インフォメーション

2014-03-31 16:51:00

最近よく「最近の車には何も感じるものがなくなった…」という話を聞きます。

 

・1970年代から80年代までは 日本の自動車産業も、アメリカやヨーロッパに何とか追いつきたいとの一心で、現在の様なインターネットやモノが自由に手に入らない中で、独自に日本人のモノ作りの心をベースに必死に「車」という商品を創ってきました。 現場と開発と営業が一体となり、お客様のニーズをお客様自身に調べに行き…。品質も 自主活動で現場の造り手も含めた向上策を謙虚に創ってきました。

 

・やがて それが身を結び、そして度重なるオイルショックという外的要因に助けられて、1980年代後半から90年代には「信頼性と品質の良さと、燃費の良さ、価格の手ごろさ」という 日本車独自のポジショニングで世界に認められるようになり、90年代後半から2000年以降は世界の中で確固たる地位を気付きあげてきました。

⇒この安泰の地位獲得が現在の日本車のつまらなさに繋がってしまったのではないでしょうか?

 

・世界マーケットの中での地位が出来、企業規模も大きくなり、つまり大きな市場と大きな会社を作り上げたとたんに、日本の文化と日本人の知恵による車造りは消滅したのではないでしょうか?

 

・自動車会社の企業マネージメントは、アメリカ型になり、グローバルという名の基に「日本の文化と日本人の心」つまり「おもてなしの、相手に与えようとする心と 匠のお客様に末永く自身のモノ作りの腕をお届けする」は姿を消し、日本人も、アメリカ人もヨーロッパ人もみな平等の扱いのモノ作り、サービス造りが始まったのです。

 

古来日本人の特性は「相手に与える喜び」がその根底にあったし、アメリカやヨーロッパは「自分の欲で如何にてなするか」がその根底となっていて、全く相反する価値観であるにも拘らず、皆平等と日本の企業は扱ってしまったのです。つまり「日本の商品」というジャンルを 自動車会社自身がなくしてしまったのです。

企業の経営と管理は人を含め「アメリカ型、人は 工数という数でしか見ない」、商品は「バリューと安さ」という物の比較が主体…、

日本に本社があるだけで実際には「日本の会社は無くなり、アメリカやヨーロッパと同じ会社が日本にあるだけではないでしょうか?」日本の経営が何をしていいかわからなかった結果ではないでしょうか?

 

一方目を外に向けてみると、今や国単位でブランドは作られる時代になってしまっている中で、ドイツ製の車、スイス製の時計、フランス製のバックやファッション、世界でナショナリティーブランド つまりどこで作られたかだけで プレミアムプライスが附く これらの商品を視ると頑なまでに、自国の文化や価値観やモノ造りに こだわったものばかりです。

日本を捨てて、欧米型の企業に身してしまった日本人経営と対照的な現象が起こっています。そして 彼らは実はこの事を 1980年代~90年代の初めに「そのための一助として日本に学んで創り上げてきたのです」

 

いま日本の車の商品ラインナップを視ると、アメ車とダブってしまうのは私だけでしょうか? 決してブランドのドイツ車では無く、アメ車のラインナップに気が付くとなっています。 価格は 安ければ美徳、バリューはあればよい、ベンチマークで比較してOK or NG、系列化とラインナップの品ぞろえ、開発はベンチマーク比較と工程進捗と管理が業務規定されたライン開発、そこに個性や独自性価値というキーワードか存在するのでしょうか?

 

車は 最低でも100万円以上する商品、お客様はどこかに必ず、嗜好や自分だけのという価値を求めているにも関わらず、モノとしての商品でしかない為の「値引き交渉」これはお客様が他に価値を見いだせない結果の行為ではないでしょうか?

キャデラックもリンカーンもこの中でブランドを無くしてしまったし、今の日本の高級車が ほとんど ドイツ車を代表とする欧州車に食われてしまっている現状。

15年前のアメリカ市場を追いかけているのではないでしょうか?

これをもってお客様に「車に興味を持ってください」というのは お門違いで、自動車メーカー自身がます゛、日本の車造り をするのが先決ではないでしょうか?

 

メーカーがアメリカ型の商品作りをしていることが 最大の問題で、今や「アメリカの勤務経験が無いと役員になれない、英語検定トイックで何点以上無いと管理職にしない、外人と日本人の混成役員の会社マネージメント」全て アメ車を日本の自動車会社が日本で作っているのではないでしょうか?

 

コルベット VS GT-R⇒ 共に世界ブランドのカントリースポーツ(存在価値大)

ムスタング VS トヨタ86 ⇒ 大衆スポーツ、

その他は殆ど バリューと価格と無難なラインナップの商品(商品感が浮かばない?)

皆さんも比べてみたらいかがでしょうか?

 

 

今私が願っている事は 「日本人のモノ造りの心、日本文化のおもてなし、そして組織のコミットメントで無く、チームの生きがいとしての商品造り」これを商品力の根幹とする日本自動車会社に変貌することを願うばかりです。

90年代までに世界に認めさせたのも、日本式の経営とモノ造り、いま成長している軽自動車は日本の中で育った日本人の為の商品、そしてGT-Rは 日本の心を第一義に世界ブランドを最短で創った…。こんな事をもう一度考えてもらいたいと願っています。

2013-04-15 02:53:00

・やっと解りました何故か?……自分自身の謎のひとつが……

R35GT-Rには「水野スペシャル」と呼ばれているユニットやパーツがたくさんあります。

 

ブレーキでは どうしても11年マイナーで 外径Φ390のローターを使いたいとの開発を依頼しましたが メーカーのブレンボからは「Φ380以上は理論的にできないし保証も出来ないので開発すら受けません」という返答が帰ってきました。

だけど簡単にできるんです。私の頭の中には「真っ赤な900℃のローターがキャリパーと一緒に歪みながら回っている姿と、一般道路できちんと全く歪みなく鳴きも出さずにガチッとパッドとローターが働いている画像」がだからこの様にすれば直ぐ出来るという図面も完成していたから依頼したのです。。

 

すごく簡単なのにどうしてこのような答えが返ってくるのか?

 

勿論直ぐブレンボに「この製品の全責任は私が持つ、製造だけは責任を持ってください」というお願いをし、了解が得られたので自身の手で開発をスタートし、私が ブレーキローターやキャリパーの詳細図面指示をしてから5か月後には、部品の修正手直し無く、サーキットや全ての実験をクリヤし 工場の生産ラインから市場に出荷されていきました。

 

これはブレーキに限った事で無く、「カーボンとアルミダイキャスト、鋼板という3種類の複合材料を使ったモノコックボディーについても同様に車が走り出すと、外から車を見ているだけなのに「ボディーの微小な変形や全ての部位の動きや撓みなどが手に取るように頭の中で画像が見えてしまう」し、サーキットでピットからストレートを走って行く車を見ると「エンジンの中の炎が燃えている姿、ガソリンと空気が混ざってシリンダーの中に入っていく様子、オイルパンの中でオイルが暴れまわっている姿等 ありとあらゆる物、点火時期の火の付き方」までもが頭の中で見えてしまうし、トランスミッションの中のクラッチが0.1秒で繋がる瞬間のオイルの流れやプレートの歪みまでが見えてしまうのです。

これはタイヤ等でも ピットに戻ってきて タイヤに手を当てるだけで「何処のコーナーでアンダーステアが出て、何処でリヤが流れ ドライバーがどんな修正をしたのか」頭に画像が出てわかってしまうのです。たまに鈴木利男ドライバーには「じゃあなんで走ってテストするの、しなくたって解っているならいいのでは…」等と言われた事も何度かあります。

タイム計測も ピットから出て一コーナーを回った姿から帰って来た時の ラップタイムが解ってしまっていたのです。周囲には「〇〇秒で帰るよ」と言っていました。

 

R90CPからR92CPまでのレーシングカーのカーボンモノコックや、サスペンション、カーボンブレーキ、トランスミッション そしてR35GT-Rの主要ユニットや部品の「水野スペシャル」と呼ばれているほとんどの開発は 解析や計算などの行為は全く無く、頭の中に出る画像の結果から開発しているものです

ですから 全てこの様な普通なら2~4年必要な開発が 数か月で生産ラインに乗ってしまったのです。⇒チームのメンバーは知っていますが…

 

何故この様な事が出来るのか自分でも解らなかったし、周囲の人に言っても

「そうですね、素晴らしいですね」という会話しかなかったのです。

 

今年になり 素晴らしいことが起きました。

 

皆さんご存知の 「オセロ中島さん対応」で最近話題になっておられる 認知科学者で有名な 苫米地英人 先生と何回かお話をさせていただく機会が有り 先生にこれらの事を話し相談したところ 「人間にはもともとそういう事が出来る能力が備わっている。これは抽象度がすごく上がった状態でこれをできる人は殆んど居ない。アメリカではこれらの人は軍事開発の最先端に従事している」つまり 人間は言葉が生まれる遥か以前に生まれ、言葉が生まれるまでの間は 感性ですべてを感じ取ることが出来た。しかし言葉というコミュニケーションのツールが出来てからは 言葉の限界の中で思考をするように成った為 感性の能力が死んでしまった。

 

抽象度を上げるためには「夥しい数のデーターと、ケーススタディーをした結果と 目的や目標を明確に見える画像レベルまで上げた意識が必要」その結果抽象度はあげられる。

「水野さんは 数少ないそれらの人です。つまり GT-Rという車は 車では無く、水野さんの分身となっているから全てが診える」という事でした。「きっと水野さんはGT-Rについては どんなに小さいネジの一本まで解っているでしょう」という事もおっしゃられていました。

⇒この通りなのです。「先生に会えた事、そしてお話しできた事、そして自分が知りえた事」、全てが私にとって素晴らしかったし 何より話をしていてすごく安心でした。周りにこの様な話の安心感のある人は カルロスゴーンCEOと苫米地先生しかいません。

 

最後に苫米地先生は「水野さんの様に抽象度を上げたエンジニアが居なくなったら形としてのGT-Rは出来ても感性や世界最高の性能が出せるGT-Rの継続は難しい」とおっしゃっていました。「水野さんが居ない日産に興味はないし、今のうちにGT-Rを買っておく」という事で 苫米地先生のコレクションの中にGT-Rが入る日は近いと思います。

 

という事で 本当に本当に 苫米地先生には 感謝感謝です。

長く自分の中にあった「もやもやや 謎」が解けました。

苫米地先生有難うございました。

皆さんも フォレスト出版さんから 苫米地英人 先生の本は色々出ていますのでお休みの日に読んでみてはいかがですか…。

 

 

今日も長い、そして私自身の事の内容にお付き合い頂き有難うございました。

 

 

 何時もの事ですが だんだん書いているうちに 何を書いているのか解らなくなってきてしまいましたので今日はこの辺で失礼させて頂きます。

 

この様な支離滅裂なブログを読んで頂いて有難うございます。

 

水野和敏より

 

 

1