日記

2026-02-11 23:11:00

読書記録(合唱の思考)


今日は少しゆっくり過ごそうと思い、先日図書館で借りてきた
『合唱の思考 柴田南雄論の試み』(永原恵三,2012年)を読んでみました。


『合唱の思考』第4章を
ふだん行っている、高齢者の方々への集団音楽療法を振り返りながら
今日は第4章「合唱の場」(p140-161)を読み進めていきました。

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p140:ツカーカンドルの問い、「人はなぜ歌うのか」。
そして、「歌う」という行為によって人はどのような存在になるのか、という問い。

⇨音楽療法の現場では、「うまく歌う」ことよりも、「その人が歌う」ことのほうがはるかに重要です。
認知症が進行していても、言葉が出にくくなっていても、歌になると声が出るといった場面に
たくさん出会ってきました。その瞬間、その人は「ケアされる対象」ではなく、
「歌う主体」になっているということを改めて認識できました。


p140:まず一人ひとりが主体として存在し、
その主体が「歌う」という動詞を遂行する。そのこと自体がすでに意味を持っている。
p144:同じ旋律を歌うことが差異を消すのではなく、むしろ差異を増幅する。
⇨音楽療法の場でも、同じ唱歌を歌っていても、声の高さもリズム感も、呼吸の長さも人それぞれだけど、そのばらばらさが消えるのではなく、むしろ重なり合いながら豊かな響きになります。そこでは「揃える」ことよりも、「違いを保ったまま共にいる」ことが起こっているのだと思います。

p147:歌うことと聴くことによって他者の存在を了解する。
⇨高齢者施設では、日常生活の中で他者との関係が希薄になることも少なくないですが
集団音楽療法で、みんなで歌い始めると、不思議と隣の人の声に耳を傾けるようになります。
誰かが少し遅れて入ると、それを待つように呼吸が整います。
そのとき、そこには対立ではなく、「共にいる」という共在性(p145, p149)が生まれている
のだと感じました。

p151:の「息」の議論
声の根源が「息」にあり、その息が「あいだ」を生成するという考え方。
⇨集団音楽療法では、まず呼吸を整えることから始めています。深く吸い、ゆっくり吐く。
その吐く息とともに「発声」をすると、「声」になり、空間に広がります。
物理的にはただの音かもしれないけれど、実際にはその息によってリラックスし、また場全体を
やわらかく変化していいくのをいつも感じて感じています。

p152:息はつねに現在の身体から生まれる。
⇨だからこそ、何度も歌っている「ふるさと」や「赤とんぼ」なども、
その日、その瞬間の「新しい歌」になります。
その日によって体調も気分も違う、その日の身体から出る息が、歌を更新してるのですね。

p153:合唱の場は一人ひとりの生み出す場が交差するところ。
⇨音楽療法の時間もまさに同じです。家庭での背景、身体の状態、人生の記憶など
それぞれの「日常」が交差して、一時間の音楽の時間が立ち上がります。
そのなかで、ある人は涙を流し、ある人は笑い、ある人は静かに目を閉じて鑑賞される,,,
その多様な在り方が、そのまま一つの場を形づくっていると思います。

p154:「開く」という言葉は、実践と強く重なる。
歌うとは、自らの息で内から外へと開くこと。そして同時に他者の声を受け入れること。
⇨高齢者の方が最初は小さな声しか出せなくても、周囲の声に包まれることで、
少しずつ開いていくことがあります。力を入れるのではなく、むしろ力を抜いて
身を委ねることで、その人らしい声が出てきたりします。
まさに「力を抜いて柔軟に開くことによって実現される力」(p154)を感じます。

p155:「住まう」という概念も、音楽療法と深く結びつく。
ボルノウ 「住まうこと」は空間への信頼関係(p156)。
⇨音楽療法の場もまた、安心して声を出せる「住まい」でなければならないと思います。
間違っても笑われない、否定されない、受け止めてもらえるという信頼。安心できる場。
その信頼があってはじめて、声は身体から自由に出てくるのですね。

p157-158:声は身体に「住まい」、さらにその身体を取り巻く空間に「住まう」。
一人の声が空間をつくり、その空間に他者が根ざす。そしてその全体の空間に、
音楽が「住まう」(p159)。
⇒音楽療法の時間に感じる温かさや一体感は、単なる心理的効果ではなく、
このような存在論的な「住まう」構造によって支えられているのかもしれないと思いました。

p161:合唱は肉としての人間に向き合い、「住まい」として自らを休らわせることの
できる場となるかもしれない。
⇒高齢者の方々にとって、音楽療法の時間がそのような場になっているだろうか、と改めて
考えさせられました。身体の衰えや記憶の揺らぎがあっても、息をし、声を出し、
誰かと共にいることを感じられる時間。
それがその人にとって、ひとときでも「住まい」となっているなら、集団音楽療法には
大きな意味があると思います。

今日の読書を通して、集団音楽療法は単なるレクリエーションでも機能訓練でもなく、
「共に住まう場」を生成する営みなのだと改めて感じました。
そのつどの新しい身体から生まれる新しい息で、新しい歌をともに生み出すこと。

これからも、ひとつひとつのセッションを丁寧に進めていきたいと思います。

 

読書の後、夕方からzoomでの打合せがありました。

より具体的になり、今からワクワクしています。感謝です。


今日も、ありがとう。