日記
映画からの気づき
◆映画『父と家族とわたしのこと』を観て
今日、映画『父と家族とわたしのこと』を鑑賞しました。
周囲をみてみると、60代-70代くらいの方が多い印象を受けました。
この作品は、戦争によって深い心の傷を負った父と、その影響を受け続ける家族の姿を通して、
「トラウマがどのように世代を越えて連鎖していくのか」を静かに、しかし強く問いかけてくるものでした。
劇中で描かれる父親の暴言や暴力、さらには性虐待といった行為は、決して許されるものではありません。
しかしその背景には、戦争という極限状態の中で刻み込まれた深いトラウマが存在しています。
言葉にされることのなかった苦しみは、行き場を失い、最も身近な家族へと向かってしまう。その現実の重さに胸が詰まる思いでした。
この作品を通して強く感じたのは、「加害」と「被害」が単純には分けられないという構造です。
父は加害者でありながら、同時に戦争による被害者でもある。
この二重性は、観る者に簡単な理解や結論を許しません。共感しすぎることも、断罪することもできない。
その「宙づり」の感覚こそが、この問題の本質的な難しさを表しているように思います。
また、戦後の社会において「戦争による精神的後遺症」が十分に語られてこなかったことの影響も大きいと感じました。
本来であれば社会全体で受け止め、支えるべき問題が、家庭という閉じた空間に押し込められてきた。
その結果、語られなかった苦しみが関係性の歪みとして現れ、世代を越えて受け継がれていくという、負の連鎖。
映画の中で紹介されていた医療機関や専門家の言葉、そして兵士たちの精神疾患の記録は、
この問題が決して曖昧なものではなく、確かに存在していた現実であることを突きつけてきました。
「知られていなかった」のではなく、「見えないものとして扱われてきた」歴史。
その重みを感じずにはいられませんでした。
この連鎖は決して過去の話ではなく、現在にもつながっています。臨床の中でもそのことを感じています。
そしてこの映画を観ながら、私は現在も世界の各地で続いている戦争のことを思わずにはいられません。
とりわけ中東情勢をめぐる緊張や軍事衝突の報道に触れるたびに、「今まさに同じような傷が生まれ続けているのではないか」という感覚が強まります。
戦争は、その瞬間の被害だけで終わるものではありません。身体的な被害が可視化されやすい一方で、心に刻まれる傷は見えにくく、そして長く残り続けます。
言葉にならない恐怖や喪失、怒りや無力感。それらが適切にケアされないまま放置されたとき、個人の中にとどまらず、家族や次の世代へと影響を及ぼしていく可能性があります。
すなわち、いま世界で起きている戦争もまた、数十年後の家族のかたちや人間関係に影を落とすかもしれないということです。
この視点に立つと、トラウマケアは「過去への対応」ではなく、「未来への責任」でもあると感じます。
さらに、子どもたちへの支援においても、この問題は深く関わってきます。
困窮家庭やひとり親家庭の背景には、個人の努力や選択だけでは説明できない歴史的・社会的な積み重なりが存在していることがあります。
その根底にあるトラウマや関係性の連鎖に目を向けることが、より本質的な支援につながるのではないかと考えさせられました。
正直に言えば、この映画は「観てよかった」とすぐに言えるような、わかりやすいカタルシスを与えてくれる作品ではありません。
むしろ、理解が深まるほどに簡単には割り切れなくなり、「では自分はどう向き合うのか」という問いが残ります。
しかし、その問いを持ち続けること自体に、大きな意味があるのだと思います。
心理職として、「トラウマケア」の重要性と不可欠さを改めて実感しました。見えにくい傷に丁寧に寄り添い、その人の語りに耳を傾けること。
そして個人の問題として閉じ込めるのではなく、社会的・歴史的な文脈の中で理解していくこと。
その積み重ねが、世代を越えた負の連鎖を少しずつほどいていく力になると信じています。
いま起きている現実と、過去の出来事、そしてこれからの未来は、決して切り離されたものではありません。
この作品を通して、そのつながりを見つめ続けることの大切さを、改めて心に刻みました。
これからも日々研鑽を重ねながら、一人ひとりの背景にある物語を大切にし、取り組んでいきたいと思います。
