日記
読書メモ
『だれが君を殺したのか』読了。
今日、『だれが君を殺したのか』を読み終えた。
読了した瞬間、じんわりと何かが残る感じがした。
はっきりと言葉にはできないけれど、確かにそこにある違和感のようなもの。
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物語に出てきたクリストフは、特別な子ではないと思う。
むしろ、これまで出会ってきた子どもたちの中に、
似た輪郭をいくつも見つけられる気がする。
少し敏感で、少し不器用で、
でもそれをどう伝えたらいいかわからないまま、
関係の中で少しずつずれていく感じ。
その「ずれ」が、周りからは「問題」として
見えてしまうこともある。
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今回、読んでいていちばん引っかかったのは、
やっぱり「誰も明確には悪くない」という構造だった。
先生も、家族も、それぞれの場所でちゃんとやろうとしている。
むしろ、関わろうとしているからこそ、
すれ違いが起きているようにも見える。
それなのに、結果として、ひとりの子どもが孤立していく。
その静かさが、たぶん
「じんわり残る感じ」につながっている気がする。
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そして、自分の仕事(心理職)の視点から。
心理職として関わるとき、
「理解しようとすること」や
「言語化を手助けすること」を大切にしている。
それに加えて、大切だと感じたことがある。
・言葉になる前の違和感や、本人もまだ掴めていない感情に対して、どう関わるかということ。
「うまく話せなくてもここにいていい」と伝えることの大切さ。
・クライエントとの「つながり方」について。
カウンセリングの時間の中では関われていても、
その外の世界(学校や家庭、日常の関係の中)で、
その子(クライエント)がどう存在しているのかまでは、
どうしても見えにくい。
クリストフのように、
関係が断片的なままつながらないとき、
その隙間に落ちてしまうものがある。
その隙間は、あとからは見えにくい。
心理職として、その「隙間」をどう捉えるか。
個別の関わりだけでなく、周囲との橋渡しも含めて、
もっと考えていく必要があるのかもしれない。
これは教育だけでなく、産業分野でも同じことが言えると思う。
クライエント(従業員)だけでなく、上司、同僚を含めた
組織全体をみながらつなげていく役割。
目に見えず、形になりにくい立ち位置ではあるものの、
大切な役割だということを意識しながら、
これからも携わっていきたいと思う。
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今日も、ありがとう。
