日記
『廃用身』を観て──「人を支える」とは何かを考えてみた。
今日は映画『廃用身』を鑑賞してきた。
観終わって最初に感じたのは、「衝撃的だった」と同時に
「人を支えるとは何か」という問いを、
深く投げかけられた作品だったということ。
物語の中心には、回復の見込みのない手足を切断する
「Aケア」を行うデイケアクリニック院長の医師がいる。
一見すると極端な設定にも思えるけれど、
観ているうちに、これは単なる医療技術の是非を問う映画ではなく、
「人間の尊厳とは何か」を描いた作品なのだと感じた。
作品の中で印象的だったのは、
高齢者の「他人様に迷惑をかけたくない」という心理だった。
日本では当たり前のように耳にする言葉だけれど、
その言葉は本当に本人の本音なのだろうか。
「迷惑をかけたくない」と言いながら、
本当は「まだ生きたい」「家族と一緒にいたい」と
願っているかもしれない。
あるいは、「もう十分です」という言葉の裏には、
家族への遠慮や社会の価値観があるのかもしれない。
支援者は、その言葉だけを受け取ってはいけない。
その奥にある思いに耳を澄ませ続けることが必要なのだと思った。
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映画では、Aケアを受けた患者本人の心理が変化し、
その変化が家族を巻き込み、悲劇へとつながっていく。
そして最も心に残ったのは、医師自身の変化だった。
子どもが生まれ、一見すると幸せに見える家庭。
しかし、幼い頃に蝶を殺した記憶を思い出した頃から、
彼の内面は少しずつ崩れていく。
最後に残された言葉。
「頭は わたしの 廃用身」
私はこの言葉を、「思考が止まった」という意味といういうよりも、
むしろ、自分の倫理や正義を信じられなくなり、
「考え続けることそのものが苦しくなってしまった」という
心の悲鳴のように感じた。
医師は身体を診る専門家。
しかし最後に壊れてしまったのは、身体ではなく、自分自身の心だった。
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この映画を観ながら、「医療の限界」とは何かという問いについて考えてみた。
医療は病気を診ることができる。
命を救うこともできる。
苦痛を和らげることもできる。
しかし、「この人は本当に幸せなのか」「この人は何を望んでいるのか」
という問いには、医学だけでは答えられない。
その部分を支えるのが専門職なのだと思う。
私自身、高齢者を対象とした音楽療法やカウンセリングに
携わっている(医療機関ではないですが)中で、
「音楽療法は、歌を歌うことが目的ではない。
歌えなくてもいい。
その場に安心していられること。
誰かと自然に目が合うこと。
表情が少し柔らかくなること。
言葉にならない感情が音楽を通して少しずつ表れること。」
そんな小さな変化の積み重ねに、
その人らしさが宿っていると感じている。
そして、その人自身もまだ気づいていなかった想いを、
一緒に見つけていくこと。
それは、医療だけでは届きにくい部分を支える営みなのだと思う。
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実は今日、映画を観る前に、音楽療法における「倫理」についての
講義動画を視聴していた。
偶然とは思えないようなタイミング。
だからこそ、映画を観終わって私が最も強く感じたのは、
「倫理とは何か」という問いだった。
倫理とは、ルールを守ることではない。
相手の人生を、自分の価値観だけで決めつけないこと。
「この人はきっとこう思っている。」
そう決めてしまった瞬間に、支援は支配へと変わる危険がある。
だから支援者は、「本音を見つける」のではなく、
「本人と一緒に本音を探し続ける姿勢」を持ち続けることが大切なのだと思う。
人は、自分の本音すら分からないことがある。
だからこそ、「今はどう感じていますか」と問い続けることに意味がある。
これは、私がカウンセリングでいつも大切にしている姿勢でもある。
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そして、この映画から私が受け取ったもう一つの問い。
それは、「支援者は誰に支えられるのか」ということだった。
支援者は、人の苦しみに寄り添う仕事である。
しかし、自分の苦しみを置き去りにしてはいけない。
「私は大丈夫。」
「専門職だから。」
そう思い続けることが、時に自分自身を追い詰めることもある。
支援者にも限界がある。
その限界を認めることは、弱さではなく倫理の一部なのだと思う。
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映画を観る前、私は「医療の限界」を描いた作品なのだと思っていた。
しかし、観終わった今、私の心に最も残っているのは
「支援者もまた、一人の人間であり、壊れることがある。」
ということ。
だからこそ、介護も、心理支援も、音楽療法も、
「正解」を求めるのではなく、
「問い続ける姿勢」を大切にする必要があるのではないだろうか。
良い支援者とは、答えをたくさん持っている人ではなく
「私はこの人のことを本当に理解しているのだろうか。」
「私は自分自身を見失っていないだろうか。」
そう自分に問い続けられる人なのだと思う。
『廃用身』を観たあと、正直、モヤモヤした気持ちは残った。
でも、そのモヤモヤは決して嫌なものではなかった。
それは、自分の支援のあり方をもう一度見つめ直すために必要な
時間なのだと思う。
この作品は、医療や介護、福祉、心理支援など、
人と関わる仕事に携わる人にとって、一度立ち止まり、
自分の支援の原点を見つめ直すきっかけになる作品ではないだろうか。
私自身、この映画を通して改めて感じたこと。
「これからも音楽療法やカウンセリングを続けていく中で、
大切にしたいのは技法や知識だけではない。
相手の本音を決めつけず、目に見えない思いに耳を澄ませること。
そして、支援する自分自身の心にも静かに目を向け続けること。」
それこそが、「倫理」なのだと思う。
今日も、ありがとう。

