講師(宗夜)ブログ
●暁の茶事
卯月の末の日曜日。
よし庵茶道教室は、美しい茶庭を持つ本格的な茶道教室へと生まれ変わりました。
前日までしっとりと路地を潤していた雨も茶事当日にはやみ、まさに陽春のみぎり。
風はすでに初夏の香でありました。
本日お迎えしましたのは、6名さま。
社中の生徒さま5名と、海外からご参加の会員さま1名。
待合にて揃われた皆さまがやや緊張気味でいらっしゃるのは、今回が特別な茶事であるから。
暁の茶事には儀式的な作法がふんだんに織り込まれ、とても神秘的なのです。
私共の席入は正午でありますが、元々は漆黒の夜明け前。
そのため、待合も廊下もお茶室も電気を消しろうそくをつけて想定の時間帯を演出しております。
待合にて皆さまが腰をかけられておりますと、亭主が手燭🕯️を持って枝折り戸を静かに開く姿が見えました。
本来は真っ暗闇であります。
赤みを帯びたろうそくの灯が宙に浮くように向こうの方からゆらゆらと近付いてきます。
その灯に気付き、お正客さまも敷石に置かれた手燭🕯️を持ち、亭主と相まみえてお互いの手燭を交換します。
静寂の中で行われる儀式を終え、手口を清めに手水へと向かいます。
火と水。
庭の木と、土・岩・石。
頰をかすめる風。
全身で自然を感じた後に、その身体を二つに折るようにして躙口を抜けて茶室へと入ります。
設いの拝見を経て亭主とのご挨拶。
そして各所に荘られたお軸などに謝意を伝え、諸々のご由緒を耳で愉しみます。
自然の美しさも良し。
人の手が作り出した美しさもまた良し。
そして初炭手前。
暁の茶事の初炭手前はとても難しいのですが、ご担当の生徒さまは滞ることなく完璧にお務めを果たされました。
ゆらめく手燭の灯がご亭主の真剣な面差しを照らします。
和蝋燭の炎は思いのほか大きく、明るく、ご亭主を始め皆さまの影が放射状に伸びたり縮んだり。
生き物のよう。
湿り気を帯びた茶室の空気に、練香の薫りがねっとりと絡みます。
本日のお香は『坐雲』
心を空にしてただひたすらに坐す。
鼻腔から全身に入るこのお香は雅でありながらスッキリとした清涼感を持ちます。
香合の拝見と共に夢のような初炭手前が終わりました。
パチパチと炭が唄い、私たちは現実に戻りました。
あら、急にお腹が空いてきたわ。
お待ちかねの宗嘉先生の茶懐石料理。
。。。。。。。。
向付:鯵の三杯酢
汁:合わせ味噌仕立て 青さ
椀物:ふきの信田巻き
焼物代わり:桜えびのかき揚げ・鶏天
預鉢:白和え
進肴:青海苔入り出汁巻き卵
小吸物:新しょうが
八寸:そら豆の鎧煮・はんぺんいくらのせ
香の物:沢庵・きゅうり/なす浅漬
主菓子:菖蒲
。。。。。。。。
皆さまが小吸物を手にされたあたりで、亭主(宗嘉先生)が静かに入室。
そしておもむろにお軸を荘ります。
ちょうど朝日の昇る時間。
天窓から差し込む陽の光がお軸に注がれ、皆さまの目を集めます。
バテレン追放令(1587年)の発布後の命懸けの茶事において、その光景がどれほど茶人の心に響いたか、現代の私たちは知る由もありません。
数々のお料理の後に、続きお薄となりました。こちらも社中の生徒さまがご亭主を務めてくださいました。
6名の皆さまと宗嘉先生の、合計7名の方が茶室に揃われているのに、誰もいないかのような不思議な静寂。
時々ご亭主の衣擦れの音や、コトリ・カツリとお道具の立てる微かな音が茶室から聞こえてきます。
『ゆるやかな流れを持つ美しいお点前であった』とのことでしたが、もはやよし庵ではそれが当たり前であるような安定感すら漂っておりました。
数々の作法を終えてお茶事がお開きとなり、もう一度待合にお集まりいただき談話の時間を設けました。
満足感でいっぱいの皆さまのお顔を拝見し、とても嬉しい気持ちになりました。
大人の愉しみとはこうも深いものなのかと味わえた時間でありました。
茶事というこの数時間に向かって、数ヶ月の準備をしていく。
当日のお天気はどうかと気を揉む。
着物はどうしようかと悩む。
上手く事が運んだこともあれば、次回への課題もあるけれども、そのどれもがキラリと輝きを持ち、愛しい。
海外からの会員さまは、溢れる笑顔を向けてくださり『是非にまた!』と言葉を残してお帰りになられました。
社中の生徒さまも『では次回に…』とお茶事の余韻を愉しみつつお帰りになられました。
まことにいいお茶事でありました。