切り抜きの神聖化をやめる

 

切り抜きを神聖化しない

 

紙面の情報でこれはスゴイ

と思った時に切り抜く。

 

切っておかないと大変だ

と思った時に切り抜く。

 

切り抜きは新鮮な野菜と同じで 

その瞬間が最高でシャキシャキ。

 

しばらくすると

切り抜いたことを

忘れる。

 

切り抜きを

どこに置いたかを

忘れる。

 

どこかに紛れて

分からなくなる

 

こともなくない。

 

その瞬間に頭に入れないと

次第に新鮮味は無くなる。

 

新鮮ではないということは

古くなるということ。

 

新しい情報は年を取る度に

増えるが積もり積もった

 

切り抜きはなかなか

捨てられない。

 

貴重感は

止まらない。

 

いつか役に立つと

信じている。

 

切り抜きへの神聖化を

やめてみる。 

 

切り抜きより更に上をいく

情報を取りこぼさない為に。

 

アンテナの感度を

上げる為に。

 

時間が経った情報は価値を

失っているかもしれない。

 

全部の宝を拾い尽くすことが

使命という思いを捨てる。

 

既に頭に入っていて

当たり前の情報も捨てる。

 

たまたま見つけた情報は

ハシクレの情報かもしれない。

 

切り抜きを絶対に

捨ててはいけないという

思いを捨てる。

 

思い出の切り抜きは

思い出なので置いておく。

 

ここははっきり

させておく。

 

情報も一緒やね

 

上記の内容は

 

紙の切り抜きについて

一昔前に書いたもので

 

当時は紙の切り抜きを

整理しましょ!ってことを

言いたかったの。

 

今となっては紙の切り抜きを

やっている人は少ないかもね。

 

だから現時点で 

この紙の切り抜きは

溜まっていないけれど

 

パソコンや携帯に

「これ置いとこ。」

「これ残しとこ。」

 

という情報の切り抜きが

たくさん溜まっている人が

多いのでは?と気付いた。

 

この情報の切り抜きも

紙の切り抜きと同じだな

というのも気付いた。

 

ってことで情報の切り抜きも

神聖化せず整理ですかね!