大将のブログ 冒険小説「らーめんダイバー」

2020-08-18 16:40:00

dive59

 私は26年前、20歳の時、調理師学校を卒業しこの中華料理の世界に入った。そして、上を目指して一生懸命にやってきた。下っ端の時、雑用のような仕事をできるだけ早く済ませ、自分たちが調理に携われる唯一の時間、まかない料理を作るのに懸命になった。一日に一回やってくるチャンス。それ以外に調理師と呼べるような仕事は無いに等しい下っ端にとって、明日に向かって積み上げられるものなど何もない。お店を回すための仕事、先輩たちの雑用、材料の準備、機材の準備、洗浄、食器の準備、スープをとる、ごみを捨てる。こういう仕事は調理師たちである先輩たちの仕事がうまく機能するようにする潤滑油のようなもので、とても専門学校へ行く必要などない。そんな毎日の中で一日に1,2回自分でメニューを決めて調理ができるという楽しい時がやってくる。材料は限られている。その日に余っているもの、であったり、安くてまかないように仕入れてもらったものであったり。それまでにできるだけ、その食材を使ったメニューを頭の中に叩き込んでおくこと、臨機応変に材料を変えることができるように、材料の特性、味付けをしっておくこと。調理師学校で習った基本的メニューは確かに本職がお店で出すレシピや調理法であるが、それは役に立たない。なぜならすべての材料を自分の自由にそろえることはできない、またそんな時間も準備もない。短時間で4,50人分のおかずを2品作らねばならない。昔料理の鉄人という番組で食材を指定されて作る番組があったが、あれを毎日やっている感じだ。お題をもらって即興で演じる落語や大喜利のようだ。どうやったらそのメニューを効率よく50人分調理できるか。調理師学校を出たばかりの自分たちにそんな知識の貯金はない。毎日、目の前で作られる先輩の料理をヒントに、休憩中に本屋で料理の本を見たり、先輩に相談してみたり毎日作って失敗して、食材を無駄にしたと叱られたりして得た経験を少しづつためていく。何せ審査員は全員調理師だったり、サービスマンだったりするから厳しさは折り紙付き。毎日戦うこと、いつも調理することを忘れないこと、下っ端はこうして調理師になっていく。

 あれから26年、毎日仕事をしてきたが、私は店で「こなす」ことに慣れてしまって、戦うことを忘れてしまっていた。お客さんが目の前にいない隔離された厨房で作業をするという緊張感のなさが仇になってしまっていたのだ。そういえばお客さんである先輩たちに褒められたりしたときの喜びもいつしか忘れていたのかもしれない。厳しさも同時に。

 そんな時に、厳しさと喜びを思い出させてくれたのが王さんだった。この土地のことも、調理のことも、生き方もいっぱい教えてもらった。『師匠』であり、『兄貴』とよぶにふさわしい人に初めて巡り合った気がする。おっさんが言うのも恥ずかしいが、本当に大好きな人だった。まあ、実際『兄貴』になったわけではあるが。あの人は、私に何を見ていたのだろう。何を伝えたかったのだろう。私はあの人の期待に応えられるのだろうか。この店の前に倒れて、王さんに助けてもらって以来、私にとって心の支えだった。

 王さんの葬儀が終わり、和尚と麗華さんに、王さんの奥さんが亡くなった時のように店を続けることを勧められ次の日から営業した。まだ気持ちの切り替えができないまま、王さんが立っていた場所に立つ。そして王さんがやっていたように、仕込みをし、湯を沸かし、たれを作り、麺をゆで、仕上げ、お客さんに出す。一杯、一杯に思いを込めて。王さんに追いつけるように、王さんにがっかりされないように。何よりもお客さんに笑ってもらえるように。そんなときに、おばあさんと小学生ぐらいの子供が入ってきた。注文が入り2杯作る。こちらから座って待っている二人が見える。それを見て私の母方のおばあちゃんを思い出した。私が小学生の頃、電車で40分ぐらいのところの母の実家に一人でお歳暮を持って行っていた。お使いに行くとご褒美に近所のラーメン屋さんに連れて行ってくれた。おばあさんは味噌ラーメンを食べている私をにこにこしながら見ていた。私はそんなおばあさんに笑って返した。そんな昔を思い出しながら担々麺を出した。他のお客さんのどんぶりが返ってくる。何も残ってないどんぶりを見て、ほっとしながら洗い物をする。疑心暗鬼のまま客席の方を見ると、さっきのおばあさんと子供が笑っている。その姿に自分の子供時代がオーバーラップする。ああ、笑ってくれた。あの日のおばあちゃんのように笑ってくれたよ。王さん、見てますか。私の作った料理で笑ってくれたよ。こんなにうれしいことはない。あの日の自分と同じように、あの子笑ってるよ。

 「那样就可以了。」(それでいいんだよ。)

 今、王さんが・・・・そんな気がした。

ああ、王さん、あなたは、私に教えてくれてたんですね。私に一番大事なことを。やっぱり、かなわないな。師匠・・・私は笑った。呵呵と笑った。上を向いて王さんに見える様に。王さんに聞こえるように精一杯大きな声で。またも泣きながらではあるが・・・

dive60に続く・・・

Today's Schedule
2026.10.30 Friday