関川村商工会

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2010 / 12 / 08  00:00

関川村にはあります! 【榎峠(榎山古戦場、供養塔)】

●所在地:大内淵(国道113号線沿い、鷹ノ巣温泉を300m過ぎた山形県側の山手が入り口)

越後米沢街道・十三峠は、大永元年(1521)に伊達14代の稙宗が、大里峠を開いたのが始まりである。その十三峠の1つである榎峠は、戊辰戦争の戦場となった。
【榎峠の激戦】
 明治元年8月10日、米沢藩は米沢口の劣勢挽回のため藩兵を増強した。柄目木(がらめき)陣地23隊、八ツ口陣地13隊、金丸陣地8隊、榎峠陣地は武藤秀松隊といった陣容であった。8月12日早朝より、新政府軍は新発田藩兵を先頭に三道より榎峠陣地に、迫った。守備隊は力戦むなしく、多数の死傷者を出し大里峠に後退した。片貝陣地も破られ守将の斎藤新右衛門は活路を開いて沼まで後退したところで新政府軍に包囲され戦死した。この戦闘で米沢藩兵戦死12人、負傷11人、行方不明8人、新政府軍は新発田藩農民兵1人であった。
 供養塔は、戊辰戦争の戦死者を供養するため、明治元年に蛇喰村弘長寺の六十三世良成和尚と集落の人々により建てられ、供養塔には「南無阿弥陀仏戊辰戦死塔」と刻まれている。
  
  

2024.05.07 Tuesday
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