2017/12/12 16:50
洋靴が日本に入る頃
こんにちは。
香里まつだ整骨院です!
今月、3回目のブログになります!
めげずに書くぞー!
。。。ということでw
いや、しかし寒いですね。
普通最後に書くんでしょうが、皆さま、何かとお忙しい師走の候でございますから、お身体にはくれぐれもご自愛くださいねᕦ(ò_óˇ)ᕤ
さて、9月にホームページを立ち上げてから、簡単なお知らせを含めて彼此19回目のブログになりますが
ふと、自分のブログを読み返せば、
こいつ、仕事とか勉強してんのかよ-_-b
と思わざるを得ない、ブログばっかりで・・・w
ですので、たまには、仕事の話でも・・・
といっても、また靴の話です(*´-`)
(治療の話じゃないんかい!というツッコミは受け付けませんww)
さきにいっておくと真面目な文章になりました。
大事なことなんですが、堅苦しくならないように
このくらいゆるい顔をしながら、気軽によんでもらえたら嬉しいです(^^)
では、
突然ですが、この人、ご存知でしょうか?
歴史では、とっても有名人ですから、知らない人はいないんじゃないかと思いますが(^-^)
正解は、幕末のヒーロー 「坂本龍馬」です。
ところで、彼の銅像、なんか不自然さはありませんか??
少し下に注目してみましょう(°▽°)
上半身は紋付き袴を履いて、足元は洋靴を履いていますね^ ^
(他にも諸説ありますが・・・)
実は、坂本龍馬は日本で初めて洋靴を履いた人物と言われています。
龍馬さんが活躍した幕末、お侍さんがちょんまげに洋靴を履いている絵も残されており
日本国内で、現代のような洋靴を履き始めたのは、ここ150~200年くらい前が起源といわれています。
明治維新にはいってからも、洋靴は簡単に一般庶民の履物として浸透していきません。
それは、「上流階級の履物」という認識があったというだけでなく
国がいくら洋式に変えようとしても、日本は昔から「土足厳禁」の風習があり、
まだまだ脱ぎ履きのしやすい草履や下駄・雪駄が主流となっていたからです。
それでも、ようやく大正時代に入ると、洋服の普及と共に、庶民の生活の中に「靴」が広がっていきました。
が、ここで、第二次世界大戦がはじまり、皮革の輸入が制限されてしまいます。
革がなければ洋靴も製造できませんので、戦時中は、軍靴のみの製造だったそうです。
ですので、日本で一般庶民が現在のような靴を履き始めたのは、戦争敗戦後。
海外と比べるとすごく浅い歴史です。
ただ、戦後の日本は、高度経済成長と共に世界と足並みを揃えるために、
急激に靴を履く文化が必要になりました。
(この部分はまたどこかで書きますが)学校の上履きや指定靴などはいい例です
製作者側も急いで靴を大量に生産しないといけないし
ついこないだまで、下駄や草履と、脱ぎ履きしやすい履物を履いていた人達が、急に靴を履き始めるわけですから
「靴を履く」という行為も、当然、ついて来ませんでした。
結果、急激な国外からの文化の取り入れと、
日本の脱ぎ履きしやすい文化が混ざりこんだ事で、
カオスな状況を作り出します(´`)
靴には、草履や雪駄にはなかった色んな機能がついてるんですが、
靴の選び方や履き方なんて、誰も教えてくれません。
(※雪駄・草履を否定している訳ではありません)
その履き方や選び方が無頓着なら、全く意味のないものになります。
例えば・・・
靴を履く時、爪先でトントンして
踵に指を入れてサイズの確認して
踵の硬い部分を履きつぶして
調整する靴紐を緩めて
大きめの靴を選んで
選び方もわからないまま、パカパカとパンプスを履きならして。
思い当たる節、ありませんか?
日本の文化は「屋外で靴を履いて、屋内は靴を脱ぐ」文化で、
靴の着脱時には「手」を使わない文化だそうです
ですので、高齢者が靴を選ぶ最も大きなポイントは、
「脱ぎ履きの容易さ」です。
そして、親が子供に選ぶ最も大きなポイントも
「脱ぎ履きの容易さ」です。
で、子は親の背を見て育ちますから、
このサイクルが定着していくのかなと思います。
結果、身体のバランスを崩し、それが痛みに変わったり…痺れに変わったり…なんてことも。
今回は靴の歴史の部分から少し遠回りして
靴の選び方や履き方って日本人は無頓着ですよね?
大事ですよ?
という話だったんですが、あえて、「なんで大事なのか?」という所は書いてません。
この部分はホームページのインソールについてにて記載していますが、まだ制作途中ですのでわかりにくい部分はご了承ください。。_| ̄|○
どうでしょう??
徒然なるままに書き綴って見ましたが、まあまあ真面目な話になりました。
次回は、20回目のブログですが、もう少しわかりやすい文章にしようと心に誓いながら、この辺で、終わりたいと思います(*´-`)