西山水産の歩み
「淡路島シラス」と向き合って4代目
昭和元年1代目(栄吉)がいわしの加工業を創業
養子で赤穂市から迎えられた2代目(冨夫)が継承
2度の室戸台風で加工場が水没し屋根が吹き飛ばされ資金繰りに大変苦労したそうです。
当時は融資の機能が発達しておらず、人で伝いで助けて頂きました。
また、機械設備も無い中、重労働で「朝は朝星、夜は夜星を仰ぐ」まで仕事に精進しました。
2代目の妻(たみゑ)は長男(泰司)に「こんな大変な仕事はせずにサラリーマンになりなさい」と、よく言っていたそうです。
国営企業で10年仕事をした3代目(泰司)が継承
体を酷使しすぎた2代目(冨夫)が肺の病に倒れ、長男(泰司)が営業職を退職し継承しました。
営業力を生かし売り先と買い先との人間関係を築き、老朽化した加工場を建て替え、設備の自動化を図り、生産量が増えました。
そんな中、「中央卸売市場の方に大変世話して頂いて、大きく成長した。」と言っていました。
当時は、水産資源も豊富で、近隣に同業種の加工場がたくさん立ち並び活気あふれていました。
民間企業で13年仕事をした4代目(洋平)
水産資源の減少と後継者不足の影響で、近隣の加工場が減っていき、西山水産も転換期を迎えていました。
そんな中、長男(洋平)と妻(静奈)との間に双子の男の子を授かり、子供が4人になるタイミングで、「運命」を感じ、淡路島に戻って実家の稼業をさせてもらうことになりました。
これまで、西山水産を繋いでくれた先代の方々に感謝し、益々発展できるように一生懸命仕事に取り組んでいます。
今後益々、水産資源の減少が見込まれる中、これまでのように効率重視で大量生産する時代から、品質重視でお客様に受け入れられるものを生産する必要性を感じ、必要な最新設備導入も図っております。
また、今までのやり方にとらわれることなく新たな道を切り開くべく、周囲の方々に大変援助頂きながら、努力しております。