ESSAY
写真家集団 DOMPHOTO代表
京都を拠点にフリーで活動。
便利さや快適さを求める今日の生活の中で我々は感じることを忘れかけているのではない
だろうか。
スピードを求められる時代だからこそ、ゆっくりとスピードを落とし、感じることで今まで気付
かなかったものに気付き、大切なものが見えてくるのではないかと思う。
情報が溢れたデジタルの時代だからこそアナログにこだわり、色という情報を剥ぎ落したモ
ノクロの世界の方がものごとの本質が見えてくるのではないかと思う。
だから、私はモノクロで写真を撮っています。
私はゆっくりと散歩しながら時が止まったように感じる瞬間をスナップして写真に納めています。
幸せな瞬間を永遠に閉じ込めたいと願いながら・・・
ブータンでは人々は釣りのことをハンティングと呼ぶ。
そう、彼らにとって釣りは狩りなのである。
キャッチ&リリースは認められないのである。
そして、釣りをするときは、釣った魚を食べるときのみで、釣りをするには狩猟の許可を取らないといけないのである。
釣りをするには猟師になる覚悟がいる。
殺生を好まないブータンでは、肉や魚はインドから輸入されている。
だから、魚が釣れそうな川はあるが、釣り人を見かけることはほとんどないのである。
ブータンでは今でも夜這いの習慣が残っている。
男たちは昼間に下見をし、夜になると夜這いに出かけるのである。
女性には前もって何も言わないのである。
彼らは夜這いをナイトハンティングと呼ぶ。
釣りのことをハンティングと呼ぶように、彼らにとってはこれも狩りなのである。
今では、ブータン政府がルールを作り、事を始める前に女性の承諾を取らないといけないことになっている。
女性がNOと言えば、スタスタと帰えらなければならない。
でも、ほとんどの場合はハッピーエンディングだそうだ。(彼らは成功した場合はこのように呼ぶ)
時には娘と間違えて母親や祖母を夜這いしてしまうこともあるとのこと・・・・
日本からの一人旅の女性も夜這いのアタックを受けている。
今まで、距離があった現地のガイドと日本人女性がある日を境に恋人のようにぴったり、引っ付きだしたのを見かけた。
きっと、ハッピーエンディングだったのであろう。
冬になると鶴が飛来するポジカの谷。
ここはパロ空港から峠を3つ越えてやっとたどり着く。
峠と言っても富士山位の高さの峠を越えるのである。
雨季のため、空港からここまでぬかるんだ山道を16時間もかかってしまった。
しかし、谷に着くと景色は急に変わり、感動は一際だった。
この村では飛来する鶴を電線から守るため、電線を地下に埋めたのである。
この埋設工事は何年もかかり、なかなか電気が通らなかったそうである。
それでも村人たちは、鶴のために我慢したのである。
お蔭で美しい景色と環境が残った。
ちょっといい話だ。
ここは雲の上の小学校である。
標高3400mの高さにある。
空気は薄いけど、とても美味しい。
子供たちは何キロも先から学校に通っている。
ブータンでは民族衣装が制服になっている。
日本で言えば、着物が制服になっているイメージだろう。
自然と自国の文化に慣れ親しんで行く。
子供たちはとても先生たちや目上の人を尊敬しているのである。
よそ者の私にも両手を合わせて最敬礼をしてくれる。
写真を撮れば写真を撮ってくれて有難うという。
彼らは済んだ瞳で熱心に授業を聞いていた。
ブータンの将来は明るいと感じた。
ブータンでは、そこら中にマリファナが自生する。
商店街の店先にすら生えている。
マリファナはブーテンではどこにでもある雑草なのである。
人々は全く関心がなく、ブタが食べるくらいである。ラリっているブタも見かけなかった。
ブータンでは2004年から全面禁煙になっている。
タバコを売るのも買うのも違法なのである。
禁煙者にはいい国である。
写真の付近は当たり一面、マリファナが自生していた。
ブータンは松茸の宝庫である。
車で移動していると道端で大きな松茸が山盛りで売っている。
日本で買うと10万円以上するだろう。
ブータンの人々は松茸の香りを楽しむ感覚がない。
ブータンでは松茸をジャガイモとチーズと唐辛子で炒めることが多い。
不思議なもので松茸がゴロゴロしていると有難みがなく、ブータンでは食べたいとは思わなかった。
最近は日本人が買い占めてしまうので、ブータンで松茸の価格が高騰している。
それでも、日本で6000円位する松茸が200円位で売っている。
近頃は、ブータンの人々には高くて食べれない食材になってしまっている。
松茸を輸入して、日本で売れば儲かるだろうかとそんなことだけを考えてしまう。
標高が高いブムタンの谷では、稲作が出来ない。
だから、この谷では芋と蕎麦が植えられている。
ブータンの蕎麦の花は、日本のように白色ではなくて、ピンク色である。一面ピンク色に咲く蕎麦の花の風景は非常に美しい。
そして、その蕎畑の中に蜜蜂の巣箱が置かれている。蕎麦の花の蜜が集められた蜂蜜は濃厚でとても美味である。
この美しい谷を眺めながら、蕎麦で出来たパンケーキにたっぷりと蜂蜜を付けて朝食を頂くと幸せを感じるのである。
京都を散歩しながら写真を撮り出して今年でちょうど10年だったので、10年の節目に京都の同時代ギャラリーで大きな写真展を行った。
その時に合わせて京都の写真集【京都夢物語】を作った。
初めはどうすればいいのか全く分からず、また予算もなかった。当然自主出版になるのだが、出版社を通す予算もなかった。
それではと思い、先ずは書類を揃えて自分で出版社登録を行った。そう、自分の出版社が出来た。
次はバーコードだ。これもいろいろ面倒な申請をしてバーコード用の番号を取得した。それで、その番号をもとにバーコードを作ってくれるところを探してバーコードデータを入手し、データを本に貼り付けた。
バーコードの下地の色が白にするのがどうしても嫌だったので、近くの本屋に持って行って読み取れるか実験もした。
表紙のデザイン、レイアウト、コメントを全て自分で行った。ただ、京都から世界へ発信したかったので、英訳は知り合いに依頼し、素敵な英訳をつけてもらった。英訳のみならず、私の下手な日本語も直して
頂いたものだ。
最初に写真集を買ってもらったのは、香港を拠点に世界で活躍中のライカの契約フォトグラファーだった。彼の写真展に行った時に、私の写真集を見てもらったら、Γいいね、この写真集。君のサイン入りで1
冊売ってくれるかい」と言って購入してくれたのだった。これが、少し自信につなっがった。
写真集は500部刷った。500部全て売れれば、パリ行きの切符、宿泊代、そしてパリで写真展をする費用が捻出できるので、その夢を込めての部数であった。
本は飛び込みで京都の本屋を色々と廻り、アート中心の本屋さんに5店舗に置いてもらうことが出来た。
現在、半年で135冊買って頂いた。少しづつ、夢に近づいている。
もうすぐ、500部分の費用は回収出来るので、今次の写真集の準備を始めだした。
本を作るにはものすごいエネルギーがいるが、ワクワク感はたまらない。
京都夢物語は私の夢物語でもある。
https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A2%E7%89%A9%E8%AA%9E-DREAM-KYOTO-%E5%91%91%E6%B5%B7%E9%BE%8D%E5%93%89-TATSUYA-DONKAI/dp/4990880609/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1480171313&sr=8-1&keywords=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A2%E7%89%A9%E8%AA%9E
エジプトのアスワンに建つ、1899年創業のかつて宮殿だった建物を改装したホテルである。チャーチル、アガサク・リスティが愛したホテルである。アガサ・クリスティはこのホテルに長期滞在し、あのイル殺人事件」を書き上げた。
暫く、営業を休止していたが、改装を終え2011年に伝説のホテルは蘇った。行かずにはいられなかった。新館と本館があるが、宿泊したのは当時の面影が残る本館のオールド・カトラクトスイート。それも最上階のナイルフロントの部屋を予約した。何もかもが想像を超える素晴らしさだった。テラスからのナイルの雄大な景色、眺めが良くて心地よいプール、豪華なレストラン、粋なライブラリーとどこも行かずに優雅なホテルライフを満喫した。特に部屋から見えるナイル川景色は素晴らしかった。ナイル川がこんなにも美しいとは知らなかった。情勢不安とテロの関係でエジプトでは観光客が激減している。ホテルのプールも貸切状態だった。王様になったように気分になれるホテルであった。
家具や調度品、金物関係の職人の技術が卓越しているので、それらを見ているだけでもワクワクしてくる。客室の壁は高級左官仕上げのアンティコ・スタっコで仕上げられている。イタリアから本場の職人を呼んで仕上げたのだろう。
次の日、このホテルからはナイル川に浮かぶイシス神殿を訪れた。