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2021-09-01 11:44:00

dive102

 月日は川のようで、僕の思惑をものともせずに勢いよく流れていく。和尚の部屋を掃除する当番を買って出ては見たものの、なかなか手掛かりが見つからず、気が付くと1年経ってしまっていた。その間、蓼藍の収穫や法要など下っ端の仕事は覚えること、こなすことが主で、ついて行くのがやっとだった。仏の教えも、経典も覚えることだらけ。藩部(清王朝が統治していた中国本土以外の地)の西蔵(チベット)から伝わる仏教は、首領であるダライ・ラマ(釈迦の生まれ変わり)から伝わる。この青龍寺では、その中でも、秘密の教え、密教を教える。仏教が説く4種の基本的な真理、四聖諦(ししょうたい)または苦集滅道(くじゅうめつどう)。苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦という真実、集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実、滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実、無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ、道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実、悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。僕はこの教えを学んでいるときに、はっとした。そうか、そうなのか、この世は苦しみばかりなのか。最初の苦諦(くたい)の話を聞いてぞくぞくした。『四苦八苦』この言葉が忘れられない。根本的な四つの思うがままにならないこと、出生・老・病・死である。これが四苦。愛別離苦(あいべつりく) - 愛する対象と別れること。怨憎会苦(おんぞうえく) - 憎む対象に出会うこと。求不得苦(ぐふとっく) - 求めても得られないこと。五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(身体・感覚・概念・決心・記憶)に執着すること。これを入れて八苦。後の四苦は僕の今の状態そのものじゃないか。この世のすべてなのか。家族との別れ、憎むべき人たち、秘術に会得できない現状、すべては執着によるものという事実。まるで自分を見透かされているようなこの感覚。なぜだろう、この事実を覆い隠さんとする黒い炎がより一層燃え盛る。僕の中に矛盾がある。事実をありのままに認め、受け入れ明日に進もうとする心、そしてどんなに真実だと言われてもそれを力でねじ伏せようとする心。どちらも自分の中に在って、正しいとか間違っているとかではないような気がした。どっちであれ欲しい結果にたどり着ければいいような。そう、すべてを欲するというなんだかよくわからないものの塊が僕の中にあるのだ。しかし、この仏の教えを受け入れない限り、執着を捨て悟りに至らない限り、仏の力を借りるという術にはたどり着けないだろう。しかし、執着を捨てるということは、家族のことはあきらめて前に進むこと。到底僕には悟りの境地にたどり着けない。じゃあどうすれば・・・

 そんなことばかり考えていたある日のこと、寺に客人がやって来た。小太りの見るからに裕福そうな男と美しい着物を着た若い女。どうやら奥さんのようだ。境内の掃除をしていた青仁が和尚のところに案内した。僕はあまり見かけない客人に興味がわき、青仁に何の用だか聞いてみた。すると、どうやらあの家の娘に悪霊、魔物の類が取り付いているので祓ってほしいという事らしい。青仁にこういうことはちょくちょくあるのか尋ねると,、普段は魔物、悪縁断ちのいわゆる魔除け的な儀式をすることはあるが、退魔の術を使うのは年に数回ぐらいだと言った。僕はどんなことでもいいから、退魔の術というのを見てみたっかった。和尚さんたちの話が終わったようで、客人たちが帰っていった。和尚さんが弟子の中でも退魔術を得意とするものを呼んで話をしていた。兄弟子の円恵、円信、この二人は和尚さんたち長老の信頼も厚く、この寺の仁王のような存在で、頼れる兄貴という感じだ。この一年、僕も相当お世話になった先輩だ。円恵さんには姉さんの術に関してもいろいろ教えてもらったし、円信さんには仏教界の明王についていろいろ教えてもらっている。それぞれの真言、印の結び方などを教えてもらい先生のようだった。僕はこの二人が行くのなら何とか連れて行ってもらえないかと考え、二人に頼んでみた。その頼みに円信さんが

「是啊。什么都要体验一下啊。跟青仁一起来。」(そうだな。なんでも経験してみないとな。青仁と一緒についてこい。)

やっと、細い蜘蛛の糸をつかんだ。前に進むぞ。

dive103に続く・・・

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