上田紬ギャラリー『繭の家』 別所温泉観光 『茶の湯散策』

2階紬ギャラリーは、伝統の紬をこよなく愛し、お茶の道に求心し親しんだ創業者のオリジナル作品を展示してあります。

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茶の湯(茶道=表千家・裏千家等)に興味がある方に 

別所温泉を散策する~【茶の湯散策】~ご案内

最近よく使われる「おもてなし」の語源は、平安、室町時代に発祥した「茶の湯」から始まったと言われています。客や大切な人への「気遣い」や「心配りを」をする「心」が築かれた世界に誇る日本の伝統文化といえます。

この小冊子は、1,000円以上のお買い上げのお客様に贈呈します。

茶道関係は、一階若竹屋紬店コーナー・二階には「紅葉狩り」が飾ってあります。

1.コラボの店・「紬ギャラリー・繭の家」展示作品ご案内

2.店主母作 上田紬・松本紬「掛け軸」書 京都大徳寺徳禅寺 了庵住持『林間暖酒焼紅葉』林間に酒を暖めて紅葉を焼く 白楽天 謡曲紅葉狩に引用

3.十色間道から十色・真田入間道(京都大徳寺徳禅寺の襖絵より見つかる)

4.真田紐の起源 

5.真田紐の織の技術

6.真田入間道各種

7.信州の鎌倉間道(昭和時代 登録商標商品)信州の鎌倉 ゆえん

宝治年間(1247年~1249年)鎌倉幕府三代の執権・北条泰時の命を受けた弟の北条重時は、将来の鎌倉幕府安泰を期するため第二の鎌倉を造らんと図り、この地に塩田城を構築。鎌倉…塩田間を街道によって結び、常にいざ鎌倉の時に備えていました。塩田城は三代五十有年続き、鎌倉街道は武士のみでなく僧侶達も学問の道として繁く往来し、塩田の郷には鎌倉文化の華が咲いたのであります。しかし、元弘三年鎌倉幕府は新田義貞に攻められ滅亡しました。塩田北条も一族挙げて応援に趣き運命を共にしたのであります。北条氏は亡びましたが、当時の遺跡が数多くこの地に残されており、郷愁をそそるところから別所の里を「信州の鎌倉」と呼んでおります。当店では鎌倉幕府時代に(源頼朝ー北条氏)茶の名物裂として武将に珍重された織物『鎌倉間道(かんどう)』をその美しく優雅な『織』を損なわれないよう再現。この地にちなみ『信州の鎌倉間道』と名付け、古ぶくさ、出しぶくさ等茶道具のみの限定販売しました。(完売)地色の美しさ 模様の洗練 織りの精工は自信を持ってお勧め出来ますものと信じております。この信州の鎌倉間道は、松本紬の織元・本郷織物・故本郷大二氏(国画会会員)作です。

8.塩田北条氏コース

9.伝説コース(北向観音堂=紅葉狩り絵馬=平維茂)・(常楽寺本堂=荒井寛方)・(長楽寺=平維茂)・(平維茂将軍塚)

10.紅葉狩り(大徳寺 掛け軸)

11.真田信之と三人の妻

12.青木村大法寺本堂茶釜

13.安楽寺と京都・建仁寺(四つ頭の茶会)との関係

14.常楽寺(北条国時=彫像)

15.日本の漆器の原点 根来塗(和歌山県)木曽漆器・漆芸家・故夏目有彦氏

16.京都の遊女=吉野太夫=茶の名物裂「吉野間道」(絹織物)

一期一会

表千家茶道教授 故竹内宗衣(店主母)・竹内宗克(店主)