日記
生きることの意味
昨日のライアー発表会はなぜ
心が癒され、幸せなひとときだと感じたのか。
改めて振り返ってみると
・演奏者ひとりひとりが
「ライアーと向き合い、
瞬間を共有できたこと
・演奏者それぞれの想いのこもった音色が、ホールに響き渡り、
それが聴衆の方々に届き、共有できたこと
というのが大きいかなと感じています。
一音一音を大切に演奏することは
日々の一瞬一瞬を大切にする
ということにもつながります。
そういう意味ではまさに
ライアーを演奏することは「生きること」
でもあるのかなと思うのです。
カウンセリングの中で、クライエントの方から
「何のために生きているのか」
というテーマをよく話されます。
「自分はだ誰かから必要とされているのだろうか」
「誰かの役に立っているのだろうか」
「誰の役にも立っていない自分は
生きている意味があるのだろうか」
「自分にしかできないことは何なのか」
自分の存在価値を見失ってしまう。
誰かの役に立つ=何か大きな「生き甲斐」とでもいうべきもの
を見つけなければならない
と、壮大なイメージを描いて、
「自分にはそんなものは何もない...」
と思い込んでしまわれる方が多いのですが
実はもっと近くに
「たくさんの人たちから感謝されている」
「たくさんの人たちを笑顔にしている」
ということがたくさんあって
すでに十分に「誰かに必要とされ、役に立っている」
ということがあったりします。
その人の存在自体がすでに
誰かに必要とされ、誰かの役に立っている
そのことに気づくと
「生きること」自体がすでに
「誰かに必要とされ、誰かの役に立っている」
ということを実現しているのだと思います。
結局は
「日々を丁寧に、幸せな時間をたくさん過ごすこと」
につながるのだなぁ
ということを
昨日のライアー発表会で改めて感じました。
ライアーを演奏することは
「自分と向き合うこと」
「日々を丁寧に生きること」
=「生きること」
でもあるのだと
改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
上達することも意識しつつも
「生きること」にもきちんと
向き合っていきたいと思います。
今日も、ありがとう。
