園だより
子どもを人間として見ることが自尊感情を育てる
子どもを人間として見ることが自尊感情を育てる
近年、子どもへの体罰が大きな問題として取り上げられています。「しつけ」や「教育」という名の下に、体罰が容認されていたような風土があったのでしょう。大人に対して暴力を振るえば罰せられるのに、子どもに対する場合は「体罰」とされてきたのは、とてもおかしなことです。その背景には、子どもという存在を、大人とは違った「小さく未熟なもの」として捉えるまなざしがあるからだと考えられます。その場合子どもは、大人と同じ「ひとりの人間」として、見なされていないことを意味します。 しかしそれでいいのでしょうか。
倉橋惣三は、戦後間もない現代とは子育ての環境も全く違う時代にすでに、子どもへの普遍的なまなざしとその権利について、強い言葉で述べています。
「人間は一人として迎えられ、一人として遇せらるべき、当然の尊厳をもっている。(中略)幼きが故に、一人の尊厳に、一亳のかわりもない。」
近年、子育て環境の変化から、トイレットトレーニングに悩み、子どもにイライラしてしまう親が多いようです。早くおむつがとれるようにとつい焦って、声を荒らげてしまう場合もあります。親の大変な気持ちはとてもよくわかります。たしかに、誰がやっても大変です。しかし、排せつという生理現象は、本人もなかなかコントロールしにくいものです。うまくいかなかった場合、子どもにも当然プライドがあり、とても傷つくのです。失敗して、大人からいら立つ表情を見せられると、子どもはとても情けない気持ちになり、尊厳を傷つけられるのです。
私たち大人自身が将来、高齢者になって、もう一度おむつを着けるようになった時を想像してください。きっと、そのつらさがわかるでしょう。
園での保育も、同じようなまなざしで取り組みたいものです。食事を残さず全部食べ終わるまでは、片づけてはいけないというのはわかりやすい例です。
無理やり口に入れられるのも、どれほど尊厳を傷つけられるでしょう。このようなことは、普通の大人にはしませんよね。本来、小さな子どもにも、「あなたはどう
したい?」とか、「ここまでがんばってみる?」と聞いてもらえることが尊厳を大切にしているということなのです。
しつけにおいては、その子のペースが保障されたり、その子のうまくいかなさを理解してもらえたり、がんばろうとしていることを認めてくれる他者の存在がとても大切なのです。それは、排せつだけでなく、食事・衣服の着脱・言葉・運動など、全ての子育てにおいて言えることです。それが、ひとりの人間としての尊厳が大切にされるということなのです。そのようにかかわられることで、子どもにはしっかりとした自我が育ち、自尊感情が育ちます。これは、生涯の根っことなる重要な育ちにつながるのです。[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]