大将のブログ 冒険小説「らーめんダイバー」

2020-08-15 21:55:00

dive57

 「和尚,请先救一下王先生。来吧!必须做好潜入的准备!」(和尚、まず、王さんを助けなくちゃ。さあ!潜る準備をしないと!)

 「是啊。蓝生,那么呵呵……」(そうだな。藍生、では呵呵に・・・)

そう言って歩き始めたが、すぐに立ち止まってしまった。どうしたのかと思い和尚を見る。和尚がこっちを見て

 「喂,糟了!我忘记了重要的事情。」(おい、大変だ!大事なことを忘れているぞ。」

 なんだよ、早くしろと袖を引っ張るも、振りほどかれる。

 「到底谁来做担担面?是你吗?」(いったい誰が担々麺を作るんじゃ?お前か?)

なっ!なんだーーーー!そうだ。そうだよ。王さん倒れてるのに誰が作るの?私の作った担々麺に石なんかできるわけがないだろ。おい、術者もダイバーもいるのに作り手がいなけりゃ話にならないじゃないか。他に心当たりがないか和尚に聞くも考え込んだままだった。でもこのまま手をこまねいていても仕方がない。和尚に

「知道了!我来做。」(わかった!私が作る。)

と言い、和尚と急ぎ呵呵に向かう。どうしよう、王さんの命が懸かってる。責任重大だ。私に作れるだろうか。王さんの顔と一緒に麗華さんの顔が浮かぶ。麗華さんにも言わなくちゃ。でも心配するだろうな。術が失敗すれば王さんどころか私も・・・麗華さん一人残すことになる。千道め!こうなることがわかってやったのか?後ろで操っている行徳の狙いなのか。もし邪心の石を作ることに成功していたなら、気に入らないやつを片っ端から始末するだろう。この寺の人たちだって狙われる対象だろう。それを止めることができないように王さんを狙ったのか?何の恨みもないだろうに。しかし、狙うなら和尚でも、私でもよかっただろうに、なぜ王さんなんだ?

和尚はともかく、私のほうが始末しやすいだろうに。ん、私の存在、潜っているのが私だと気づいていないのではないか?和尚と王さんの二人で術を完成させているのだと思っているのでは。寺でもこの話はしていないので千道にも気づかれていないはずだ。和尚と王さんの違いとはなんだ。もしかして法力を持っているものには効かないのか?そう考えると、王さんだけが狙われたのに合点がいく。考えたくはないが、行徳たちが本当に狙っているのはこの先ドミノ倒しのように起きる連鎖反応ではないだろうか。王さんが担々麺を作れなくなる、すると善心の石が取れない。善心の石がないとなると病になったものが助からない。邪心の石を大量に作り町の人々の食べ物に入れてしまえば、もともと善心の者は次々と倒れ、もともと邪心の者はより悪くなり、町中で争いごとが増え、収拾がつかないなんてことに。ただでさえこのご時世、海外からアヘンを大量に売り込まれ国自体が立ち行かなくなってきているのに。石とアヘンでこの国はボロボロになってしまう。中間で自国の美術品、工芸品を売って、その払いをアヘンで貰い、自国民に売りまた商売にする奴らがいる、この者たちも、行徳もまさに獅子身中の虫ということである。長い目で見れば、こんなことをしても結局は、自滅していくだけだとわからないのだろうか。ここで一つ疑問が湧いた。もともと邪心の者は善心の石を食べたらどうなるのだろう。疑問だ。改心するのだろうか。仏はこれをすべて救えとおっしゃっているのだろうか。そのために私をここへ来させたのだろうか。この国を、いや、人類を一つの生き物に例えるならば、これは一つの病であり、私は免疫や治療薬のようなものなのか。私と和尚や王さんという物質が化学変化を起こし良薬になると。私は昭和という時代に生まれ、ある程度の教育と倫理を教えられてきた。朝起きると、おばあさんが仏壇に向かってお経を上げているのを見て、なんだかわからないが一緒になってお経を上げていた。仏様の像に頭を下げる。お寺にも幾度か行った。和尚様にも頭を下げ笑っていた。家では一番長老のおばあさんが何度も頭を下げ笑っていたのを見ているうちに、このやさしい世界が好きになった。それを作ったのが仏様なのかなぁ。私はそんな世界を守りたい。これは戦いなのだ。私たちの世界を脅かす者たちとの。これは私の欲かもしれない。欲に善悪とかあるのかどうかはよくわからない。守りたいという欲は、無い者たちが欲しがる欲と変わりはないのかもしれない。それならそれで話し合って両方が笑える世界にしたい。何か道がないのか話し合うほうが争うよりも、もっとこう、呵呵と笑えるじゃないか。王さんと、また一緒に笑いたい。私に石を作れるだろうか。いや、作らなきゃ。作らなきゃ笑えないなら、作るんだ。待ってろ王さん。食べて笑える一杯を。

dive58に続く・・・・ 

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