから、長期間に渡って相当な練習が必要だろうと想像します。

ホルン仕様の身体を作らないといけません。

最初は本体には触らせてもらえず、マウスピースだけでプープーやっていて、そのうちに先輩に横についてもらいながら1曲…1曲…と仕上げていったのではないでしょうか。

最終的にはオーケストラで交響曲まで演奏されて素晴らしいことだと思いました。

演奏中には身が震えるほどの感動を味わったことと存じます。

 

そして先ごろは茶道のお稽古のなかでも、同じような集中力と感動を味わっていただけたのではないかと思いました。

生徒さまは立ち方座り方歩き方から始めました。

お道具を扱う時に指が開く癖がおありでした。

それがどうでしょう。

数年かけて立派なお茶人さまになられました。

ちょっとずつ、ちょっとずつ…。

途中で休んでも良いから、 心に余裕ができたらまたちょっとずつ。

 

田んぼで稲を育てるように。

一年を通じての苦労に感謝して。

ちょっとずつのご飯。

ちょっとずつのお汁。

ちょっとずつ出てくるおかず。

お菓子もちょっと。

抹茶もちょっと。

実はちょっとが一番強い。

そして、ちょっとが美しい。

2023-07-28 13:24:00

●夕去りの茶事

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文月後半の日曜日、よし庵にて夕去りの茶事が催されました。

会員さまの中には、オーストラリアからのご参加者もおられて、とても盛り上がりました☺️

 

生徒様はコロナ禍最中の数年前に私どものzoom茶道教室にご入会くださいました。

最初は午前中の初級・中級コースをご覧になられていたのですが、『私には難しすぎます😥』というお声をいただき、初級入門コースを立ち上げました。そして初級の資格を取得されて、その後に中級実践コースに進まれて、中級も取得され、ついには先ごろに上級の資格に申請したところであります。

 

最初のうちはお互いに手探りのお稽古でした。

お茶巾はこう畳みます…とか

茶碗はこう拭きます…とか。

カメラの向きをあっちこっちに変えてお稽古していました。

『お茶碗を拭いているうちにどうしても正面が向こうに行ってしまうんです…』

と悲しそうな顔をされていたので、

『ではナビしますので、私の言う通りに手を動かしてみてくださいね』

とお稽古をしたところ、

『あ、来た、正面来た。すごーい!』

と声をあげて喜ばれていた姿が今でも目に浮かびます。

一度などはミュートのままお稽古をしていて、それに気付かずに最後までミュートで通してしまったこともあります。

生徒様は画面の前で無音のお稽古にずっと付き合ってくださって、終わってから『ごめんなさい、ごめんなさい🙏』と私は平謝りしたのでした。

そんなお稽古の途中で、

『いつか会えたら良いですね。いつかお茶事に参加できたら嬉しいですね』

と頻繁に語り合っていました。

それが今回本当に叶いました。

お茶事の迎えつけのご挨拶にて、

『口に出したことは叶うんですね』

とお互いに涙を堪えながら喜びを噛み締めました。

 

夕去りの茶事は、主催者としては私たちも初めての経験でした。

最初は蝋燭に火を付けるのは怖く感じたのですが、実際に灯してみると和蝋燭の炎は優しい暖かさで安心感さえ感じました。

ゆらめき方が独特で、古の先人たちは長らくこの炎で生活していたのか、と思うと自分たちもその空間にタイムスリップしてしまったような不思議な感覚になりました。

 

ご亭主をしてくださった生徒さまは、実に慎重に手燭を扱ってくださいました。

お点前もスラスラと流れるようで実に素晴らしかったです。

ほの明るい茶室にて、亭主の集中力が客側にも伝わり、それぞれの意識が近づいてひとつにまとまる感じが何度もしました。

意識の糸が束ねられたり、ほどかれたり、を繰り返しつつ時が進んでゆく、そんな景色でした。

 

『和蝋燭の優しい灯火の中でのお点前は、いつものお稽古では味わえない不思議な感覚になりました…』

とご亭主がしみじみと仰っておられました。

『是非皆さまにもこの感覚を味わっていただきたい』と。

日々医療の現場に立たれ、人の心理状態に詳しい専門家でいらっしゃる生徒さまのお言葉です。

何かを肌で感じられて、優美さの根拠を得たような、不思議な満足感が言葉からも表情からも伺えました。

参加者の全員が、しばらく夢うつつの状態で、幽玄な空気に浸っていました。

 

今回の夕去りの茶事にて…

日常を離れて、ガラリと雰囲気を変える経験をすることは、とても大切だと思ったのでした。

どこか特別な場所に行かなくても、自分たちの努力で、空間をこれほどまでに大きく変えられるのだという経験は貴重でした。

体の中の新しい細胞が目覚めたかのような茶事。

これからもそのような茶事を心掛けて参りたいと思ったのでした。