日光院について
小樽高野山日光院
お寺の成り立ち
「小樽高野山日光院」は明治の開拓期に北海道布教のために来道した鷹尾了範を開創として高野山から名義移転したのが始まりです。現在の本堂は大正十四年に小樽港を見下ろす旭山の麓に建立されました。以来百年にわたりこの地で真言宗の法灯を守っています。その後平成十六年に大改修を行い現在の姿となりました。
鷹尾 了範
日光院を開創された鷹尾了範は越中富山県の出身です。高野山にて修行の後
高野山内にある「増福院」に寺僧として更なる修行をされ、高野山登り口の
九度山「慈尊院執事」となり、その後、北海道へ真言密教の布教活動の為
来道されました。明治20年頃、小樽、山田町に大師堂が建てられ、これより
日光院の開創の歴史が始まります。
「東の定山、西の了範」(定山とは定山渓温泉を発見した豪僧)と当時
言われた程、名の通っていた了範は小樽で様々な伝説を残しました。
小樽、赤岩山には了範が修行した洞窟に大日如来や不動明王の石像が
今もお祀りされています。