文化勲章受章者 伝統工芸士 上田紬織元 星野五郎氏

上田紬とその製品 

~若竹屋紬店取り扱い上田紬製品・各種~

当店には、それぞれの商品名が紹介されておりますが、これらの全ては当店オリジナル開発商品です。当店の主旨に沿った形で織元さんに依頼し織って頂いた織物でありますので、他店ではもちろん、織元さんにもない当店謹製オリジナル商品として販売しております。尚、インターネットでの販売は致しておりません。一品一品オリジナル製が高いので、お客さまに商品を見て頂いての販売を重視しております。別所温泉にお越し頂き、当店にお立ち寄り頂ければ幸いです。   ~一期一会~

日本商工会議所公認一級販売士 表千家茶道教授(竹内宗克)竹内 克也 

 

上田紬とその製品(手織り)星野織物 

~文化勲章受章者・国指定伝統工芸士 星野五郎氏~

星野織物は、以前は桐生で織屋を家業としておりましたが、大正八年頃、星野五郎氏の御父が、織物を指導する為上田に来られたのが始まりです。戦前はちりめん・銘仙等を織り、戦中戦後の苦難を過ぎ、昭和二十四年頃から手織上田紬の仕事に従事しました。その頃、星野織物に取引先から紬糸を使って絽(ろ)を織ってほしいと依頼があり、父子で絽紬を研究しました。手織りでは絽目を揃える事は難しく、幾度か失敗を繰り返しながら数年がかりで商品化に成功。絽の上田紬になりました。星野氏は、絽紬の他、真田紐織・綾織の一人者でもあります。それらの業績が認められ、平成十二年織物関係では、初の文化勲章受章という栄誉に輝きました。当店は、紬専門店として五十年以上、星野五郎氏の作品を中心に上田紬製品を販売してきましたが、星野氏は平成二十八年四月、八十八歳で逝去されました。星野氏の作品は、当店開発商品として、真田幸村公ゆかりの紬・別所温泉を表現した七久里縞・塩田北条氏ゆかりの紬・千鳥格子縞・江戸格子縞(改め、井原西鶴ゆかり紬)があります。また、上田紬以外の製品=当地ゆかりの茶の名物裂(真田幸村の真田紐織入)として、信州の鎌倉間道(真田入)(昭和時代 登録商標商品)・青木間道(真田紐織入)・望月間道(真田紐織入)・五色真田入間道・十色真田入間道を織ってもらいました。真田幸村が蟄居された、九度山時代に開発されたと言われています。「真田紐織入」を取り入れた「茶の名物裂」の一種。茶道界では、「真田入」「真田筋」等、正式名で呼ばれています。平成二十九年八月、星野五郎妻子氏より、着尺処分の依頼があり、買い取りを実施。当店では、着尺(着物地)として販売してきましたが、それも少なくなりましたので、この際、着尺としての販売をやめる事にしました。その生地を小物専用に転用。より多くのお客様に提供できますよう、当店謹製オリジナル「上田紬とその製品」として、各種新製品も含め、取り揃えて販売いたすつもりです。

 

井原西鶴ゆかりの上田紬(つむぎ)星野五郎氏作品 

~上田縞【粋(いき)】と井原西鶴 碁盤縞(格子縞)【いなせ】~

平成十年頃、上田紬ネクタイを主流に開発した、江戸格子縞・千鳥格子縞のネクタイ用専用生地を再利用し、上田紬製品各種を制作。この製品を新たに「井原西鶴ゆかりの上田紬」と名付けました。上田紬ネクタイは、クールビズの社会情勢の変化に伴い、製造を終了しました。本当に長い間、ご愛顧の程有難うございました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

 

上田紬・七久里(ななくり)別所温泉縞 

~文化勲章受章者・国指定伝統工芸士 星野五郎氏~

別所温泉は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって開かれたと伝えられております。日本武尊が東征のとき、保福寺峠にさしかかる霧の中から白髪の老翁が現れ「この山中に七つの出湯が沸き、これが人々の苦を助ける。尊これを聞きたまえ」と教えました。山中を捜すとまさに七つの出湯があり、これが兵士の傷を癒したので「七苦離の湯」と名付けました。出湯が長く栄えるようにと「七久里の湯」ともいったそうです。また清少納言は『枕草子』の中で「湯は、七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」と書いてあります。この七久里の湯は別所温泉のことであり、この湯が平安時代から親しまれていたことがわかります。当店では、この七久里の湯に因んで上田紬で制作。この縞柄を特に『七久里縞』と名付けました。また縞柄は七色で『七つの湯』を表現。縞を太線・中線・細線と分け、現在ある湯、『石湯』『大師湯』『大湯』を太線で表しております。『石湯』は、野飼いの牛が谷へ転げ落ちて脚を痛めたのを治したので牛湯といい、転じて石湯となったとする説があります。池波正太郎の『真田太平記』には、この石湯がしばしば登場しており、『真田幸村公隠しの湯』としても知られております。『大師湯』は、円仁慈覚大師が入浴して病気を治し、自像を刻んで置いたのでこの名がつきました。北向観音の信者たちが入り『籠り湯』とも『永寿湯』とも呼ばれています。『大湯』は、木曽義仲と愛妾葵との入浴のロマンは吉川英治の『新平家物語』に描かれており、『葵の湯』とも呼ばれております。中線は昔存在し場所も確認され廃湯になった『玄斎の湯』『久我湯』を表しています。なお細線は、確認できないので白黒で表現しました。そしてこの縞を『春・夏・秋・冬』と四種類を作成。『別所温泉の四季』を色柄で区別してみました。旅の想い出としてご愛顧頂ければ幸いです。

 

井原西鶴ゆかりの上田紬(つむぎ)星野五郎氏作品

上田紬「江戸格子縞・千鳥格子縞」を改名『井原西鶴ゆかりの上田紬』、江戸時代の読み物には、随所に上田紬の記事が載せられています。井原西鶴の「日本永代蔵」に、【この手紬の碁盤縞は、命知らずとて親仁に着たる】があります。この碁盤縞は、上田紬を特徴とした縞柄で、現在の格子縞をいいます。格子縞とは文様の一種で、細い角木を縦横に間を透かして組んだものを格子といい、格子の目のような文様を格子縞といいます。上田縞の【粋(いき)】に対し、格子縞には、【いなせ】という言葉が使われています。『江戸格子縞』の語源は、『江戸歌舞伎』からきています。【江戸歌舞伎】の世界などに、すこし苦味のある威勢のよい男の着物として登場しております。