園の生活
幼児の権利
子どもは、言葉と論理の「タネ」を宿して生まれてきます。数量感覚も相当早くから持っていることが認知心理学の実験からわかっています。1歳前後になると歩き始め、転んで泣いても、また歩き、しゃがみ、立ち上がります。そうしたことを繰り返しながら、外の世界が「どのような理で成り立っているか」を探検し始めます。
親が「ワンワンだねえ」「アリさんがいるね」と言うだけでも、子どもはいつしか犬やアリが「歩く」ことを理解します。一方、車や電車は動くけれど歩きません。どうやってそれらを区別しているのか、なぞです。
幼児は、自分の五感で感じ取った外部世界のリアリティを、言葉という記号と徐々につなげていきます。それが「意味を理解しながら文を読み書く」ことの第一歩です。そのためには、幼児期に外の世界と濃密に接触すること、身近な大人たちの母語のシャワーを浴びることが極めて重要です。
けれども、そのような幼児の権利は現代では無視されがちです。この10年で、2歳を超えてもバギーで移動する幼児を多く目にするようになりました。親の都合が優先され、一番歩きたい・走りたい盛りの1歳から4歳までの「歩く権利」が奪われています。一度バギーに乗る「楽しさ」を覚えると、歩かせようとしても歩かなくなります。
歩かなければ、アリが行列を作って何かを穴に運ぶ光景にも、木の葉がくるくる回りながら落ちる様子にも、霧雨が雨に変化する瞬間にも出会えません。
「キャンプに行けば体験できる」という人もいるでしょう。しかし、ホモ・サピエンスは何万年も、365日外部と接する体験をして育ってきました。年に一度のキャンプで365日をカバーできると考えるのは、あまりに傲慢でしょう。
もはや親の自覚を促すだけでは、この状況の改善は見込めません。それでは、自覚と時間と心の余裕がある親を持つ子と、そうでない子の格差が広がるだけです。
では、どうすればよいのでしょうか。「すべての幼児はゼロ歳から保育園に通う権利がある」「すべての小学生は学童保育に通う権利がある」と法律に明記すればよい、と私は思います。すべての子どもに、十分な母語のシャワーを浴びる機会、インターネットから切り離されてリアルな世界と接触する機会、歩き、走り、同年代の子どもと喧嘩をし、仲直りする機会が保証されるべきです。
((新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』より)
