関川村商工会

Welcome to our homepage
 0254-64-1341
お問い合わせ

お知らせ

2011 / 05 / 30  00:00

関川村にはあります!  【桂のヤチダモ】


●所在地 : 岩船郡関川村桂363番地
村指定文化財で天然記念物。
樹高20m、周囲3m、樹齢300年以上。
所有者 : 桂在住 稲家氏

  

 ヤチダモはモクセイ科の落葉高樹で、別称タモノキと呼ばれている。収穫した稲を乾燥させるために掛ける「はさ」の支柱として、県内には往時たくさん育成されていた。
 現在では、田園風景の貴重な風物として保護している地域が多くある。
 桂のヤチダモは、この種の物としては、県内はもとより全国的にも稀な巨木である。

2011 / 05 / 23  00:00

関川村にはあります! 【下関城址】

●所在地:関川村下関(越後下関駅裏)
下関集落南方山地の一画に位置し、地域では付近一帯を「城ノ山」と呼んでいます。

 

奥山荘の地頭和田重茂(しげもち)は建治3年(1277)、荘内を三分して北条・中条・南条とし、三人の孫を地頭として派遣した。さらに、相模国三浦に居住の三浦胤泰(たねやす)に嫁がせた子女の子、胤氏(たねうじ)を、北条関郷(関下)の分地頭として派遣し、領内統治を確立した。
 
  

2010 / 12 / 16  00:00

関川村にはあります!【桂のカツラ】

●所在地:岩船郡関川村桂362番地、稲家氏宅
村指定文化財(天然記念物)
樹高13m、周囲3.83m、樹齢300年以上

 桂集落周辺には、通称、石滝沢・うしくび沢・阿古屋谷などの採鉄・製鉄の遺跡が残っている。特に阿古屋谷は大里峠の伝説に登場するところでもあり、山砂鉄採掘の竪穴・横穴の存在が知られていた。
 採鉄・製鉄の場所には、カツラを植栽する慣わしになっており、桂集落にはカツラの老木が繁茂していたが、それぞれ樹齢をまっとうした。
  
  

2010 / 12 / 09  00:00

関川村にはあります! 【おりのの碑】

●所在地:岩船郡関川村蛇喰
 「大したもん蛇まつり」の発祥の地「蛇喰」に大里峠の主人公である「おりの」の碑があります。毎年「大したもん蛇まつり」前日には祈願祭を行っています。
  
  

 おりのの碑には以下のように記されています。
「蛇喰という地名は、地すべりや崩れ落ちた地形の場所につけられ、その元凶は大蛇の仕業と考えられていた。たび重なる飢饉で存亡の危機にある一家を救うため苦界に身を沈めた女性おりのがこの地の出身であることから、蛇漬を食べつくし大量の水を飲み自らも大蛇になった、という伝説が生まれた。」
  
  

2010 / 12 / 08  00:00

関川村にはあります! 【榎峠(榎山古戦場、供養塔)】

●所在地:大内淵(国道113号線沿い、鷹ノ巣温泉を300m過ぎた山形県側の山手が入り口)

越後米沢街道・十三峠は、大永元年(1521)に伊達14代の稙宗が、大里峠を開いたのが始まりである。その十三峠の1つである榎峠は、戊辰戦争の戦場となった。
【榎峠の激戦】
 明治元年8月10日、米沢藩は米沢口の劣勢挽回のため藩兵を増強した。柄目木(がらめき)陣地23隊、八ツ口陣地13隊、金丸陣地8隊、榎峠陣地は武藤秀松隊といった陣容であった。8月12日早朝より、新政府軍は新発田藩兵を先頭に三道より榎峠陣地に、迫った。守備隊は力戦むなしく、多数の死傷者を出し大里峠に後退した。片貝陣地も破られ守将の斎藤新右衛門は活路を開いて沼まで後退したところで新政府軍に包囲され戦死した。この戦闘で米沢藩兵戦死12人、負傷11人、行方不明8人、新政府軍は新発田藩農民兵1人であった。
 供養塔は、戊辰戦争の戦死者を供養するため、明治元年に蛇喰村弘長寺の六十三世良成和尚と集落の人々により建てられ、供養塔には「南無阿弥陀仏戊辰戦死塔」と刻まれている。
  
  

1 2 3 4 5
2024.05.22 Wednesday
誰でも簡単、無料でつくれるホームページ 今すぐはじめる