日々のこと
ワークショップ開催
週末、久しぶりに外部でワークショップをさせていただきます。
思えば10年くらい前、身の回りに次々と大変なことが沢山起き、そこから一歩、意識的に離れるため、再度アロマテラピーの勉強をし始めました。
ワークショップの開催は、その時のたくさんの偶然の重なりの中で開催でき、富山の大きな文具店「瀬戸」でさせていただいた時には、とても多くの反響をいただき、大変有難い経験となりました。
今、準備を進めていますが、以前やったことが昨日のように思い出され、「きっと上手くいく」という、インド映画のタイトルのような、小さな確信を持っています。
今回も、とても辛い事があった時に「ジョウカさんにはアロマがあるじゃない?もう一度やってみたら?」という、ある方の一言が、嗅覚反応分析を学ぶきっかけとなりました。
内観と嗅覚反応分析をやりたいと思い、場所を探していると、大きく立派な施設を紹介してくださる方も現れました。しかし、残念ながらあまり先方とのマッチングが上手くいきませんでした。他にもたくさん残念なこともありましたが、そんな事は些細なかすり傷として吹き飛ぶほど、沢山の支えと大きな出会いもあり、感謝の気持ちでいっぱいです。
これは、内観をしてきたので、捉え方を多方面から観るという事が出来るからというだけではありません。
以前の私はアタマでは解っていても、全くこんな風に思えませんでした。
嗅覚反応分析を初めてした時、私のグラフはある部分が最小値。ある部分は、最大値という、乱れに乱れたグラフでした。
在る悩み事で頭がいっぱいでした。
人をとても憎んでいました。その人にされた事が頭から離れませんでした。
何とか解ってもらおうと、考えを巡らせていました。
それは、そのまま、全てグラフに出ていました。
病気のリスクもズバリ当たっていました。
これは、私が「そういう人だから、そんなグラフになる」と思う人が大半でしょう。
でも少し違う見方もできるのです。
嗅覚反応分析を学び、グラフを整えるケアを続けました。
サプリや漢方を適切に使い、精油を選び、行動を変えました。
整ってくると、驚くほど心身が楽になりました。
自分の中に自然と、以前は無かった自信を、静かに感じました。
グラフを整えていくことの大切さを、肌で感じました。
ここへの道のりは、思い返すと、いつも真っ直ぐに続いた道ではなく、まるで土砂崩れで塞がった所を迂回して見つけた、新しい道でした。
今、私の進む道には、いつも心地よい香りが導いてくれます。とても幸せです。
そんな事を思い返しながら準備をしています。
出会いに感謝して、土曜日の楽しい午後を過ごしたいと願っています。
紫陽花
少し枯れそうな紫陽花が好きです。
自分でも少し変だなあと思いながら、どうしてだろうかと考えてみました。
毎年、咲くのだろうかと
不安になる冬。
春になり、新しい葉が繁り、
小さな蕾が出てくるまでは、咲くのだろうか 心配です。
小さな花が咲いた時は、嬉しいというよりも安堵し、
今度はそれを枯らさないか心配になります。
そして、少し 枯れてくる。
今年も無事に終えたのだと、そんな気持ちです。
次の年に備えて花を摘む時、新しい小さな芽が出ているんです。
そして、その芽の上で切ることが大切。
間違えて芽を切ってしまい、咲かない年もありましたが、
今は知っているので大丈夫です。
それ以外何もせずに、毎年咲いてくれるこの紫陽花は、家族が母の日にプレゼントしてくれたものです。
少しのコツと、特徴を知る事。
手入れの仕方を知ることは、どんなことにも大切だと感じました。
ひとつの仕事が終わったような、安堵が枯れた紫陽花がある幸せ。
夏至の頃、そんなことを思うのは、
過ぎていった、あの風の仕業だと思うのです。
いきているということ
先日から、二つ送ろうと思っていてなかなか出来ないものがあります。
一つは、友人の出産祝いです。
私と正反対の、年下の静かな彼女が、全く真逆(に見える)舞踏家の方と結婚し、赤ちゃんが生まれました。
舞踏家の方も、巡り巡って知人でしたので、こんなところで繋がるなんて、本当に人のご縁はわからないものだと感動していました。
そんな嬉しい、嬉しいが重なったご縁。
コロナ禍もあり、少し時間も経ってしまったので、必要なほとんどのものはあるだろう。。。と思い、これまた二人が絶対に手に取らないであろうタイプのものにしました。
もう一つは、古い友人が亡くなった知らせを受けたので、お悔やみの気持ちを送ろうと思っているのです。
奇しくもこの二つの贈り物を同日に手紙を書こうと思うと、どちらを先に書いたらよいか…私の気持ちは揺れていて、こうして伸ばし伸ばしになってしまっています。
苦しい時代を支えてくれてたとても優秀な方でした。
これでこの時代の大切な人を亡くしたのは、二人目です。
この人たちがいてくれなかったら、私は生きていられただろうか?と思う時があります。
そして、何かを私は返せたのだろか?と。
すでに亡くなってしまった今、私にできることは、
ほんの少しの支えが生きるという事に繋がるという、彼らが教えてくれたことを、また次のバトンにしていくことだと思うのです。
そいういう事がやりたくて、今、試行錯誤をしています。
今日もまた、手紙は書けそうもありませんが、こうして誕生日に、友人に繋ぎとめられて今、生きていられるということに、あらためて感謝の気持ちと、命をくださった両親に感謝したいと思います。
ありがとうございます。


