園だより

2023-01-27 15:19:00

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「小Iプロブレム」という言葉があります。授業が始まってもおしゃべりをやめない、歩き回る子がいるなど、教師を悩ます状況があることが数多く報告されています。これまで、それは、親や園のしつけや規律教育の問題として語られることが多かったようです。

 しかし汐見稔幸さんは、それは違うと言います。それは、現代の子どもが育つ社会や環境、教育に対しての、子どもたちの「異議申し立て」なのだと。子どもが学ぶ喜びを、本当に感じられるような経験がなされているかが問題であると、指摘しています。

 かつての子どもたちは、近所という地域社会の中で自由に「放牧」されて育っていました。そこには、異年齢の群れ遊びがあり、秘密基地を作ったり、鬼ごっこをしたりして遊んだのです。こうした遊びの中で、工夫すること、企画力、リーダーーシップ、社会性、自主性、規律も含め、知らず知らずのうちに大切なことを総合的に学んでいたのです。しかし現代は、この遊びの体験が大きく失われており、汐見さんは、この問題を「学び」との関連で問題提起をしています。

「遊び」と「学び」は対立したものとして理解されがちですが、そうではないのです。

「子どもたちの遊びも、学問と言われる高尚な精神の営みも、同じようにカオスからコスモスを作り上げる作業というところで共通するものなのである。」という汐見さんの言葉にもあるように、子どもが本気で「遊び込む」ことは、学問にも共通する原理があるのだと述べられています。それは、カオス(混沌)からコスモス(秩序)を生み出す、学びのプロセスなのだということです

 例えば、泥団子を作る遊びがあります。はじめは、そこには土と水があるだけです。そこから、子どもは試行錯誤しながら、硬くてて光った泥団子を生み出します。その過程で、どのぐらい水を足せばいいか、どのタイミングでどう磨いたらいいか、数多くの探究のプロセスを通して一つの泥団子を完成させます。そこには、そうとうな集中力や創造力、そして思考力が必要です。

 研究者が、新しい発見をするために試行錯誤するプロセスによく似ています。土と水だけのカオス(混沌)から、泥団子を完成させるというコスモス(秩序)を、導き出しているのです。

 子どもの育ちに[遊び込む」ことが「学び」として重要であることは、一般の方にはあまり理解されていないようです。それは、保護者だけでなく、教育関係者でさえそうかもしれません。21世紀型能力やアクティブラーニングが求められる時代、「遊び」の重要性を、いまこそ声を高く上げていくことが必要です。

汐見稔幸『本当は怖い小学一年生』146頁、ポプラ社、2013年

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]