水野和敏プロフィール-Ⅱ(経歴と開発した車たち)🙇

1970年後半~:

430型セドリック&グロリア(直6T/C&直6ディーゼル Eng搭載)プラットフォームの計画と設計開発
マキシマ(V6T/C Eng搭載)、サニー(直4T/C Eng搭載)のFF化したプラットフォームの計画と設計開発

プレゼンテーション1



1980年中頃~:

P10プリメーラ、R32スカイライン、A31セフィーロ、S15シルビア等の 新規車両パッケージの提案と車両計画と設計開発。
(P10は「機能性」、R32は「スポーツ性」、A31は「ファッション性」等、商品の特性を強調し表現した新規提案型のパッケージ提案と開発 )⇒商品テーマから車を創る未だに語られ、愛好家も多いヒット商品

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1989年12月~:

・NISMO出向、メーカー選手権Gr-C耐久レースに世界最年少(37歳)で「チーム監督、チーフエンジニア、トラックエンジニア等を兼任」参戦し、絶対王者ポルシェを降し、初年度より全て連続でチャンピオン獲得。
'92年は”デイトナ24時間”の総合優勝を始め,全戦全勝でチャンピオン獲得)車両や主要部品も自身の設計

 ・個人の技術研鑽の活動として、全日本F3000フォーミュラー選手権に参戦しチャンピオンを獲得。
 (LOLA製をホイールベース延長、サスペンション新設計、モノコック改造等大幅に仕様を変更し参戦) 

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        速い車づくり  ⇒ 最高効率のクルマ造り
<従来>    ドライバー中心 ⇒ チーム分担責任の運営    <新規>
        業界のやり方  ⇒ Big Data活用の目標設定



1995年1月~:

日産自動車では、R34スカイライン&GT-R、C35ローレル等を車両計画設計兼車両開発主管としての責任者職と併せ、NISMOに出向し、GT選手権レースに「チーム監督、チーフエンジニア、トラックエンジニア」を兼任し、ル・マン24時間レース(10位)と国内GT耐久選手権(チャンピオン獲得)に、R33GT-Rのレース仕様を開発し参戦。

R34スカイラインGT-R、C35ローレル_2



1998年1月~:

車両開発主管として世界初の高性能FR用フロントミッドシップ(FM共用パッケージ)の提案と適用5車種の2年での短期開発

(V35スカイライン&クーペ、Z33フェアレディ、ステージア、FX35&45)⇒リバイバルプランの早期達成

V35,ステージア、Z33、FX35,45

従来:モノを見て比較し「SUVとセダンとスポーツカーはEng,Susp等 別のパッケージ」
提案 : モノの比較で無く、本質(機能、性能)を視るとパッケージは共通が良い(FMパッケージ)



2003年12月~:

2003年12月~ 企画&開発責任者として世界初の独立型トランスアクスル(PMパッケージ)を提案しR35GT-Rを最短2.5年で市販した。グローバル・プロジェクト統括責任者として、ポルシェに並ぶ、世界トップレベルのブランドを構築。(⇒ PMパッケージは他車型にも汎用可能で、4Drスポーティーセダン等の試作開発も順調に進行したが、経営の営業戦略判断から市販の開発は中断)

画像7 「マルチ・パーフォーマンス・スーパーカー」の新ジャンル創造

[開発資源(人、モノ、金、時間)は従来の他車と比較し半分以下で開発、広告宣伝費は0(ゼロ)と販売用のカタログは無し、中古車残存価格(3年後80%以上)から逆算して耐用性と価格目標は決定して開発]