ごあいさつ
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前十字靭帯、Anterior Cruciate Ligament(ACL)は膝関節内にある重要な靭帯で、関節の中で大腿骨と脛骨(すねの骨)をつなぐ太い繊維です。前十字靭帯には、①脛骨が大腿骨に対して前方に移動することを制限、②膝関節が伸びた状態から過剰に反り返る(過伸展)を制限、③脛骨が大腿骨に対して回旋(ねじれる)ことを制限するという機能があり、これらの方向の力が膝関節に対して加わった際に緊張しますが、靭帯の強度を超える力が加わると損傷します。
前十字靭帯損傷は、膝関節周囲の靭帯損傷の中でも頻度が高いうえに、適切な治療を行わないと軟骨や半月板などの関節内の主要な構造物の損傷を招きかねない点で扱いに注意を要する外傷です。日本国内では年間に5~6万人が受傷しますが、特にスキー・バスケットボール・サッカーといったスポーツ活動中に受傷することが多いのが特徴です。
【症状】
受傷直後は、関節の腫れ(関節内の出血)と痛みで膝の動きの制限が起こります。時間が経過すると痛みや動きの制限は改善することが多いですが、運動に伴う膝関節の不安定性(膝崩れといって、関節がずれる・抜けるといった感覚を自覚する)が続きます。同時にほかの靭帯や、関節内の半月板の損傷を起こす場合もあり、その場合の症状はより多彩で治療も複雑です。スポーツや労働などの活動性が高くない人では、靭帯が切れていてもほとんど症状を自覚しなくなる場合もあります。
【診断に必要な検査】
受傷した状況や症状から靭帯損傷を疑った場合、膝の診察(触診)で関節の不安定性を確認します。靭帯はX線写真で評価できないため、MRI検査を行います。靭帯の損傷状態を確認し、半月板・軟骨などの損傷が合併していないか評価します。
【経過】
前十字靭帯は完全に切れた場合、自然に修復されてつながることはありません。そのため、活動性の高い人の場合膝の不安定性が持続し、スポーツ活動や労働に大きな支障が起こります。また、関節がずれる動きが繰り返されることによって、軟骨や半月板が二次的に損傷する危険性が高くなります。症状をほとんど自覚しない人の場合も、損傷を放置したまま生活すると10年後には半数以上が変形性膝関節症(軟骨のすり減り)を発症すると言われています。
完全断裂の場合は放置しても治らないため、正常な膝関節の機能を獲得するためには手術が必要です。しかし、手術とその後のリハビリには長い期間を必要とするため、現実的に手術を受けられない患者さんも少なくありません。例をあげれば、仕事を長期間休めない労働者、受験・進学を控えた学生、現役期間の残り少ないスポーツ選手などです。
手術を行う時期は受傷直後に起こる炎症が収まった時期が望ましく、ある程度の待機期間は許容されます。つまり、関節の負担が少なくなる工夫をしながら手術を受けられる時期まで待つことが可能です。その間は、保存療法(手術ではない治療)として、不安定性な膝を保護する支柱付きの装具を必要に応じて使用し、膝の安定性を高めるリハビリを行います。
靭帯の損傷が一部にとどまる場合(不完全な断裂)は保存療法で機能の回復が得られる場合もありますが、正確な診断と注意深い経過観察が必要です。
完全に断裂した靭帯は単純につないでも強度が得られないので、靭帯としての機能を回復できません。そのため、何らかの材料を使って靭帯を作り直す靭帯再建術という手術が、標準的な治療方法となっています。靭帯再建の材料として人工靭帯や他人からの移植に頼るという方法には問題が多く、現実的には使用が困難です。
長期間安定した成績を得られる材料としては、患者本人の腱(筋肉の一部で硬い繊維の多い部分)を利用するのが標準的です。腱を取る部分には初期の痛みや傷といった問題がありますが、治療のゴールの時点では機能的な問題はほとんど残りません。この腱を加工して、大腿骨と脛骨をつないで、十分な強度の靭帯を作り直します。腱は、大腿の内側から取る場合と、膝蓋腱に一部の骨をつけて取る場合が一般的です。また、腱をどのように加工してどのように骨とつなぐかという方法も各種あり、それぞれの利点があるので、患者の状態に応じて使い分けます。
【リハビリ】
手術後はできあがった靭帯に負担をかけないように、一定の期間は歩行時に手術をした足に体重をかけることを制限します。そのため、松葉杖を使って安全な移動ができるまでは入院で治療を行います。当科ではその期間は約2週間としています。
退院後は、定期的通院をしながら可能な範囲で機能回復のためのリハビリを行います。新しい靭帯が運動に耐える十分な強度を回復するのには時間が必要です。手術を行う施設によって多少の差はありますが、極端に早い運動復帰には再断裂の危険が伴います。常識的には、日常生活で制限がなく活動できるのが手術後2~3ヶ月で、競技レベルのスポーツ復帰には手術後9ヶ月程度を要します。
【問題点】
どの手術にも合併症などのリスクは存在します。前十字靭帯の再建手術で特に注意を要する合併症・問題は、靭帯の再断裂です。報告者によって差はありますが、靭帯再建を受けた患者の数%で再断裂が起こります。膝関節の形や運動パターンなどの要素が影響するため、専門施設であっても一定の割合で再断裂は発生してしまいます。女性や20歳以下の若年者ではより再断裂の危険が高いと言われています。
もしも再断裂した場合、膝の機能を回復させるためには再手術が必要になる場合もありますが、再手術では使用する材料や手術方法に工夫が必要になるため、十分な経験を持った医師と相談する必要があります。